| >それでね、私は意識とは、目覚めているときの、五感で世界と接しているときのクオリアであって、対象を言語化しているもの。
なるほど〜〜〜♪
・・・と思ったけれど、「目覚めているときの」「五感で世界と接しているときの」「クオリア」 そして「対象を言語化している」。
あらためて、
・・・また、なるほど♪と思いました。
意識は「大海」の中の「孤島」なんですね。
・・・ちがうか、 「大海」に浮かぶ「孤島」なんですね。
その例えには大いに納得なのですが、
欲を言えば自分の場合「孤島」よりもっとあいまいなモノ ・・・水母なす漂える、みたいな感じですかね。
・・・脈絡なくずっと以前に読んだことのある内容が思い出されて、
その内容というのが、手術台にいる患者の脳のどこかを刺激したら 患者が歌を歌いだした。 医師かスタッフが患者に「今どこにいるのですか?」と聞いたら 「(ふるさとの?なじみのある?俗に云う「懐かしい」)野原にいて とても気持ちが良いと答えた。
その時は、なんとなくその話に納得していましたが、今は、
・・・ふと、この患者は眠っているのか、目覚めているのかと思いました。
・・・何を言いたいのか自分でもわからなくなっていますが( ;∀;) 意識は無意識の見せる影かも知れないかな、・・・なんて。
あ。ごめんなさい。影=形、姿 ぐらいに思っていただければ幸いです。
関係ないのですが、
名くはしき稲見(いなみ)の海の沖つ波千重(ちへ)に隠(かく)れぬ大和島根(やまとしまね)は
の歌が連想されてしまって。
千重、・・・幾千もの重なり、つまり「永遠」ですね。
動くようで動かない場面。
不思議な感覚なのですけれど、分かっていることは永遠に隠れた。
意識と無意識にどう関係があるのかって?
あ〜〜〜聞かないで♪
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