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■1332 / inTopicNo.13)  パニチェさんへ
  
□投稿者/ pipit -(2019/06/12(Wed) 16:48:22)
    こんにちは
    質問いいでしょうか?

    私は、哲学のことを考える時間と、日常生活の時間を
    分けたいと思ってるのですが、
    考え出すと、すぐに頭の中であーかな、こーかな、と
    考えにひっぱられる状態になってしまいます。

    私としては、考える時に考えることを集中して、
    考えないと決めた時は考えないようにできたらいいな、
    と願うのですが、全然そのようにはできません。

    パニチェさんは、哲学的な思考はどのようにされていますか?
    制御されますか?

    パニチェさんは仏教にも関心があるということで、私も仏教徒になりたいな・ありたいな
    と願う者なので、どのように思考されてるのかなあと聞いてみたくなりました。

    もしよかったら、いつでもいいので、教えてもらえれば嬉しいです。
引用返信/返信 削除キー/
■1318 / inTopicNo.14)  世界に一つだけの花
□投稿者/ パニチェ -(2019/06/09(Sun) 11:00:27)
    2019/06/09(Sun) 11:07:49 編集(投稿者)

    『いまや、わたしはきみたちに、わたしを失い、みずからを見出せ、と命じる。そして、きみたちがみな私を否認したときに初めて、わたしはきみたちのもとへ帰って来ようと思う。まことに、わたしたちの兄弟たちよ、そのときわたしは、違った目で、自分の失った者たちを捜し求めるであろう。そのときわたしは、或る違った愛で、きみたちを愛するであろう。そして、さらにいつの日か、きみたちはわたしの友となり、同じ希望の子となっているであろう。そのとき、わたしは三たびきみたちのもとにあって、きみたちと共に大いなる正午を祝おうと思う。ところで、大いなる正午とは、人間が自分の軌道の真ん中にあって、動物と超人の中間に立ち、自分が歩み行くべき夕暮れへの道を自分の最高の希望として祝う時である。というのは、それは或る新しい朝への道だからだ。そのとき、没落して行く者は、自分がかなたへ渡って行く者であるというので、みずから自分を祝福するであろう。そして、彼の認識の太陽は、彼にとって真南に位置しているであろう。「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは、超人が生きんことを欲する」──これが、いつの日か大いなる正午において、われわれの最後の意志であらんことを!──このようにツァラトゥストラは語った。(ツァラトゥストラ 贈与する徳について3)』

    世界に一つだの花に治まらず、自己は自分の生において、あらゆるものに価値や意味を付与する創造者であり唯一神であるということ。
    超人へ向かう没落者としての再会を経て、ツァラトゥストラとの三度目の再会いは各々がディオニュソス神(超人)となった大いなる正午に実現する。
引用返信/返信 削除キー/
■1142 / inTopicNo.15)  Re[50]: 覚者に問いたいのは
□投稿者/ パニチェ -(2019/04/21(Sun) 13:15:57)
    2019/04/22(Mon) 19:28:42 編集(投稿者)

    時間でけた!^^

    No1133に返信(転法さんの記事)
    > > 私と貴方と世界が不二なら、何故、私と貴方が共有しえない私秘性があるのかということ。

    > セッソー的には無常だからということになりまッしゃロかねー。
    > 無常の流れがそれぞれだからすれ違いばかりなんでっしゃロ。
    > 流れの外から無常を見る無常であれば、無我でッしゃろから、一切私ということで、私秘性は消滅するかもしれまへんが、そもそも私がなくなるんでッしゃろから、どうなるんでっかね?
    > ヨーわかりまへんがな。
    > (●´・ω・)y─┛~~

    密教の修行者であったゴウさんと〈私〉についてYahoo!textreamから、旧ニーチェクラブBBSでレス交換したことがあんねん。ゴウさんは愚さんのホームである東照寺の接心会に参加されて底が抜けたらしい。その後、愚さんのカキコから間接的に知ったんやけど、密教の修行で意識不明から植物人間状態?またはそれに近い状態になってしまったみたい。

    ゴウさんと永井均氏に共通する見解は〈私〉は真我と同義ってこと。ゴウさんとの会話はその途中になってしまって、わしはよく分からなかったけど、永井均氏によれば以下のような理屈になる。

