(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 最新記事及び返信フォームをトピックトップへ ]

■20648 / inTopicNo.97)  純理初版序文を思い出した日記
  
□投稿者/ pipit -(2022/02/03(Thu) 17:47:53)
    みなさま、こんにちは。

    No20639
    >※註(4)しかも、カント、ヒルベルト、ゲーデルは数奇な歴史の糸によってつながっているのである。
    《カントと同じケーニヒスベルク出身の数学者ヒルベルトは、『純粋理性批判』の刊行から一三五年後に、「ヒルベルトのプログラム」と呼ばれる研究目標をかかげ、純粋理性の無限の可能性を数学の中に見ようとしました。ゲーデルはその不完全性定理によって『理性の限界』を証明して、ヒルベルトのプログラムを否定的に完成させました。しかもそれを「原理に基づいて」なしたのですから、ゲーデルはヒルベルトの大先逹であるカントの夢を、皮肉な結果でありましたが、字義通りに実現してみせたといってもいいかもしれません》(吉永良正『ゲーデル・不完全性定理』講談社、一八頁)。<

    この《「原理に基づいて」なした》の箇所で思い出したのは、『純粋理性批判』初版序文にある、
    【強権をもってではなく、理性の永遠で不変な法則によって、】の箇所です。

    『純粋理性批判1』中山元先生訳、p204(中山先生独自段落R05理性の法廷)

    『この無関心は理性にたいして、あらゆる任務のうちでもっとも困難な自己認識の営みにふたたび着手することを、そしてそのために一つの法廷を設けることを求めるものなのである。
    この法廷の役割は、理性が妥当な要求を示す場合には理性を堅固なものとするが、根拠のない越権を示す場合には、強権をもってではなく、理性の永遠で不変な法則によって、これを退けることにある。
    この法廷こそが、純粋理性批判である。』

    まぁ、『純粋理性批判』も『カントの数学観』もめっちゃ批判されてることも多い気もしますけど
    ( ̄▽ ̄;)
引用返信/返信 削除キー/
■20652 / inTopicNo.98)  日記
□投稿者/ pipit -(2022/02/03(Thu) 20:22:00)
    2022/02/03(Thu) 20:26:54 編集(投稿者)

    数学の概念の根底(あるいは変換先)に直観(感性的直観)の縛りを入れることで、
    人間にとっての普遍性や公平性が確保される準備ができるのではないかと思いました。

    それとはまた別に。

    カントの数観はわたしには独特におもえてるのですが、
    とてもおもしろい。

    わたし独特の言葉で話します。

    感じたもの、と、言葉をつなぐもの
    感じたもの、を、言葉に差し出すもの(包摂させる)
    感じたもの、から、言葉を生み出すもの

    みたいに、感じたものと言葉を仲介する接着剤のような役目を、カントは『図式』と言ってると思ってるのですが、この図式に数を当てはめてるところがある気がしてます。

    この数というのを、カントは同種のものを次々と加えていくこと、としてて、
    べたにいうと、『数える』行為と同起の事態と思うのですが、

    たとえば、
    レストランにだんなさんと行って、店員さんに「何名様ですか?」と聞かれたら、
    自分とだんなさんを、人間として、同種として、
    1、2、で
    「ふたりです。」と答える。

    自分の直観(感じてるもの)から、客体を作り、私とだんなさんを同種として、【人間、加・人間】と、しかもカント的には時間を総合して、まるめて、継起して、【2(ふたり)】という言葉に表す。

    すごくおもしろいなーと思いました。
    (カントの考え方をpipitが大誤解してる可能性あります^^;;)

    気楽な日記ということで m(_ _)m




引用返信/返信 削除キー/
■20669 / inTopicNo.99)  Re[17]: 日記
□投稿者/ pipit -(2022/02/05(Sat) 13:39:37)
    小川洋子さんの『博士の愛した数式』をなんとなく思い出してたら、

    御子柴善之先生の岩波ジュニア新書の最後らへんの宣伝ページに、
    別先生の編著で、『博士の愛したジミな昆虫』なる本を発見。

    むむむ、読んでみたいかも。。。


引用返信/返信 削除キー/
■20672 / inTopicNo.100)  Re[31]: パラロギスムス
□投稿者/ pipit -(2022/02/05(Sat) 23:36:41)
    No20596
    カント事典を引用しようと思ってたのですが、
    (するかもですが)

    なんか、今、カントの『無』を分類した記述が頭に浮かぶんですよね。

    どっちから勉強するかなー

    B349あたり

    (カントの文章)中山元先生訳、第3巻p304、独自段落番号377
    『無の概念を分類した表は次のような配置となるだろう(〈何かあるもの〉についても同じような分類表を作成することができるだろう)。



    1 対象をもたない空虚な概念として(思考物)
    2 概念の空虚な対象として(欠如としての無)
    3 対象のない空虚な直観として(想像物)
    4 概念のない空虚な対象として(否定的な無)』

    なんでここが頭に浮かぶんかな??

    なにかと関わってくるのかな?

    ちなみに、〈何かあるもの〉は、『有』かな?



引用返信/返信 削除キー/
■20674 / inTopicNo.101)  
□投稿者/ pipit -(2022/02/06(Sun) 07:47:50)
    No20672

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html


    Title: The Critique of Pure Reason
    Author: Immanuel Kant
    Translator: J. M. D. Meiklejohn

    の英訳を。



    > 無<

    NOTHING


    > 1 対象をもたない空虚な概念として(思考物)<

    1 Empty Conception without object,
    ens rationis


    > 2 概念の空虚な対象として(欠如としての無)<

    2 Empty object of a conception,
    nihil privativum


    > 3 対象のない空虚な直観として(想像物)<

    3 Empty intuition without object,
    ens imaginarium


    > 4 概念のない空虚な対象として(否定的な無)<

    4Empty object without conception,
    nihil negativum

引用返信/返信 削除キー/

<前の12件

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>

このトピックに書きこむ

過去ログには書き込み不可

Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -