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■38828 / inTopicNo.1)  時さんへ
  
□投稿者/ pipit -(2024/09/14(Sat) 17:35:34)
    2024/09/14(Sat) 17:47:10 編集(投稿者)

    時さん、こんばんは!

    No38805
    > 八支聖道という枠の中の、身至念(身を観続けて住す)としての正念の中の一つが身念処です。その身念処の中の一つが出入息です。
    >
    > ・八支聖道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)<

    八支聖道の中の正念、正念の中の身念処の一つが出入息、、、

    > ・・身至念(身を観続けて住す)
    > ・正念(四念処の事)
    > ・四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)
    > ・身念処(出入息・行住坐臥・正知・不浄観・四大要素・九段階の死体の推移)
    > ・出入息(呼吸)
    >
    > その身至念(身を観続けて住す)の目的は、その中の一つである出入息(呼吸)に集中することにより、在家的な念と思惟が捨てられ、それら(在家的な念と思惟)の捨断により心が統一す(させ)るという事です。<

    はい。

    >>息を吸う、息を吐く、この行為を乗り物にしていろんなものを経験していく修行法
    >
    > という捉え方ではなく、呼吸を中心に据えた瞑想で、その目的は、在家的な想いや思考を捨断する為に行われる瞑想修業です。<

    pipitの文章は言葉足らずでした
    m(_ _)m

    乗り物に乗っていろんなもの無節操に見ていく、というのではなく、涅槃に至るための方法の一つとして呼吸瞑想を利用して解脱への道で現れるものを経験していく、という意味で文章を書きました。

    時さんの言葉をお借りすれば、

    > 出入息(呼吸)に集中する<

    ことを利用して、涅槃に至る道を教えるのがアーナパーナサティスッタであり、

    > 在家的な念と思惟が捨てられ、それら(在家的な念と思惟)の捨断により心が統一す(させ)る<

    などを修行者は次々と経験していく、というイメージで、呼吸瞑想を乗り物に例えました。
    けど、pipitの文章は言葉が足りてなかったと反省です、すみません。
    m(_ _)m

    いろいろ勉強になります。
    書き込みありがとうございます!
    o(^▽^)o

引用返信/返信 削除キー/
■38805 / inTopicNo.2)  Re[59]: 中部経典62経「大ラーフラ教誡経」
□投稿者/ 時 -(2024/09/14(Sat) 07:06:56)
    pipitさんへ。おはようございます。

    No38797に返信(pipitさんの記事)

    > 息を吸う、息を吐く、この行為を乗り物にしていろんなものを経験していく修行法を説いているのが仏教的なアーナパーナサティ(呼吸瞑想)なのかなー、と。

    八支聖道という枠の中の、身至念(身を観続けて住す)としての正念の中の一つが身念処です。その身念処の中の一つが出入息です。

    ・八支聖道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)
    ・・身至念(身を観続けて住す)
    ・正念(四念処の事)
    ・四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)
    ・身念処(出入息・行住坐臥・正知・不浄観・四大要素・九段階の死体の推移)
    ・出入息(呼吸)

    その身至念(身を観続けて住す)の目的は、その中の一つである出入息(呼吸)に集中することにより、在家的な念と思惟が捨てられ、それら(在家的な念と思惟)の捨断により心が統一す(させ)るという事です。

    > 息を吸う、息を吐く、この行為を乗り物にしていろんなものを経験していく修行法

    という捉え方ではなく、呼吸を中心に据えた瞑想で、その目的は、在家的な想いや思考を捨断する為に行われる瞑想修業です。
引用返信/返信 削除キー/
■38797 / inTopicNo.3)  中部経典62経「大ラーフラ教誡経」
□投稿者/ pipit -(2024/09/13(Fri) 22:00:20)
    2024/09/13(Fri) 23:59:04 編集(投稿者)

    みなさまこんばんはー
    お経の続きです♪

    They practice like this: ‘I’ll breathe in experiencing mental processes.’
    They practice like this: ‘I’ll breathe out experiencing mental processes.’
    They practice like this: ‘I’ll breathe in stilling mental processes.’
    They practice like this: ‘I’ll breathe out stilling mental processes.’