    『〈私〉の存在は、科学的であれ歴史学的であれ、この世界の客観的事実を超えた超越的な存在なのである。と、このように語るとき、それは(私が語っているからといって)永井均のことを語っているのでもなければ、またもちろん一般的な自己意識としての「私」のことを語っているのでもない。実を言えば、それについて通常の言語で語ることはできないのである。だからじつは、ここでも語れていない。という意味では、実在してもいない。そして、これが「真我』の真の意味であろう。バラモン教(やヒンドゥー教)の説くところによれば、それぞれの個我の世界である小宇宙は大宇宙に偏在するその根本原理であるブラフマン(梵)と、通常は切り離されているのだが、アートマン(真我)という自分の真のあり方を自覚すれば、それと合一することができる。これは、世界にはたくさんの人間が並列的に存在し、それぞれに自我があるというような、通常の平板な世界解釈の内部だけ理解しようとすれば、何やら神秘的なお話のように見える。しかし、そのような平板な世界解釈を超えて、端的な事実をありのままに捉えれば、むしろ端的なありのままの事実をありのままに語っているだけだ、と見ることもできるだろう。たくさんの個我たちのなかになぜか〈私〉が存在しているとは、つまり一人だけ世界(宇宙)そのものと合一している不可思議なものが存在しているということであり、じつのところはそうとしか捉えようがない(通常の世界解釈では捉えられない)からである。そう捉えれば、「梵我一如」はむしろ単純で自明な事実にすぎないことになる。そのような捉え方によってしか、私はたくさんの人間のうちからどれが私であるかを識別できないからである。そして、この意味での真我はまた無我であらねばならない。なぜなら、それは本質的に属性を持たない空っぽの存在であって、そうでしかありえないからである。すなわち、それは必然的にだれでもなく、だれかであることができないからである。もしだれかとして(すなわち固有の属性を持った者として)捉えられてしまえば、そこには捉え違いの可能性が生じてしまうが、そういう可能性は存在しないからだ。属性の違いによる識別は、ここではそもそも働いていない。だから〈私〉は、だれでもないどころか、何でもないのだ。しいていうなら、ただこれでしかない。それが何であるかは決してわからない。いやむしろ、それは何であるかがない。さらにまた、〈私〉は、科学的に捉えられる一般的事象でもなければ、歴史学的に捉えられる個的事実でもないのだから、この世界に存在してはいない。この世界に実在しているのは、属性の違いによって他の人々から識別される一人の人間(たとえば永井均という人、物)だけである。彼が、彼だけが、なぜか〈私〉であるというあり方をしている、などという事実は、われわれの世界の中にはそもそも実在していないのだ。その意味で、〈私〉は、無我であるどころかむしろ端的に無である(永井均著「哲学探究2 世界の独在論的存在構造 付録 自我、真我、無我について」より引用)』

    祖師のレスの無我や一切〈私〉とも通じるところがあると思う。
    わしは上記の永井均氏も見解は8〜9割は納得するし支持できる。
    転法祖師はどう思う?まず永井氏のブラフマンやアートマンの捉え方は正確なんやろか?

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■1136 / inTopicNo.16)  Re[50]: 覚者に問いたいのは
□投稿者/ パニチェ -(2019/04/20(Sat) 21:16:30)
    No1133に返信(転法さんの記事)
    > > 私と貴方と世界が不二なら、何故、私と貴方が共有しえない私秘性があるのかということ。
    >
    > セッソー的には無常だからということになりまッしゃロかねー。
    > 無常の流れがそれぞれだからすれ違いばかりなんでっしゃロ。
    > 流れの外から無常を見る無常であれば、無我でッしゃろから、一切私ということで、私秘性は消滅するかもしれまへんが、そもそも私がなくなるんでッしゃろから、どうなるんでっかね?
    > ヨーわかりまへんがな。
    >
    > (●´・ω・)y─┛~~

    これ大事に返信したいので、GWぐらいまで返信待ってちょ。
    最近、リアルが忙しいおまんねん。(笑)

    L(   ` ー ´   )_/☆Ωパォ〜ン♪

    >
    > 正法無常宗祖師 沙門転法(/\)南無一切無常絶対超越真理
引用返信/返信 削除キー/
■1133 / inTopicNo.17)  Re[49]: 覚者に問いたいのは
□投稿者/ 転法 -(2019/04/19(Fri) 09:35:40)
    > 私と貴方と世界が不二なら、何故、私と貴方が共有しえない私秘性があるのかということ。

    セッソー的には無常だからということになりまッしゃロかねー。
    無常の流れがそれぞれだからすれ違いばかりなんでっしゃロ。
    流れの外から無常を見る無常であれば、無我でッしゃろから、一切私ということで、私秘性は消滅するかもしれまへんが、そもそも私がなくなるんでッしゃろから、どうなるんでっかね?
    ヨーわかりまへんがな。

    (●´・ω・)y─┛~~


    正法無常宗祖師 沙門転法(/\)南無一切無常絶対超越真理
引用返信/返信 削除キー/
■1064 / inTopicNo.18)  覚者に問いたいのは
□投稿者/ パニチェ -(2019/03/16(Sat) 10:02:10)
    私と貴方と世界が不二なら、何故、私と貴方が共有しえない私秘性があるのかということ。

    その理由や根拠は如何に?


