| ■5305、pipitさまへ
>『人間の認識には二つの幹、つまり悟性と感性があり、これらの幹はおそらくは、一つの共通な、しかし我々には未知の根から発している。(A15=B29、また『人間学』第三十一節参照)』『カント『純粋理性批判』入門』p155より引用< について、
『知覚の現象学』の訳注に、 〔「秘められた技術」:カントが「純粋悟性概念の図式性」について述べた言葉、「諸現象とその単なる形式に関するわれわれの悟性のこの図式性は、人間の魂の深みにある秘められた技術eine verborgene Kunstである(傍点訳者)。そこでいつの日かその真の工みをわれわれが自然から察知して、赤裸々にその姿を眼前にさらさせることは、困難なことだろう。」(Kant, Kr. d. r. Vernunft, B. S. 180-1)なおカントは感性と悟性を「二つの幹」と呼び、「恐らく共通の、しかしわれわれには未知の根基から発出する」ものとなしている(Vgl. Ibid., B. S. 29)。この未知の根基をハイデガーは「想像力」と見なす。〕 ってあったよ。
わたしの感想なんだけど、 カントは意識の働きを「感性」と「悟性」に分節しているのね。そして意識の働きに「総合」っていうのあるから、この両者を結びつける“何か”があるはず、って思って、それをどういう名で呼ぼうとも「未知の根」(メルロでは「秘められた技術」)なんじゃないかな? でもね、わたし、意識の働きって「感性」「悟性」だけじゃないと思うんね。
それと、 >第二版書き換え問題< なんだけど、 >『本書で提示した命題と、その命題の証明の根拠について、さらに本書の計画の形式とその完全さについて、修正すべき点は発見できなかった。それは本書の刊行に先だって、わたしが長い時間をかけて吟味したからであり、あるいは問題となっている事柄の性質に(略)よるからでもある。』< って言ってるみたいだから、カントが本当に言いたいことは、第一版の方じゃなくて第二版の方なんじゃないかしら?
って。
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