| 今、いつ書けなくなるのか?を待っている状態です。その時が訪れれば、おのずと書き込みができなることを過去にも体験しています。その時は、不思議といえば不思議なのですが、何かを書き込もうとしても書き込みができなくなるのですね。何かに対する意欲の欠如なのか?文字で表現するという事への諦めの心境なのか?書かないというよりも書けなくなるのです。という事で、今回はまだ書けるようですので、書いてみます。
三行とは、身行、口行、意行の、別の表現で、身口意と略される3つです。
k□ya=身体 vac□=語・口 citta=心・意 sa□kh□ro=行為・行 (パーリ→日本語)です。
k□ya sa□kh□ro で身行 vac□ sa□kh□ro で口行 citta sa□kh□ro で意行
身行は、出入息(呼吸)。 口行は、尋伺(思考)。 意行は、想と受(想念と感受)。
出入息(呼吸)は、身と関係するので身行です。 尋伺(思考)は、言葉を発する前に人は思考するので口行です。 想念と感受は、心に直結するので意行です。
上記は、三行の基本的な分類のようですが、これを涅槃や解脱に役立つ正法(善法)に当てはめてみると、
・善法(離殺生・離偸盗・離邪淫・離妄語・離両舌・離悪口・離綺語・無貪欲・無瞋恚・正見)
上記、善法の中の 身行(身と関係)は、離殺生・離偸盗・離邪淫です。 口行(尋伺→言葉)は、離妄語・離両舌・離悪口・離綺語です。 意行(心に直結)は、無貪欲・無瞋恚・正見です。
正法とは逆の不善法(悪法)で書いてみますと、
・不善法(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見)
身行(身と関係)は、殺生・偸盗・邪淫です。 口行(尋伺→言葉)は、妄語・両舌・悪口・綺語です。 意行(心に直結)は、貪欲・瞋恚・邪見です。
そして仏典内には、殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見等の定義の記載がありますので、梵行(学得や八支聖道)等の実践により、不善法から善法に移行する事柄の記載があるようです。
そして心に直結する意行(想念と感受)=(貪欲・瞋恚・邪見)の罪が一番大きいと、仏典内で仏陀は説いています。
想念と感受、、略して想受で、これの滅尽という事で、想受滅です。
同時に梵行でこの意行(想念と感受)を滅尽できた場合に、梵行は終了します。
この境地に至るための梵行の一つが、九次第定と表現されている瞑想です。
・九次第定(初禅・二禅・三禅・四禅・空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処・想受滅)
仏陀自身が、三行の中では一番罪が大きいと説いている意行(想念と感受)の最終的な滅尽状態が九次第定の最終の境地である想受滅ならば、私の理解では、仏陀の論理、道理は、無矛盾で破綻せずに成立しています。
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