| [16] 隣人愛について
・・・・・ 18 ところで、この友人にとってかつて世界が繰り広げられたように、いまや 彼にとって世界は再びもろもろの円環に巻きおさめられる、悪による善の 生成として、偶然からする諸目的の生成として。 ・・・・・『ツァラトゥストラ』上 ちくま学芸文庫 p112より引用
以下、この18についての訳注p384より引用します。
・・・ 世界が個別と普遍との相互転換において、円環(同じものの永劫回帰)的な全体的関連として把握され、かくて善と悪との密接不可分な関連、人間という偶然からする超人という目的の生成が認識される。 ・・・
18での「友人」「彼」というのは、ツァラトゥストラ自身のことだと考えます。 前回の読解にて、この章においての「友人」というのは、ツァラトゥストラ自身が含意されている、と訳注にあったと書きました。 ここでの「友人」もその訳注の解釈での「友人=ツァラトゥストラ」でいいと考えます。
18について。 ツァラトゥストラが超人となるまでの過程で、彼の世界に対する観方が変化したということが述べられているのだと読みました。
世界から自分に向かって起きてくる、あらゆる苦悩に満ちた出来事であれ、愉しさであれ、それが人間にとって悪と考えられるものであれ、善と考えられるものであれ、それらは避けられないもので、そうしたことが繰り返されるのが生きるということだと受け止め生きていく。
善からも悪からも学ぶというか、自分にとって心地よかった、楽しかった、感動したという経験と同じように、不快、悲しみ、苦しみといった経験も、当然ながら人を成長させていくもので、生きるというのはそうしたことから離れられるものではない。 世界から起きてくる様々なものを、肯定的に受け止めて生きていくことが超人への道となっている。
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