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■5315 / inTopicNo.85)  Re[13]: 未知の根
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/15(Sat) 20:04:45)
    おくったがわさま
    ありがと。

    第一版の記述の仕方では他の人に誤解が生じてしまった。だから、他の人の誤解を解くために、私の”真意””を他の人に伝えたくて、第二版を書いた。

    だから、やっぱ、カントが本当に言いたかったことは第二版の方なんじゃない?

    カントが言うように
    >本書の計画の形式とその完全さについて、修正すべき点は発見できなかった<
    のだとしたら、
    >実際に内容が変わっているかどうかではなく、変わっていると解釈する学者がいるということ<
    において、「変わってると解釈する学者」はカントの真意を捉えきれてない学者さんなんじゃないかって、ってね。

    あ、ごめん。わたしカントの直接よんでないからね。
    電子本?なんか便利そう。


引用返信/返信 削除キー/
■5312 / inTopicNo.86)  Re[12]: 未知の根
□投稿者/ おくったがわ -(2020/08/15(Sat) 19:32:38)
    No5309に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    悪魔ちゃん、こんばんは。横からすいません。

    >>第二版書き換え問題<
    >なんだけど、
    >>『本書で提示した命題と、その命題の証明の根拠について、さらに本書の計画の形式とその完全さについて、修正すべき点は発見できなかった。それは本書の刊行に先だって、わたしが長い時間をかけて吟味したからであり、あるいは問題となっている事柄の性質に(略)よるからでもある。』<
    >って言ってるみたいだから、カントが本当に言いたいことは、第一版の方じゃなくて第二版の方なんじゃないかしら?
    >
    >って。

    その前の部分から続けて引用します。
    (カント.純粋理性批判 1(光文社古典新訳文庫)..Kindle版.)
    引用開始*****
    ところでこの第二版については、当然のことながら、この機会を利用して、初版で理解しがたいところを訂正し、意味のとりにくいところを改善しようと試みた。わたしにも責任はあるのだろうが、初版にあった問題点のために、初版を批評された多数の鋭い評者のうちに、誤解が生じたらしいからである。しかし本書で提示した命題と、その命題の証明の根拠について、さらに本書の計画の形式とその完全さについて、修正すべき点は発見できなかった。それは本書の刊行に先だって、わたしが長い時間をかけて吟味したからであり、あるいは問題となっている事柄の性質に(すなわち思索をこととする純粋な理性の性質に)よるからでもある。
    ******引用終わり


    ここで言う「本書」は「純粋理性批判」全般のことで、これはやはりpipitさんの言うように、初版の内容を修正すべき点はみつからなかった、という意味と読めるのではないでしょうか。
    後の部分にも、純粋理性についてのこの体系が完璧であるという自負と、第二版で変えたのは読者の誤解を解くために記述の仕方を修正しただけだと読める趣旨を述べています。


    引用開始*****
    わたしはこの体系が将来も、このように手を加えられないままで維持されることを望むものである。[わたしがそのように望むのは]自惚れからではない。十分な証拠があるのだ。[この体系の完全さを示す証拠があるというのは]純粋理性のもっとも小さな要素から出発してその全体に到達するという[前進の]道をたどった場合にも、全体から始めて(この体系の全体は、実践的な理性の最終的な目的のうちに、それ自体として示されている)、個々の部分にいたるという溯行の道をたどった場合にも、まったく同じ結果がえられることが、実験によって示されるからである。この体系のごく小さな部分でも変更しようと試みるならば、たんにこの体系のうちに矛盾が生まれるだけではなく、人間の一般的な理性そのものにおいてただちに矛盾が発生するのである。わたしはこのことからも、この体系がそのままで維持されることを願う権利があるだろう。 
    ただ、記述のしかたにはまだ多くの改善すべき点があり、この第二版ではさまざまな改善を試みた。とくに改善したところをあげるならば、まず感性論における誤解、とくに時間の概念における誤解を解消するようにした。次に知性の概念の根拠づけのうちの曖昧なところを取りのぞき、さらに純粋な知性の原則の証明における明証性の欠如(と思われたもの)をなくし、最後に合理的な心理学を批判的に考察した誤謬推論の部分についての誤解を解消するように試みた。
    ******引用終わり