    彼らはこのように学びます。
    「精神的なプロセス(チッタ・サンカーラ/心行)を経験しながら息を吸おう。」と。

    彼らはこのように学びます。
    「精神的なプロセス(心行)を経験しながら息を吐こう。」と。

    彼らはこのように学びます。
    「精神的なプロセス(チッタ・サンカーラ/心行)を静めながら息を吸おう。」と。

    彼らはこのように学びます。
    「精神的なプロセス(心行)を静めながら息を吐こう。」と。

    ----------------------------

    (pipit感想)
    ふむー、チッタ・サンカーラとは多分、
    No38596で兄上が書いてくださってる「意行」のことですね。

    > 意行は、想と受(想念と感受)。<


    ↓光明寺さまのこのページの最後に

    https://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn05/mn05c08.files/sheet001.htm
    『 友、ヴィサーカよ、これら〈受〉と〈想〉は、心の諸法であり、心に結ばれています。それゆえ、〈受〉と〈想〉は心行なのです」』

    とあり、「心の諸法」と訳されてる原語はチェータシカ(心所)。
    なるほどー、心に結ばれている心所であるところの、〈受〉ヴェーダナーと〈想〉サンニャー、これが「心行(意行)」チッタ・サンカーラだと...

    心に直結する〈受〉と〈想〉がどのように心に影響しているのか、直結なので影響というよりもっと直接的かなぁ、、これがあるときかれがある、これがないときかれもない、の同時刻の関係性かなぁ、、、

    この関係性を経験的に観察したのち(プロセスの顕在意識化?)、コントロール可能とすることも含めて、静めていく練習をするのかな?

    などとあれこれ考えてみまして、次のようにも考えました。

    息を吸う、息を吐く、この行為を乗り物にしていろんなものを経験していく修行法を説いているのが仏教的なアーナパーナサティ(呼吸瞑想)なのかなー、と。
引用返信/返信 削除キー/
■38766 / inTopicNo.4)  Re[57]: 中部経典62経「大ラーフラ教誡経」
□投稿者/ pipit -(2024/09/11(Wed) 23:18:33)
    みなさまこんばんはー。お経の続きです♪

    They practice like this: ‘I’ll breathe in experiencing rapture.’ They practice like this: ‘I’ll breathe out experiencing rapture.’ They practice like this: ‘I’ll breathe in experiencing bliss.’ They practice like this: ‘I’ll breathe out experiencing bliss.’

    彼らはこのように学びます。
    「私は喜(piti.ピーティ)を経験しながら息を吸おう。」
    彼らはこのように学びます。
    「私は喜を経験しながら息を吐こう。」

    彼らはこのように学びます。
    「私は楽(sukha.スカ)を経験しながら息を吸おう。」
    彼らはこのように学びます。
    「私は楽を経験しながら息を吐こう。」

    -----------------------------------

    喜と訳したピーティと、楽と訳したスカは、第一禅定に入定した際に現れて、第三禅定で喜(ピーティ)は消え、第四禅定では楽(スカ)も消えるみたいです。
    wiki『禅定』↓
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%85%E5%AE%9A

    瞑想の途中で喜悦感なども現れてくるけど、全部捨てていくのが仏道なのかもなーと思いました。

引用返信/返信 削除キー/
■38631 / inTopicNo.5)  akaimiさんへ
□投稿者/ pipit -(2024/09/06(Fri) 17:15:53)
    akaimiさん、こんにちは♪

    時さんへのお知らせありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■38628 / inTopicNo.6)  こんにちは!
□投稿者/ akaimi -(2024/09/06(Fri) 15:28:51)
    pipitさん、時さん、こんにちは。
    時さんの載せられているダンマパダ1,2。
    自分のトピにお借りしました。 ありがとうございます。
    お知らせまででした。(__)

引用返信/返信 削除キー/
■38613 / inTopicNo.7)  pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2024/09/05(Thu) 23:01:26)
    pipitさんへ。こんばんは。