    不二が実相なら私秘性も消滅するんでないの?
引用返信/返信 削除キー/
■1024 / inTopicNo.19)  マイノリティー
□投稿者/ パニチェ -(2019/03/03(Sun) 11:02:46)
    2019/03/16(Sat) 09:57:13 編集(投稿者)

    No742に返信(パニチェさんの記事)

    > 他から認められず、確たる理念やアイデンティティーを持たないが故に中身が空虚で存在感の希薄な人間や国家、民族は、過度の自己愛やナショナリズムで穴埋めしようとする。

    ボヘミアン・ラプソディがヒットした理由のひとつとしてマイノリティーだからこそ持ち得る孤独と才能の開花なんてのがあるんではないかなぁ〜。

    極論すれば人間全員がマイノリティーなんやん。
    分かり合えない孤独感が真の思いやりや優しさ生むこともある。
引用返信/返信 削除キー/
■742 / inTopicNo.20)  古い悪魔
□投稿者/ パニチェ -(2018/11/18(Sun) 10:22:55)
    『およそこの世に存在する最も反文化的な病気と背理ともいうべきナショナリズム、ヨーロッパがかかっているこの国民的ノイローゼ、ヨーロッパの小国分立状態の、小型政治のこの永遠化に、ドイツ人は責任を負わねばならない。彼らはヨーロッパからその意味さえも、その理性をさえも奪い去り──ヨーロパを袋小路に追い込んでしまったのだ。──この袋小路から脱け出る道を私以外の誰が知っていよう?…一つの使命、きわめて偉大な使命、諸民族を再び統合するに足るこの偉大な使命を、私以外の誰が知っていよう?…(ニーチェ著「この人を見よ なぜ私はかくも良い本を書くのか ヴァーグナーの場合2」より』

    過度の自己愛が病的(自己愛性パーソナリティ障害)であるのと同じく、過度のナショナリズムを旗頭にする国家や民族は、その根底にニーチェ的に言えばルサンチマン、現代風に表現すれば病的なコンプレックスが巣食っている。

    他から認められず、確たる理念やアイデンティティーを持たないが故に中身が空虚で存在感の希薄な人間や国家、民族は、過度の自己愛やナショナリズムで穴埋めしようとする。

    ttps://www.nikkei.com/article/DGXMZO37635220S8A111C1000000/?fbclid=IwAR3eD3p3N8ib56wm6Qfb5mgWvKpE0xrvLmApJfaaVO7k9T8O7Dl_dqffcEw
    マクロン氏「悪魔が再び」 ナショナリズムに懸念
引用返信/返信 削除キー/
■741 / inTopicNo.21)  Re[45]: この人を見よ
□投稿者/ パニチェ -(2018/11/16(Fri) 21:19:45)
    こんばんは、悠さん。

    No740に返信(悠さんの記事)
    > パニチェさん。なかなか返信できず申し訳ありません。時間がないことを言い訳にします。

    全然構いませんよ。^^

    > 返事は気長に待って下さい。もっと深く読み込みたいですし考えたいので。

    了解です。レスは逃げませんからお気遣いなく。
    言うまでもまいとは思いますが、このトピへの返信はペンディングのまま他のトピへのレスをしてもらっても、これまた全然構いませんよ。

    > なんとなくなんですけど、ど根性ガエルのぴょん吉とヒロシ?サトシ?記憶が曖昧なんですけど、意識と身体の関係性に近いんでない?と考えたりします。でもそこらへんも含んだ包括的に話はいつになるやら。
    > キリンの首くらい気長に待って下さい。

    心身問題は早々に結論が出るような代物ではないですね。
    ちなみにピョン吉とひろしは、どちらが意識でどちらが身体なのか、またいつでもいいので教えて下さい。
引用返信/返信 削除キー/
■740 / inTopicNo.22)  Re[44]: この人を見よ
□投稿者/ 悠 -(2018/11/15(Thu) 23:42:01)
    パニチェさん。なかなか返信できず申し訳ありません。時間がないことを言い訳にします。
    返事は気長に待って下さい。もっと深く読み込みたいですし考えたいので。