    カント本人は、読者の「誤解」を解くために書き方を修正しただけだ、と言っているように思います。

    けれど、内容も変わってるやんけ、と考える学者がいる。黒崎さんもその一人、というのがpipitさんの書かれていることと思われます。(実際に内容が変わっているかどうかではなく、変わっていると解釈する学者がいるということ)



    pipitさんへ
    電子本でコピーが簡単なので余計なお世話ですが引用しました。
    後、pipitさんの考えを自分が誤解していたら訂正ください。
引用返信/返信 削除キー/
■5309 / inTopicNo.87)  Re[11]: 未知の根
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/15(Sat) 18:13:39)
    ■5305、pipitさまへ

    >『人間の認識には二つの幹、つまり悟性と感性があり、これらの幹はおそらくは、一つの共通な、しかし我々には未知の根から発している。(A15=B29、また『人間学』第三十一節参照)』『カント『純粋理性批判』入門』p155より引用<
    について、

    『知覚の現象学』の訳注に、
    〔「秘められた技術」:カントが「純粋悟性概念の図式性」について述べた言葉、「諸現象とその単なる形式に関するわれわれの悟性のこの図式性は、人間の魂の深みにある秘められた技術eine verborgene Kunstである(傍点訳者)。そこでいつの日かその真の工みをわれわれが自然から察知して、赤裸々にその姿を眼前にさらさせることは、困難なことだろう。」(Kant, Kr. d. r. Vernunft, B. S. 180-1)なおカントは感性と悟性を「二つの幹」と呼び、「恐らく共通の、しかしわれわれには未知の根基から発出する」ものとなしている(Vgl. Ibid., B. S. 29)。この未知の根基をハイデガーは「想像力」と見なす。〕
    ってあったよ。

    わたしの感想なんだけど、
    カントは意識の働きを「感性」と「悟性」に分節しているのね。そして意識の働きに「総合」っていうのあるから、この両者を結びつける“何か”があるはず、って思って、それをどういう名で呼ぼうとも「未知の根」(メルロでは「秘められた技術」)なんじゃないかな?
    でもね、わたし、意識の働きって「感性」「悟性」だけじゃないと思うんね。

    それと、
    >第二版書き換え問題<
    なんだけど、
    >『本書で提示した命題と、その命題の証明の根拠について、さらに本書の計画の形式とその完全さについて、修正すべき点は発見できなかった。それは本書の刊行に先だって、わたしが長い時間をかけて吟味したからであり、あるいは問題となっている事柄の性質に(略)よるからでもある。』<
    って言ってるみたいだから、カントが本当に言いたいことは、第一版の方じゃなくて第二版の方なんじゃないかしら?

    って。

引用返信/返信 削除キー/
■5305 / inTopicNo.88)  Re[10]: 黒崎政男先生の本
□投稿者/ pipit -(2020/08/15(Sat) 16:44:07)
    p155〜

    黒崎先生の本を離れて、まず、表面的なことから述べます。

    第二版書き換え問題、などと、問題視されることの多い改訂のことなのですが、

    カント本人は
    『本書で提示した命題と、その命題の証明の根拠について、さらに本書の計画の形式とその完全さについて、修正すべき点は発見できなかった。それは本書の刊行に先だって、わたしが長い時間をかけて吟味したからであり、あるいは問題となっている事柄の性質に(略)よるからでもある。』『純粋理性批判 1』中山元先生訳、p185.186、第二版 序文より抜粋引用
    と述べてます。

    つまり、カント本人は、書き換えたのは、
    『記述の方法』(同本p187)
    のみ、と主張しているということです。

    しかし、このカントの言説を鵜呑みにせず、

    めっちゃ変えてるやん、しかもなかったことにするために必死に抹消しようとしてるみたいにみえるよ、

    というようにみてる方や、また別意見の方達もいるようで、
    かくして【第二版書き換え問題】議論が生じてるように私にはみえます。

    天野貞祐先生の表現を引用すれば、
    『そこで問題が起こる。
    叙述におけるこの相違はカントの説そのものに関するやいなや、
    もし関すれば、
    両版のいずれが批判哲学の精神をより純粋に主張するものであるのかと。』
    『純粋理性批判(一)』天野貞祐先生訳、天野先生の解説『『純粋理性批判』の成立事情および第一版第二版論』部分p28より引用

    これから読んでいく黒崎先生の解説は、めっちゃ変えてるやん派の解説となる感じです。

    そのカント解釈が、カントの主張を正確に受け取ってるものなのか、
    それとも、カントが主張してないことが混ざってるカント解釈なのか、
    『純粋理性批判』を通読さえできていないpipitには、わかりませんが、
    まずは黒崎先生の文章の解読を目指して、読んでいってみます。

    というわけで、p155〜

    ここまでの考察から、黒崎先生は、カント哲学界では超有名と思われる、あの言葉を思い浮かべます。

    『人間の認識には二つの幹、つまり悟性と感性があり、これらの幹はおそらくは、一つの共通な、しかし我々には未知の根から発している。(A15=B29、また『人間学』第三十一節参照)』
    『カント『純粋理性批判』入門』p155より引用

    pipitも、お??と惹かれた文章です。
    意味深にみえますよね。
    共通の根から、悟性の幹、と、感性の幹、が発している。

    でも、黒崎先生も書いているように
    『この「未知の根」とは「構想力」のことなのだろうか。この点について、カントは決してはっきりと語ったことはないのである。』同本p155より引用

    と、カント自身では、はっきり〈一つの共通な根〉について説明してないみたいです。

    カント先生も思わせぶりですね〜
    こういうセリフもあって、余計、議論が賑やかになってしまってるように私にはみえます。

    ハイデガーやヘーゲルは、この共通の根は、第一版でカントが想定していた構想力だ、と、考えてるのかな?と
    今の段階では思っていますが、先を読んでいってみます。

    次はp155の途中から。


引用返信/返信 削除キー/
■5280 / inTopicNo.89)  黒崎政男先生の本
□投稿者/ pipit -(2020/08/14(Fri) 22:18:59)
    『カント『純粋理性批判』入門』黒崎政男先生著

    p153〜

    超越論的図式論の問い

    純粋悟性概念のもとへの経験的直観の包摂、
    つまり、
    カテゴリーの現象への適用
    はいかにして可能なのか?

    〈超越論的図式〉が両者を媒介している。

    図式は構成力の産物(A140=B179参照)

    つまり、媒介として機能しているのは、構成力
    そしてこの構成力は、感性的であり知性的である、つまり、両者の側面を保有しているのが構成力。

    ※※※※※※※※※※※※※※※※

    pipitの私見

    この感性知性の両具性ともいえる構成力の、位置付けが、、、、

    これから先に見ていくのですが、、、

    ヘーゲルやハイデガーや黒崎先生は、カントの意図を超えて読み込みすぎ、なのか、それともカントの意図を汲んでの的確な位置づけを行っているのか、、、

    ここが、微妙な気がしてます。

    んー。すごく繊細な気がしてます。
    がんばって、書いていくことにチャレンジしてみます。

    次は、p155から。

引用返信/返信 削除キー/
■5217 / inTopicNo.90)  身体
□投稿者/ pipit -(2020/08/14(Fri) 07:25:31)
    悪魔ちゃん、おはよー

    > 私と身体との関係についてだけど、
    >
    > メルロはこんな見方をしてる。
    > 【〈身体の媒介〉というものは、たいていのばあい、私によって見逃されているものである。】<

    媒介


    > 【私は私の身体の前にいるのではない。私は身体のなかにいる。いやむしろ私は私の身体である。】<

    媒介という概念、が、消えて、同体、になってるの?

    > 【身体は「世界における(への)存在」の媒体である。身体をもつということは、いきるものにとって、一定の環境に加わり、若干の企投と一体となり、らえずこれに自己を拘束するということである。】<

    あ、そうじゃないんだね
    媒体、なんだね
    媒体としての身体は、環境に加わることでもある、、、

    媒体だけど、環境にもなるということかな



    > また、『デカルト的省察』の訳注には
    > 〔空間的場所としては私が動くことによって、先ほどまでそこだった地点が今はこことなり、ここだった地点がそことなる。ところが「私の身体」(自己の身体)がここと言われるのは、それとは異なり、私がどれだけ動いても、「私の身体」はいつもここにあって、そこになることはない。それをフッサールは「絶対的ここ」と呼んだ。〕
    >
    > ってある。
    > わたし、そうだな〜、って思う。<

    うん、そうだね
    少なくとも視覚的には
    いつも、今ここから、世界の位置関係が始められている映像となっている。


    > ひとまずわたし「私」を身体と精神に分節して見ているよ。<

    うん。
    それで、身体が媒体かぁ。
    精神にとっての、環境を知ることへの媒体となるのかな

    媒体であるかぎり、わたしと身体の関係は変わらない、というかんじかな?