    No38607に返信(pipitさんの記事)

    > ダンマパダの一番はじめを思い出しました。

    > (関西パーリ語実習会さま日訳)
    > 『諸々の法(事象)は、意を先行〔の因〕とし、意を最勝〔の因〕とし、意をもとに作られる。もし、汚れた意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、そののち、彼に、苦しみが従い行く&#11834;〔荷を〕運ぶ〔牛〕の足跡に、車輪が〔付き従う〕ように。
    > 諸々の法(事象)は、意を先行〔の因〕とし、意を最勝〔の因〕とし、意をもとに作られる。もし、清らかな意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、そののち、彼に、楽しみが従い行く&#11834;影が離れないように。』

    > https://suttacentral.net/dhp1-20/jpn/kansai?lang=en&reference=none&highlight=false

    中村元訳 真理の言葉 第一章 ひと組みずつ 

    1ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。──車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
    2ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。──影がそのからだから離れないように。

    同じパーリ原文からの日本語訳のはずです。

    sukham は、楽。    
    anveti は、従い・行く ですね。

    しかしここで注意が必要なのは、関西パーリ語実習会訳の「楽しみが従い行く」という処です。
    中村元訳の「福楽はその人につき従う」と同じ箇所の訳文ですが、こちらの方が適しているように思います。

    なぜならば、もし、清らかな意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、次に「楽しみが従い行く」では、仏陀の教えに適合しません。

    楽しみには貪り(渇愛)が潜在し、楽しみから生じる歓喜は、苦の根本(中部1経 根本法門経)だからです。

    この場合には、楽しみではなくて、心境として楽な状態だと思いますので、福楽の方がニュアンスとしては適合しているように思います。単純に「楽が従いゆく」で良いようにも思いますが。

    > 想受滅定はその意行そのものも滅してしまう境地なのかなと思いました。

    そうですね。何もない、何もないもない。(非想非非想)という、次の世界観での最終のどん詰まりの境地です。仏陀が説いた境地の中で、これ以上の安定した境地はありませんので、ここで終了です。

    > 十二因縁も思い出しました。
    > wiki『十ニ因縁』より
    > 『無明が滅すれば行も滅し、.......生存が滅すれば出生も滅し、出生が滅すれば老いと死、憂い、悲しみ、苦しみ、愁い、悩みも滅する。このようにしてすべての苦の集まりが滅する、と。』

    仏典によると、この場合の無明は「四聖諦を知らないこと」なのですね。

    レスをありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■38607 / inTopicNo.8)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2024/09/05(Thu) 21:44:32)
    兄上さま、こんばんは(^O^)

    No38596
    > 身行は、出入息(呼吸)。
    > 口行は、尋伺(思考)。
    > 意行は、想と受(想念と感受)。
    >
    > 出入息(呼吸)は、身と関係するので身行です。
    > 尋伺(思考)は、言葉を発する前に人は思考するので口行です。
    > 想念と感受は、心に直結するので意行です。

    > 上記は、三行の基本的な分類のようですが、これを涅槃や解脱に役立つ正法(善法)に当てはめてみると、

    > ・善法(離殺生・離偸盗・離邪淫・離妄語・離両舌・離悪口・離綺語・無貪欲・無瞋恚・正見)
    >
    > 上記、善法の中の
    > 身行(身と関係)は、離殺生・離偸盗・離邪淫です。
    > 口行(尋伺→言葉)は、離妄語・離両舌・離悪口・離綺語です。
    > 意行(心に直結)は、無貪欲・無瞋恚・正見です。
    >
    > 正法とは逆の不善法(悪法)で書いてみますと、
    >
    > ・不善法(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見)
    >
    > 身行(身と関係)は、殺生・偸盗・邪淫です。
    > 口行(尋伺→言葉)は、妄語・両舌・悪口・綺語です。
    > 意行(心に直結)は、貪欲・瞋恚・邪見です。
    >
    > そして仏典内には、殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見等の定義の記載がありますので、梵行(学得や八支聖道)等の実践により、不善法から善法に移行する事柄の記載があるようです。
    >
    > そして心に直結する意行(想念と感受)=(貪欲・瞋恚・邪見)の罪が一番大きいと、仏典内で仏陀は説いています。
    >
    > 想念と感受、、略して想受で、これの滅尽という事で、想受滅です。
    >
    > 同時に梵行でこの意行(想念と感受)を滅尽できた場合に、梵行は終了します。
    >
    > この境地に至るための梵行の一つが、九次第定と表現されている瞑想です。
    >
    > ・九次第定(初禅・二禅・三禅・四禅・空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処・想受滅)
    >
    > 仏陀自身が、三行の中では一番罪が大きいと説いている意行(想念と感受)の最終的な滅尽状態が九次第定の最終の境地である想受滅ならば、私の理解では、仏陀の論理、道理は、無矛盾で破綻せずに成立しています。<


    ダンマパダの一番はじめを思い出しました。

    (関西パーリ語実習会さま日訳)
    『諸々の法(事象)は、意を先行〔の因〕とし、意を最勝〔の因〕とし、意をもとに作られる。もし、汚れた意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、そののち、彼に、苦しみが従い行く&#11834;〔荷を〕運ぶ〔牛〕の足跡に、車輪が〔付き従う〕ように。
    諸々の法(事象)は、意を先行〔の因〕とし、意を最勝〔の因〕とし、意をもとに作られる。もし、清らかな意で、あるいは、語り、あるいは、為すなら、そののち、彼に、楽しみが従い行く&#11834;影が離れないように。』

    https://suttacentral.net/dhp1-20/jpn/kansai?lang=en&reference=none&highlight=false

    想受滅定はその意行そのものも滅してしまう境地なのかなと思いました。

    十二因縁も思い出しました。
    wiki『十ニ因縁』より
    『無明が滅すれば行も滅し、.......生存が滅すれば出生も滅し、出生が滅すれば老いと死、憂い、悲しみ、苦しみ、愁い、悩みも滅する。このようにしてすべての苦の集まりが滅する、と。』

    書き込みありがとうございますm(_ _)m

引用返信/返信 削除キー/
■38596 / inTopicNo.9)  三行(身行・口行・意行)
□投稿者/ 時 -(2024/09/05(Thu) 17:34:44)
    今、いつ書けなくなるのか?を待っている状態です。その時が訪れれば、おのずと書き込みができなることを過去にも体験しています。その時は、不思議といえば不思議なのですが、何かを書き込もうとしても書き込みができなくなるのですね。何かに対する意欲の欠如なのか?文字で表現するという事への諦めの心境なのか?書かないというよりも書けなくなるのです。という事で、今回はまだ書けるようですので、書いてみます。

    三行とは、身行、口行、意行の、別の表現で、身口意と略される3つです。

    k□ya=身体 vac□=語・口 citta=心・意  sa□kh□ro=行為・行 (パーリ→日本語)です。

    k□ya sa□kh□ro で身行
    vac□ sa□kh□ro で口行
    citta sa□kh□ro で意行

    身行は、出入息(呼吸)。
    口行は、尋伺(思考)。
    意行は、想と受(想念と感受)。

    出入息(呼吸)は、身と関係するので身行です。
    尋伺(思考)は、言葉を発する前に人は思考するので口行です。
    想念と感受は、心に直結するので意行です。

    上記は、三行の基本的な分類のようですが、これを涅槃や解脱に役立つ正法(善法)に当てはめてみると、

    ・善法(離殺生・離偸盗・離邪淫・離妄語・離両舌・離悪口・離綺語・無貪欲・無瞋恚・正見)

    上記、善法の中の
    身行(身と関係)は、離殺生・離偸盗・離邪淫です。
    口行(尋伺→言葉)は、離妄語・離両舌・離悪口・離綺語です。
    意行(心に直結)は、無貪欲・無瞋恚・正見です。

    正法とは逆の不善法(悪法)で書いてみますと、

    ・不善法(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見)