    なんとなくなんですけど、ど根性ガエルのぴょん吉とヒロシ?サトシ?記憶が曖昧なんですけど、意識と身体の関係性に近いんでない?と考えたりします。でもそこらへんも含んだ包括的に話はいつになるやら。
    キリンの首くらい気長に待って下さい。
引用返信/返信 削除キー/
■711 / inTopicNo.23)  Re[43]: この人を見よ
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/27(Sat) 07:24:37)
    No709に返信(パニチェさんの記事)

    >>“ツァラトゥストラはこう言った これはみんなのための本であり、誰のための本でもない”
    >>手元の本では154ページ。

    > もう少し詳しく、どこの章のどの部分か書いてもらえると助かります。
    > 私もその箇所を読んでみたいので。

    >>「この19世紀末に、力強い時代の詩人たちがどういうことをインスピレーションと呼んでいたのか、はっきりわかっている人はいるだろうか?もしも誰もいないなら、私が説明しよう。ーほんのわずかでも迷信の名残をもっている人なら、実際、自分が圧倒的な力の単なる化身、たんなる口、たんなるメディアにすぎないのだという考えを、ほとんど払いのけることができないだろう。啓示という概念は、突然言うに言えないほど確かで微妙に、なにかが見えるようになり、聞こえるようになるという意味だが、その何かは、人をもっとも深いところで揺さぶり、狼狽させる。その意味で啓示はたんに事実を述べているだけのことである。人は聞くのであって、探すのではない。人は受け取るのであって、誰がくれるかと質問はしない。稲妻のように思想はひらめく。必然的に、ためらいなどなく。ー私は選択などしたことがない。恍惚となるとなるだけだ。」

    上記の箇所分かりました。
    「この人を見よ なぜ私はかくも良い本をかくのか ツァラトゥストラ3」ですね。

    ニーチェが永劫回帰を受胎したまさにその瞬間を書き記した以下のアフォリズムの前段です。

    『完全な忘我の状態にありながらも、爪先にまで伝わる無数の微妙な戦きと悪寒とを、このうえなく明確に意識している。これはまた幸福の潜む深所でもあって、そこでは最大の苦痛も最高の陰惨さも幸福に逆らう反対物としては作用せず、むしろ幸福を引き立てるための条件として、挑発として、いいかえればこのような光の氾濫の内部におけるなくてはならない一つの色どりとして作用するのである。これはまたリズムの釣り合いを見抜く本能でもあって、さまざまな形の広大な場所を張り渡している。──その長さ、広く張り渡されたリズムへの欲求が、ほとんどインスピレーションの圧力と緊張に対抗する一種の調節の役目をも果たしている。…いっさいが最高の度合いにおいて非自由意志的に起こる。しかも、自由の感情の、無制約的な存在の、権力の、神的性格の嵐の中にあるようにして起こる。…形象や比喩が自分の思いの儘にならぬことは、最も注目に値する点だ。われわれはもう何が形象であり、何が比喩であるのかが分からない。いっさいが最も手近な、最も適確な、そして最も単純な表現となって、立ち現れる。実際、ツァラトゥストラの言葉を思い出して頂くなら、事物の方が自らに近寄って来て、比喩になるよう申し出ているかのごとき有様にみえる。(この人を見よ ツァラトゥストラ)』


    >>この19世紀末に、力強い時代の詩人たちがどういうことをインスピレーションと呼んでいたのか、はっきりわかっている人はいるだろうか?もしも誰もいないなら、私が説明しよう。ーほんのわずかでも迷信の名残をもっている人なら、実際、自分が圧倒的な力の単なる化身、たんなる口、たんなるメディアにすぎないのだという考えを、ほとんど払いのけることができないだろう。

    で、上記の分析では「ほんのわずかでも迷信の名残をもっている人なら」という前提で「自分が圧倒的な力の単なる化身、たんなる口、たんなるメディアにすぎないのだという考えを、ほとんど払いのけることができないだろう。」と述べていることからして、ニーチェのインスピレーションに対する見解は所謂キリスト教的な人神からの「自分が圧倒的な力の単なる化身、たんなる口、たんなるメディアにすぎない」というわけではないと私は読みました。