    環境を知る媒体として機能してるなら、形が変わっても、それは、媒介機能を持つ身体。
    足がなくなっても、精神は環境を知ることがかなうからね
    ただ、知り方が変わったりするから、
    環境自体をそのままに知るということを仮に中心に考えた場合、身体は固定した媒介ではなく、つねに条件に左右され、その場その場で機能するものなんだろうね
    身体自身も変化して、それに伴い、媒介結果も変化するイメージを私は持ったよ。


    > カントの純粋理性批判は、認識論(認識についての研究・学問)で、しかも
    > >客観に妥当する認識<
    > についてのだとわたし見てるんだけど、どうかしら?<

    シンプルに言えば、『純粋理性批判』は、
    人間の「知る」についての機能調査だと私は思ってるよ。
    その過程で、カントの考える客観に妥当する認識も、カントなりに確定していくんじゃないかな。

    人間の『知る』についての、カントなりの信用調査みたいなもんだと私は今の段階では思ってるよ。


    > ちょっと「私」で思い出しちゃたのを、
    > フッサールは、
    > 〔せっかく発見した「我」を「世界の小さな末端」と解釈してしまった、というのがフッサールがしばしばデカルトに向ける批判点である。デカルト自身「私が事物の総体(宇宙)の部分をなすに過ぎない、ということを否定することができない」(『省察』第4省察)と述べている。〕(『デカルト的省察』訳注より)<

    フッサールは、私が事物の総体(宇宙)の全体だ、と思ってるということ?


    > そして、メルロは、
    > 【フッサールが自分自身を理解するのに長い時間を要した問題はない、――また、この問題ほど彼が繰り返し繰り返し問い直した問題もない。】(『知覚の現象学』より)
    > って書いてあった。<

    フッサールは、自分自身について、繰り返し問い直し続けていた、ということ?

引用返信/返信 削除キー/
■5199 / inTopicNo.91)  Re[7]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/13(Thu) 19:11:17)
    ■5148、pipitさま
    私と身体との関係についてだけど、

    メルロはこんな見方をしてる。
    【〈身体の媒介〉というものは、たいていのばあい、私によって見逃されているものである。】
    【私は私の身体の前にいるのではない。私は身体のなかにいる。いやむしろ私は私の身体である。】
    【身体は「世界における(への)存在」の媒体である。身体をもつということは、いきるものにとって、一定の環境に加わり、若干の企投と一体となり、らえずこれに自己を拘束するということである。】

    また、『デカルト的省察』の訳注には
    〔空間的場所としては私が動くことによって、先ほどまでそこだった地点が今はこことなり、ここだった地点がそことなる。ところが「私の身体」(自己の身体)がここと言われるのは、それとは異なり、私がどれだけ動いても、「私の身体」はいつもここにあって、そこになることはない。それをフッサールは「絶対的ここ」と呼んだ。〕

    ってある。
    わたし、そうだな〜、って思う。

    ひとまずわたし「私」を身体と精神に分節して見ているよ。

    カントの純粋理性批判は、認識論(認識についての研究・学問)で、しかも
    >客観に妥当する認識<
    についてのだとわたし見てるんだけど、どうかしら?

    ちょっと「私」で思い出しちゃたのを、
    フッサールは、
    〔せっかく発見した「我」を「世界の小さな末端」と解釈してしまった、というのがフッサールがしばしばデカルトに向ける批判点である。デカルト自身「私が事物の総体(宇宙)の部分をなすに過ぎない、ということを否定することができない」(『省察』第4省察)と述べている。〕(『デカルト的省察』訳注より)
    そして、メルロは、
    【フッサールが自分自身を理解するのに長い時間を要した問題はない、――また、この問題ほど彼が繰り返し繰り返し問い直した問題もない。】(『知覚の現象学』より)
    って書いてあった。