    身行(身と関係)は、殺生・偸盗・邪淫です。
    口行(尋伺→言葉)は、妄語・両舌・悪口・綺語です。
    意行(心に直結)は、貪欲・瞋恚・邪見です。

    そして仏典内には、殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見等の定義の記載がありますので、梵行(学得や八支聖道)等の実践により、不善法から善法に移行する事柄の記載があるようです。

    そして心に直結する意行(想念と感受)=(貪欲・瞋恚・邪見)の罪が一番大きいと、仏典内で仏陀は説いています。

    想念と感受、、略して想受で、これの滅尽という事で、想受滅です。

    同時に梵行でこの意行(想念と感受)を滅尽できた場合に、梵行は終了します。

    この境地に至るための梵行の一つが、九次第定と表現されている瞑想です。

    ・九次第定(初禅・二禅・三禅・四禅・空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処・想受滅)

    仏陀自身が、三行の中では一番罪が大きいと説いている意行(想念と感受)の最終的な滅尽状態が九次第定の最終の境地である想受滅ならば、私の理解では、仏陀の論理、道理は、無矛盾で破綻せずに成立しています。
引用返信/返信 削除キー/
■38586 / inTopicNo.10)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2024/09/04(Wed) 12:29:14)
    兄上さま、お久しぶりです!

    No38581
    > カーヤ(身体)、サンカーラ(行・形成作用)という事ですので、身体と行で合わせて、身行の事ですね。ですので、カーヤ・サンカーラは、身行の事だと思います。
    >
    > この場合の身行とは、出入息(呼吸)のことです。
    >
    > 中部経典44経 小有明経に
    >
    > ・何が身行なのでしょうか?
    > ・出入息が身行です。
    > ・では、なぜ出入息が身行なのでしょうか?
    > ・出入息は、身の諸法であり身に結ばれています。ですから、出入息は身行なのです。
    >
    > という一説があります。<


    わぁ、小有明経は以前兄上にお経の存在を教えていただいた記憶があります。
    ( ;∀;)
    ※光明寺経蔵様訳・「小有明経」(『中部』44)
    https://komyojikyozo.web.fc2.com/mnmlp/mn05/mn05c08.files/sheet001.htm


    >>彼らはこのように学びます
    >>「身体のプロセス(カーヤ・サンカーラ)を静めながら息を吸おう。」と。
    >>彼らはこのように学びます。
    >>「身体のプロセス(カーヤ・サンカーラ)を静めながら息を吐こう。」と。
    >
    > 「私は出入息を鎮めつつ入息しよう」と修習し、「私は出入息を鎮めつつ出息しよう」と修習します。
    >     ↓
    > 「私は呼吸で、静かに入息しよう」と修習し、「私は呼吸で、静かに出息しよう」と修習します。
    >
    > という意味だと、私には理解できますが。

    ありがとうございます。そのように理解しますね(o^―^o)

    > 水泳の喩をされていますが、そういう事だろうと思います。仏典内の言葉は文字としては表現でき、そして言葉(文字)としての理解ができたとしても、それだけでは単に言葉(文字)を記憶するだけで何の役にも立ちません。そして実践を伴った体験を自らものにした感覚は、そっくりそのままは言語(文字)化できません。仮にもしも言語(文字)化できたとしても、その体験(理解)がそのままお相手に伝わるとは限りません。といいますか、伝わらないと考えた方が正解でしょうか。
    >
    > 水泳でもテニスでも瞑想でも同じだと思いますが、その方法を言葉で理解するだけでは、それを知ったことにはなりませんね。言葉(文字)だけの理解ではなく、自らの体験を伴っての初めて理解だと思います。
    >
    > 要は、仏典を文字として読み理解しつつ、その内容を自らの体験を通して体得するしかないでしょう。自燈明法燈明です。<

