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■5686 / inTopicNo.25)  構想力についての参考資料の一つとして
  
□投稿者/ pipit -(2020/08/28(Fri) 22:35:43)
    冨田恭彦先生著
    『カント入門講義』ちくま学芸文庫
    p257、258より引用します。

    冨田先生の解説文の引用です。
    『想像と想像力

    カントは右の引用箇所で、概念の「構成」を「概念に対応する直観をアプリオリに描き出すこと」と説明していました。
    どこに描くかというと、「想像」によって心の中に描く、というのがその一つです。

    「想像」というのは、ドイツ語では‘Einbildung’(アインビルドゥング)で、公用語のラテン語では‘imaginatio’(イマーギナーティオー)、これが英語に入ると‘imagination’(イマジネイション)となります。

    「イマーギナーティオー」というのは、心の中に‘imago’(イマーゴー、「似たもの」、「像」)を作ることです。
    そういう意味の言葉ですから、感覚作用も、それが外的なものになんらかの仕方で対応した像を心の中に作るということから、かつてはそれも「イマーギナーティオー」と呼ばれることがありました。
    一七世紀後半に活躍したジョン・ロックも『人間知性論』の一六七一年の草稿の中で「イマジネイション」を感覚に対して使用することがあるのはそのためです。

    ですが、そのようなもともとの使われ方と並行して、今私たちが「想像する」と言うときにしばしばそうである、「考えてみる」に近い用法も、行われるようになります。

    当面の文脈では、「心の中に像を作ること」として、言い換えれば心の中に「心像」を作ることとして、「想像」という言葉を理解していただく必要があります。
    カントが使っているのはドイツ語の「アインビルドゥング」(Einbildung)ですが、その中に含まれている「ビルド」(Bild)はまさしく「像」のことであり、「アインビルドゥング」は「心の中に像を作ること」、あるいはそのようにして作られた「心像」を意味します。

    英語の‘imagination’(イマジネイション)は「想像すること」とともに「想像する力」つまり「想像力」をも意味します。
    カントが使うドイツ語の場合、「想像力」にあたるのは‘Einbildungskraft’(アインビルドゥングスクラフト)です。』
    引用終了

引用返信/返信 削除キー/
■5685 / inTopicNo.26)  Einbildungskraft
□投稿者/ pipit -(2020/08/28(Fri) 22:02:40)
    悪魔ちゃんへ

    > わたしもいまカントの言う「感性」についてあれこれ考えてるんだけど、じょうずに表言できそうになったら書かせてもらうね。<

    楽しみにしてます(^ ^)

    > メルロの書物のなかでは、「主知主義」っていう訳語が使われてる。
    > わたしデカルトやカントの主義のことだと思ってる。<

    カントは感性のことはすごく大切に思ってるように私は今のところ思ってるんだけど、
    年月とともにだんだん、その比重が小さくなってしまったように思える箇所もでてくるのかもしれないね。
    またいろいろ勉強していってみるね。


    > ちょっと教えてもらっていい?
    > 日本語で「構想力」って訳されているの、ドイツ語ではどういう語だっけ?<

    黒崎先生の本(p143)とカント事典(p168)みてみたよ

    ドイツ語で、Einbildungskraft って書いてあったよ (^ ^)

    この単語を解説してる、冨田恭彦先生の文章を次の投稿で引用するね。

引用返信/返信 削除キー/
■5683 / inTopicNo.27)  Re[41]: pipitさんへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/28(Fri) 20:54:18)
    pipitさんの思考の途中、お邪魔しま〜す。

    わたしもいまカントの言う「感性」についてあれこれ考えてるんだけど、じょうずに表言できそうになったら書かせてもらうね。

    メルロの書物のなかでは、「主知主義」っていう訳語が使われてる。
    わたしデカルトやカントの主義のことだと思ってる。

    ちょっと教えてもらっていい?
    日本語で「構想力」って訳されているの、ドイツ語ではどういう語だっけ?
引用返信/返信 削除キー/
■5674 / inTopicNo.28)  Re[40]: 黒崎政男先生の本
□投稿者/ pipit -(2020/08/28(Fri) 18:57:59)
    >黒崎先生は、この一つの根が構想力やったら、人間の認識は構想力一元論ということになる、と言ってるのではないかと。
    しかしですね、
    カントはもっと単純に、
    【人間の能力】から、感性と悟性の二本の幹が発生してる、と考えてただけかもしれないですよね。<

    唯識論のことは知らないんだけど、
    構想(想像)力一元論だと、なんとなく、唯識論を思い浮かべてしまうんですよね。

    知らない、のに、思い浮かべててるので、
    全然違うかもですね(^_^;)

    と書いてて、めちゃ違いそうな気持ち起こってきました (ー ー;)


引用返信/返信 削除キー/
■5673 / inTopicNo.29)  黒崎政男先生の本
□投稿者/ pipit -(2020/08/28(Fri) 17:08:38)
    いろんな皆様こんにちは(o^^o)