    つまり人神からの啓示ではなく仏教的な悟り(真如)の体得である、と。

引用返信/返信 削除キー/
■709 / inTopicNo.24)  Re[42]: この人を見よ
□投稿者/ パニチェ -(2018/10/26(Fri) 22:04:53)
    No706に返信(悠さんの記事)
    > 訓練校に行ってる間に随分読書が捗りました。何度も読んだ本を開いたり、読みかけを読んだり。少し前に「この人を見よ」を始めて読了しました。感想というかなんとゆーか、思ったことをつらつらと書いていくつもりです。次があるかどうかわかりませんが。
    > ぼくが読んだのは2016年10月20日 丘沢静也氏訳です。古いものを選ばなかった理由は字が小さくて読みづらいと感じたからです。

    検索で調べました。光文社古典新訳文庫版ですね。

    > “ツァラトゥストラはこう言った これはみんなのための本であり、誰のための本でもない”
    > 手元の本では154ページ。

    もう少し詳しく、どこの章のどの部分か書いてもらえると助かります。
    私もその箇所を読んでみたいので。

    > 「この19世紀末に、力強い時代の詩人たちがどういうことをインスピレーションと呼んでいたのか、はっきりわかっている人はいるだろうか?もしも誰もいないなら、私が説明しよう。ーほんのわずかでも迷信の名残をもっている人なら、実際、自分が圧倒的な力の単なる化身、たんなる口、たんなるメディアにすぎないのだという考えを、ほとんど払いのけることができないだろう。啓示という概念は、突然言うに言えないほど確かで微妙に、なにかが見えるようになり、聞こえるようになるという意味だが、その何かは、人をもっとも深いところで揺さぶり、狼狽させる。その意味で啓示はたんに事実を述べているだけのことである。人は聞くのであって、探すのではない。人は受け取るのであって、誰がくれるかと質問はしない。稲妻のように思想はひらめく。必然的に、ためらいなどなく。ー私は選択などしたことがない。恍惚となるとなるだけだ。」
    > 「人は聞くのであって、探すのではない。人は受け取るのであって、誰がくれるかと質問はしない。」
    > (探したり質問したりできるのは自分ではない。できるのは自分ではない何かの権利。)

    > 「稲妻のように思想はひらめく。」
    > (自分がひらめくのではない、自分ではない何かがひらめく。)

    > 「私は選択などしたことがない。」
    > (そもそも自分には選択権がない?)

    > 「ほんのわずかでも迷信の名残をもっている人なら、実際、自分が圧倒的な力の単なる化身、たんなる口、たんなるメディアにすぎないのだという考えを、ほとんど払いのけることができないだろう。」
    > (自分は、自分という意識は世界、宇宙、起源、本物に対して絶対的に遅れているってことでおっけー?)

    > 啓示という概念は、突然言うに言えないほど確かで微妙に、なにかが見えるようになり、聞こえるようになるという意味だが、その何かは、人をもっとも深いところで揺さぶり、狼狽させる。
    > (やっぱり自分で選べない感じ?)

    永劫回帰という思想は受胎するというような表現をしているところがあります。
    道元禅師の以下の言葉とかぶります。

    正法眼蔵 画餅「誠信書房刊 現代訳 正法眼蔵」より転記
    【諸仏が真理を体験するとき、万物が真理を体験する。たしかに覚者と万物は、表面的に見れば同一のものではない。しかし、真理を体験するとき、おのおのの体験が、互いに妨げあうことなく実現するのである。これが仏道の明確な教えである。それを、諸仏と万物が同一であるか異なっているかという分別によって学んではならない。そのため「一つのことに通じれば、すべてのことに通じる」というのである。一つのことを体験するということは、一つのことが本来具えている姿を奪うことではない。一つのことを他のことと対立させることでも、対立をなくしてしまうことでもない。強いて対立をなくそうすることは、こだわることである。体験することにこだわらないとき、一つの体験は、すべての体験に通じる。このように、一つのことを体験するということは、そのものになりきることである。そのものになりきるということは、すべてのものになりきることである。】

    > おお、無意識ってやつか。主体とか客体とか意識とか無意識とかいうやつか。
    > 自分が持ってる身体論「未来に向かって先行し続ける身体に対して常に遅れをとる自分」を全肯定されたみたいで嬉しかった、と言った方がしっくりくるかもしれません。
    > なんてゆーか「ニーチェ先輩、マジでガチでカッコいいっす。俺、パイセンに惚れそうっす」と考えました。
    > 過去ログを全く見ていないので、内容の重複はあるかと思いますがご容赦ください。

    ニーチェは身体性こそ大いなる理性であり、意識性は、有機体の最後の、最も遅れた発展であると述べてますね。
    多分、真如は意識したり、言語化することで矮小化され、個というちっぽけで陳家な思想に墜ちてしまうのでしょうね。

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