| 私が自分を動物に例えるのは、孤独感を和らげたいからです。 昔の彼女が麒麟だったら、私はグズリ(貂熊)のような奴だったよ。 悪の研究で、周りが全て変人だったら、自分も変人である方が普通だと導いた。 それと同じで、全ての人間を私は動物に例える。
私の幼少期はアルマジロであったと思う。 次にクソガキになっていき、グズリになった。 その後、石橋を叩いて渡る事を嫌い、猛禽類の隼・鷹に憧れ 今はトラウマを排除しようと火の鳥に進化した。 ポケモン顔負けの進化である。
しかし、火の鳥になるというのは、矛盾している事に辿り着いた。 トラウマを消すために火の鳥にしたんだが、 トラウマを越えるには本能にあらがう事だという事。 火の鳥になったつもりで、トラウマを消失したつもりでは、また元のまま。
隼になった切欠は、石橋を渡りたくないためである。 ならば、火の鳥は、どんな橋を飛び越えるのか?となる。
綺麗な金魚が水槽から飛び出し、火の飛び込む必要性があるという事… その火は何か? 安全な場所で自分が認めない人生を歩む苦しみよりも、 ジャングルに飛び込んで、自分が思い描く人生を送る事…、に近いかな。 手作りの人生を送り、自分の心を入魂させたいという事か。 これは俺が送りたかった人生ではないという事。自分の物語ではないという事。
因果律の再構築
今現在の私は、ある因果の流れで、トラウマが本能の刻まれており、 そのトラウマを消失させるには、私という名の糸を解し(ほぐす)、 病原を撤去させる必要があるという事。
私は篩にかけられた人生が本当だが、 篩にかけられなかった人生にするため、因果律の再構築が必要になったという事。
自分という名の糸を紡ぎ、解し、宇宙に存在する因果のベクトルを 好きなように選択し、本能に刻み込まれたトラウマを無かった事にする事。 つまり、火の鳥は、時間の壁、死の壁を飛び越える事…かな。
しかし、そうなると…
自分が刻んできた歴史と、自分の生きる意思は別個?
本気で品質をやらんといかんな。 自分が刻んだ歴史が嘘ではいかんという事で…。
|