    はい。自分で確かめられるとする『自燈明法燈明』というポイントがいいなぁ〜と改めて思いました。
    兄上さま、書き込みありがとうございます(^^♪
引用返信/返信 削除キー/
■38581 / inTopicNo.11)  Re[57]: 中部経典62経「大ラーフラ教誡経」
□投稿者/ 時 -(2024/09/04(Wed) 09:28:12)
    2024/09/04(Wed) 10:10:01 編集(投稿者)

    pipitさんへ。こんにちは。

    No38559に返信(pipitさんの記事)

    > (pipit感想)
    > 水泳の本だけを読んでるだけでは、実際に泳いだ時の身心に起こる現象を把握するのは難しいように、瞑想についてのお経も実体験がないと理解は難しいだろうと自分では考えています。
    > カーヤ(身体)サンカーラ(行・形成作用)も、多義な気もするしなぁ

    > 瞑想ほぼしてないpipitにはわからない世界で、誤訳してたらすみませんm(_ _)m(T ^ T)

    誤訳といいますか・・上記の訳文でpipitさんご自身の理解に至るのであれば、それで良いと思います。

    カーヤ(身体)、サンカーラ(行・形成作用)という事ですので、身体と行で合わせて、身行の事ですね。ですので、カーヤ・サンカーラは、身行の事だと思います。

    この場合の身行とは、出入息(呼吸)のことです。

    中部経典44経 小有明経に

    ・何が身行なのでしょうか?
    ・出入息が身行です。
    ・では、なぜ出入息が身行なのでしょうか?
    ・出入息は、身の諸法であり身に結ばれています。ですから、出入息は身行なのです。

    という一説があります。

    > 彼らはこのように学びます
    > 「身体のプロセス(カーヤ・サンカーラ)を静めながら息を吸おう。」と。
    > 彼らはこのように学びます。
    > 「身体のプロセス(カーヤ・サンカーラ)を静めながら息を吐こう。」と。

    「私は出入息を鎮めつつ入息しよう」と修習し、「私は出入息を鎮めつつ出息しよう」と修習します。
        ↓
    「私は呼吸で、静かに入息しよう」と修習し、「私は呼吸で、静かに出息しよう」と修習します。

    という意味だと、私には理解できますが。

    水泳の喩をされていますが、そういう事だろうと思います。仏典内の言葉は文字としては表現でき、そして言葉(文字)としての理解ができたとしても、それだけでは単に言葉(文字)を記憶するだけで何の役にも立ちません。そして実践を伴った体験を自らものにした感覚は、そっくりそのままは言語(文字)化できません。仮にもしも言語(文字)化できたとしても、その体験(理解)がそのままお相手に伝わるとは限りません。といいますか、伝わらないと考えた方が正解でしょうか。

    水泳でもテニスでも瞑想でも同じだと思いますが、その方法を言葉で理解するだけでは、それを知ったことにはなりませんね。言葉(文字)だけの理解ではなく、自らの体験を伴っての初めて理解だと思います。

    要は、仏典を文字として読み理解しつつ、その内容を自らの体験を通して体得するしかないでしょう。自燈明法燈明です。
引用返信/返信 削除キー/
■38561 / inTopicNo.12)  田秋さんへ
□投稿者/ pipit -(2024/09/02(Mon) 23:08:21)
    2024/09/03(Tue) 07:22:51 編集(投稿者)

    No38560に返信(田秋さんの記事)
    > こんばんは、pipitさん。横レス失礼します。
    >
    > >水泳の本だけを読んでるだけでは、実際に泳いだ時の身心に起こる現象を把握するのは難しい
    > 全くその通りだと思います。
    >
    > 「百聞は一見に如かず」とはよく言ったものです。ただ
    >
    > 実際に経験する前に、読んだり聞いたりすることによって得られた知識が、そこで「示されているもの」を感知する手助けになるってことはあると思います。

    田秋さん、こんばんはー(^ ^)

    よく考えてみれば、この経典は釈尊が息子のラーフラに、まさに田秋さんのおっしゃるようにガイドとして説いているものだなぁと思いました。

    あと、実際体験した時に「このことをあのように言ってたのか!」と思えるようになれればいいなと憧れています。

    田秋さん、書き込みありがとうございます♪
引用返信/返信 削除キー/

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