| パニチェさん、先日はありがとうございました。 それから、横レス失礼します。
■No30942に返信(パニチェさんの記事) > 2023/06/03(Sat) 21:48:00 編集(投稿者)
> 箱を開けるまでは猫の生死は分からない→生きている猫か死んでいる猫が箱の中にいるはずだが、箱を開けてみるまではどちらの猫がいるかは(猫の生死は)分からない。 > > というのが「シュレディンガーの猫」ではなく。。。 > > > 量子力学が正しいとすれば、箱を開けた瞬間(観測した瞬間)に猫の生死が決まり、それまでは猫が死んでいる状態と猫が生きている状態とが箱の中で共存しているってことになるからおかしいだろ?ってのが「シュレディンガーの猫」です。 > > > > 「月は私たちが見ていようが見ていまいがそこにある」というアインシュタインや私たちの常識は、ミクロ(量子力学)では通用しないってことです。
『量子力学の多世界解釈』和田純夫 著 p213〜に、シュレディンガーの猫についての記述があり、再度読んでみました。
=== 人間の認識がからむことで初めて、世の中で何が起きているかが決まるというふうにしか考えられない、という主張を量子力学のなかでしたのがノイマンという人で、コペンハーゲン解釈と区別するために、ノイマンのほうは「標準解釈」と呼ばれたりもしている。 こうした主張に疑問を投げかけた一人が量子力学の創始者の一人であるシュレディンガーで、ノイマンの主張の奇妙さを強調するために、シュレディンガーの猫という思考実験を提出した。
人間が箱を開けて確認するまでは、生きている猫と死んでいる猫という状態が共存しているということになる、という主張になるのは受け入れがたい、というのがシュレディンガーの考え。
いったいどの時点で波の収縮が起きるのか、というのの解釈の違いが根本にある。 ===
以上、同書から理解したことを自分の文章として書いてみました。
量子力学の中でも、主張は少しずつ違っているというのがおもしろく感じます。
相変わらず私にとっては難しい話ばかりなのですが、なんとも今、とりつかれているかのように(笑)、興味が向いてしまいます。 もう少しとりつかれていようかと思います。 というご報告ですので、スルーいただいても大丈夫です。^^
|