引用返信/返信 削除キー/
■5198 / inTopicNo.92)   おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/08/13(Thu) 19:01:08)
    こんばんは(o^^o)

    >>この本は入門者向けということで、思い切ってわかりやすく書かれてるような気もしますね。
    >
    > でも後半、特にヘーゲルが出てくると自分には難しいです。前よりは分かる感じで読めたのが嬉しくて「今回は分かる」と書きましたが…。<

    私もわかりやすくと書いたけど、第3章から急に難しくなってる感じを受けています。
    しかも、書いてることがタイトというか、ページ制限なのか、
    疲れてきたのか(^_^;)、パッパッパと、要点が、少し別の要点に切り替わってたり、
    カント哲学での前提を知らないと、意味のつながりがとりにくいような気がしてます。


    >  カント関係で考えることを、また投稿させてもらえるとありがたいです。<

    めっっっちゃ大歓迎です〜
    よろしくお願いしますm(_ _)m


    > .。o0
    > カシさんという人にはかなり興味があります。こちらに来ると言われてましたが…
    > テキストリームがなくなるとき、カシさんにレスしたいことがあって、月末まで大丈夫だろうと思っていたら、早めに閉じられ、そのまま。 o(;△;)o ぴえーん<

    はい、わたしも、カシさんも気になります。
    とてもおもしろそうな方ですよね。
    カシさんはじめ、いろんな方が書き込んでくださると
    いいなぁと思っています。
    おくったがわさん、レスしたかったことがカシさん本人に伝えられるといいですね。

    ぴえん姿、かわゆすです

    ありがとうございます(^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■5158 / inTopicNo.93)  Re[6]: おくったがわさんへ
□投稿者/ おくったがわ -(2020/08/13(Thu) 09:02:17)
    No5134に返信(pipitさんの記事)
    おはようございます!

    > 無縁さんが紹介してくださって購入しました。(いろんな本を無縁さんの記事から知り購入しました。触発なり〜。大感謝!)

    そうなんですね。自分も無縁さんや他の投稿者の人が紹介している本を何冊か読んできましたが、はずれが無く面白かった!

    > 御子柴先生の本は、私見を排してカント本人の意を汲もうと努力されてる、安心、信頼、めっちゃ優しそう、で、大好きだ〜
    >
    > 黒崎先生の本は、極端に言えば自分の興味から記述されている、でもカント哲学をきちんと理解されていそう、おもしろい、で、大好きだ〜
    > です。

    大好きなんですね^^
    自分も『プロレゴーメナ』から読み解くは良い本だなぁと思ってましたが、黒崎さんのは憶えてなかった。今回読んで、良い本だったんだと分かりました。前のときは読めてなかったんですね。
    pipitさんを知っていなかったら、たぶんそのままでした。今でも様々なジャンルで名前の出てくるカントなのに、触れずじまいだったでしょう。感謝感謝です。

    > この本は入門者向けということで、思い切ってわかりやすく書かれてるような気もしますね。

    でも後半、特にヘーゲルが出てくると自分には難しいです。前よりは分かる感じで読めたのが嬉しくて「今回は分かる」と書きましたが…。

     カント関係で考えることを、また投稿させてもらえるとありがたいです。


    .。o0
    カシさんという人にはかなり興味があります。こちらに来ると言われてましたが…
    テキストリームがなくなるとき、カシさんにレスしたいことがあって、月末まで大丈夫だろうと思っていたら、早めに閉じられ、そのまま。 o(;△;)o ぴえーん
引用返信/返信 削除キー/
■5148 / inTopicNo.94)  Re[7]: 純粋理性批判
□投稿者/ pipit -(2020/08/12(Wed) 21:16:48)
    悪魔ちゃん、こんばんは!

    ↓は、第二版のだよ。

    > >『認識が対象とどのような方法で、あるいはどのような手段で関係するかを問わず、認識が対象と直接に関係するための方法は直観であり、思考するためには、その手段として直観を必要とする。しかし直観しうるためには、対象がまずわたしたちに与えられねばならない。少なくとも人間においては、対象が与えられるためには、対象が必ず何らかの方法で人間の心(ゲミュート)を触発しなければならない。わたしたちは対象から触発されるという方法で、対象の像[=表象]をうけとるのであるが、この像をうけとる能力(受容性)は、感性と呼ばれる。(略)』<
    >
    > ありがと。なんかわかりやすい。
    > ところで、これって、第一版の?
    >
    > 認識において、「思考」の前提に「感性」がある、っていうことよね?