    読解中の『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生著、
    p155の途中から。

    まずは、黒崎先生が何を言ってるのかの理解にチャレンジ。

    カントの序論を読んで、もし記述の通り、感性と悟性が共通の根から発してるとするならば、
    感性と悟性の二元論は崩れて、
    根源的な未知の根一元論になるだろう、とのこと。

    黒崎先生が本中で引用してた部分を含む、中山元先生訳の序論の最後を抜粋します。

    『純粋理性批判1』カント、中山元先生訳、p63.64より引用。
    『(略)導入のためのこの序論としての役割においては、人間の認識には二つの〈幹〉があることを指摘しておくだけで十分であろう。
    この二つの〈幹〉とは感性と知性[=悟性]であり、これらはおそらく、まだわたしたちには知られていない一つの共通の〈根〉から生まれてきたものである。
    感性によって、わたしたちに対象が与えられ、知性によってこの対象が思考されるのである。

    そして感性にはアプリオリな像[=表象]が含まれているはずであり、このアプリオリな像によって、わたしたちに対象が与えられるための条件が作りだされるのであるから、感性は超越論的な哲学に含まれるものとなろう。

    こうして超越論的な感性論が、原理論の第一部門とならねばならないだろう。
    認識の対象は、ただ感性の条件のもとで与えられるのであり、その条件は、その対象が思考されるための[知性の]条件よりも前に考察しなければならないからである。』
    引用終了

    pipitの今の感想。

    黒崎先生は、この一つの根が構想力やったら、人間の認識は構想力一元論ということになる、と言ってるのではないかと。
    しかしですね、
    カントはもっと単純に、
    【人間の能力】から、感性と悟性の二本の幹が発生してる、と考えてただけかもしれないですよね。


    一つの根を、なぜ構想力と考える人たちがいるか、ということを、
    今から黒崎先生なりの証拠をあげて、論述していくのでしょうね。

    次は、155の終わりらへんから。
引用返信/返信 削除キー/
■5593 / inTopicNo.30)  Re[38]: 「これが現象学だ」
□投稿者/ おくったがわ -(2020/08/26(Wed) 21:19:32)
    No5520に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    こんばんは。

    > >「これが現象学だ」ではメルロ=ポンティはあまり扱われてなく「身体」についてもテーマにされてないようです。<
    >
    > あら、残念。

    knowingさんご指摘のとこに書いてありました。
    自分の記憶力の無さは分かっているので目次を確認した上で「テーマにはされてないよう」と慎重に書いておいたので修正はしません。
    という言い訳は置いといて、
    自分にとって面白いところを引用します。悪魔ちゃんは知ってる基本でしょうが、打つと自分が憶えるので

    『・・触覚は対象との接触で生じるからである。触角は近感覚である(視覚は遠感覚-okt)。この場合、意識自身の運動感覚を主観的、対象の知覚を客観的と呼ぶならば、接触面では、その両方が生じることになる。接触面は、主観的でもあり客観的でもある。接触面は、そういうものとして構成されるのである。そして、もろもろの接触面が綜合された体系こそが身体である。かくして、いささか固く言えば、触覚的キネステーゼ意識が触覚的におのれを感覚するシステム全体が、主観的でも客観的でもある身体として構成されるのである。身体が、(意識の働きと区別がつかないほどに)主観的であるとともに(一種の物のように)客観的でもあるという二重性格をもつのは、このような構成の仕組みによる。』



    身体は主観かつ物夏深し  (俳句で憶える現象学)
引用返信/返信 削除キー/
■5556 / inTopicNo.31)  また別の考え方として
□投稿者/ pipit -(2020/08/26(Wed) 09:13:43)
    下記引用(No5499)とは別の考え方を一つ。
    (実際に知るまでは、自己観察とはならない、仮説となる考え方)

    顕在意識以外の領域で作られた、すでに対象となったものが、顕在意識として現れている、という考え方。

    見てるものは、もうすでに整理されて出てきている。

    感受、と、現象、の間に、工程が入ってる。

    ある種の概念的にまとめられたものが、意識的に知る対象として、提出されている。

    記号化したものを、見ている。聞いている。

    わたしは見たものを意識で記号化してると思い込んでるが、
    実は既にある種の記号化されたものを見て、それをまた記号化操作している可能性。

    カントにとっては、上記のような思考も途中であらわれてきてるんじゃないかな、と勝手に思った。
    勝手な感想だから全然違うかもだけど、感想を書きます。

    カント解釈がとてもややこしくなるのは、そういう考察の深化も、要因の一つになってるんじゃないかなぁって。

    感じたもの(直観)を思考(概念操縦)して、客観的妥当性のある認識を人間は共有し得る。
    はじめはその単純でスッキリとした構図から始まるけど、
    途中で、すごくややこしくなってくる。
    直観、と、概念、が実は、、、一つの根から出ており、その根とは、感性悟性両性具有の構想力(想像力)である、とか、悟性が結局は感性的直観までも影響してる、とか、
    読者によるカント哲学の解釈も錯綜してそう。
    (カント自身は、一つの根が構想力とはどこにも明言していなく、解釈者の解釈のようです。この先勉強予定です。)