    客観に妥当する認識には、思考と感性の協働が必要(必ず感性が必要)ということだと、私は思ってるんだけど、
    この、前提、というのが、ものすごく微妙に揺れている感じに予感してるよ。
    今、読んでいる黒崎先生の本は、多分そこらへんのことも出てくると思ってる。
    理解する努力をしてみるね。


    ところで、悪魔ちゃんに聞いてみたかったんだけど、
    身体が「私」と思ってる?

    その場合、もし事故などで、片足を切断しなくてはならなくなったら、
    切断した後の、「私」と「身体」の関係を、どう考えてるのか教えてくれる?

    身体が私、と思ってるとしたら、どう考えるのかな、と、興味が出て。

    それとも、身体が私、とは、悪魔ちゃんは思ってないかな?



引用返信/返信 削除キー/
■5144 / inTopicNo.95)  Re[6]: 純粋理性批判
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/08/12(Wed) 19:44:03)
    pipitさま

    >『認識が対象とどのような方法で、あるいはどのような手段で関係するかを問わず、認識が対象と直接に関係するための方法は直観であり、思考するためには、その手段として直観を必要とする。しかし直観しうるためには、対象がまずわたしたちに与えられねばならない。少なくとも人間においては、対象が与えられるためには、対象が必ず何らかの方法で人間の心(ゲミュート)を触発しなければならない。わたしたちは対象から触発されるという方法で、対象の像[=表象]をうけとるのであるが、この像をうけとる能力(受容性)は、感性と呼ばれる。(略)』<

    ありがと。なんかわかりやすい。
    ところで、これって、第一版の?

    認識において、「思考」の前提に「感性」がある、っていうことよね?
引用返信/返信 削除キー/
■5134 / inTopicNo.96)  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/08/12(Wed) 09:01:39)


    おくったがわさん、こんにちは!

    > こんばんは。黒崎さんの純粋理性批判入門は前に図書館で借りて、引っかかってる部分がありながら返却してそのままだったので、この機会にまた借りて来ました。せっかくなのでもう一度最初から読みました。
    > 前のときはpipitさんのトピを知るより前、カント初体験で、読んでもたぶんよく分かってなかった(というか論理学関係で気になった一部分を除いてほとんど憶えてなかった(x_x;)
    > ところがなんと\(・_・、)今回は分かる(つもり)。pipitさんの投稿に触発されて考えたり調べたりしてきたおかげです。純粋統覚、カテゴリー表、アプリオリな綜合判断etc. このトピで触れて考えていたおかげ。本で読んだだけではすぐ忘れるし。
    > カントが社交的だったとか、他の哲学者の思想を理解できなくて友人に代わりに読んで説明してもらっていたとか。面白い逸話も憶えてなかった。
    > 黒崎さんの純粋理性批判入門はたぶんエフニさんやツバメさんが好きな本です。<

    無縁さんが紹介してくださって購入しました。(いろんな本を無縁さんの記事から知り購入しました。触発なり〜。大感謝!)

    私の内側のことを言えば、私がカント解説本に関して、作っちゃってる印象としては、

    御子柴先生の本は、私見を排してカント本人の意を汲もうと努力されてる、安心、信頼、めっちゃ優しそう、で、大好きだ〜

    黒崎先生の本は、極端に言えば自分の興味から記述されている、でもカント哲学をきちんと理解されていそう、おもしろい、で、大好きだ〜
    です。

    この本は入門者向けということで、思い切ってわかりやすく書かれてるような気もしますね。
    現象、を、中心に立てて、記述されてる印象を私は受けています。

    エフニさんもツバメさんも、現象学的なことに興味あるのかな?
    勝手に掲示板の記事などを読ませていただいてただけなのですが、ツバメさんは、感性もすごく豊かそうで、きれいな世界を見てるのかなー、との印象を持っています。

    ツバメさんとカシさんの会話なども、おもしろそうですよね。
    エフニさん、カシさん、はもちろん、いろんな方との対話がまた読めると嬉しいですね。

    おくったがわさん、ありがとうです〜(^O^)/

引用返信/返信 削除キー/

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