    それでまた、今の段階で勝手に思うことは、
    整えられたものが顕在意識に現象として現れる時、
    整える工程で使われているのが、純粋悟性概念ではないかと、思いました。
    純粋悟性概念で印象操作されたものが、顕在意識となっている可能性を思いました。
    これは検証できない限り(pipitは瞑想などで検証できる可能性もあるのではないかと考えています)仮説となります。

    カントは、純粋悟性概念の直観への適用が正当性を持つことを、演繹論で証明(カントにとっての証明)をしているようですが、
    この演繹という言葉は、哲学用語ではなく、法律用語からの言葉の意味でカントは使っているそうです。
    その時の意味は、権利の主張、みたいな。(記憶で書いているので間違えてたらすみません)

    『純粋理性批判』は理論理性を裁く法廷で(裁くものがまた理性ということにおいて、めちゃめちゃ難しい裁判だ、的なこともカントは言ってるかも、いいかげんな記憶ですみません、興味ある方は言ってもらえれば確認します)
    その裁判過程で演繹論(純粋悟性概念の正当性の権利主張・権利が認められるための弁明)がでてくる、
    仮説だから、権利証明(弁明)と表現してる可能性もあるんじゃないかな(違うかもだけど)、と、
    そんなイメージを今の段階では持ちました。

    全然カント哲学の解釈を、pipitがはずしていたら、すみません m(_ _)mm(_ _)m


    >■No5499に返信(pipitさんの記事)
    > 知覚(主観)から客観物のイメージを作る。について、自分を観察してみたよ。
    >
    > @
    > 目の前の景色から、赤色の領域を、対象と決め、既に設定済みのトマトに分類する。
    >
    > A目を瞑って、イメージを作れるか試してみる。
    > 手を出して、冷たいものに触れ表面をなぞる。
    > 誰かが、トマトだよ、と教えてくれていたら、トマトという概念は、触れることにより作れるかもだけど、それがないと、持ち上げ匂いを嗅いだりしてみる。
    >
    >
    > 気がついたこと。
    >
    > 対象としては、感じられるうちの(←主観)、感じ方の差異を境界線として、分別している。
    > 主観のうちの差異をもとに客観と思われるものを作成する。
    >
    > さて、この、主観がどのように現れてるのか。
    >
    > 客観物として作成したものと全く同じものが、そのまま主観の外に存在し、
    > 主観に象として現れてる、のか。
    >
    > よく似たものが外に存在し、感性能力を通すことでちょっとだけ違った象が主観に現れてる、のか。
    >
    > 個人的に気が楽なのは、この上記二つだな。
    >
    > 後は、それ以外、か。
    >
    > でも、カントは、このように、感性の領域外のもの(物自体)を認識対象として規定しようとすることが仮象を招くと言ってるのかな?と今の所思ってます。
    >
    > 現象として現れてるものを、規定することには、反対してないよね?<
引用返信/返信 削除キー/
■5555 / inTopicNo.32)  Re[43]: 養老先生
□投稿者/ pipit -(2020/08/26(Wed) 07:33:43)
    マジモンさん、おはようございます(^O^)

    いいですね!!
    解剖学的な授業内容なのでしょうか?



    No5547に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    > Pipitさん
    >
    > わりー、俺、養老先生の授業を受けていた人間です(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■5547 / inTopicNo.33)  Re[42]: 養老先生
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/08/25(Tue) 22:41:27)
    Pipitさん

    わりー、俺、養老先生の授業を受けていた人間です(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■5545 / inTopicNo.34)  養老先生
□投稿者/ pipit -(2020/08/25(Tue) 21:18:07)
    悪魔ちゃん、こんばんは。

    私は養老先生のこと好きだよ。
    数冊しか読んでないけど、新鮮な視点を提示してくれるよ。
    概念が私には新鮮過ぎて、頭に入らなかったとこもありそうだから、もう一回『遺言。』読もうと思ってるよ。


    https://m.youtube.com/watch?v=4796R5sxeSA
    『養老先生に甘えてモミモミ、まる。』

引用返信/返信 削除キー/
■5544 / inTopicNo.35)  Re[40]: pipiさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/25(Tue) 20:29:40)
    養老ちゃんは解剖学者よね?
    人間を解剖=ばらばらにしてそれを寄せ集めて見ようとする人じゃない?
    これにどっぷりつかっやた人。そこからしか物事を見ることができなくなっちゃ人。
    わたしこんな人の見方はあてにならない。っていうのが感想。

    >視覚系は時間を内在しない、聴覚運動系は時間を内在する、ってのが、ちょっと納得しがたいなぁ<
    同感!

    あのバカ無視していいんじゃない?
引用返信/返信 削除キー/
■5541 / inTopicNo.36)  Re[39]: 「これが現象学だ」
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/25(Tue) 18:33:42)
    ■5534、knowing itselfさま、ありがと

    そーよねー「身体性」に触れないの、これが現象学だ、なんて言えないもの。


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