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■286  Re[18]: 自己超克と永劫回帰
□投稿者/ らみ -(2017/06/28(Wed) 23:41:55)
    2017/06/28(Wed) 23:43:19 編集(投稿者)

    本当は先日に一回投稿したのですが、消してもう一度投稿しなおしました。少しだけ内容変わっています。


    永劫回帰という思想の受け入れ方について「最大の重し」だけを読むと「同じことが又繰り返されるならば、繰り返されても良いような人生を生きよう」という解釈になると思いますが
    「何か一つでも今迄の人生で「然り」と言える体験があったのならば、その一瞬を繰り返す為だけに同じ人生を又繰り返しても良いじゃないか。」という読み方も出来ると思います。
    幻影と謎では前者の解釈になりますが、酔歌では後者のような受け入れ方が新たに登場したように思います。


    <あなたがたはかつて一つのよろこびに対して「然り」と肯定したことがあるのか?おお、わが友人たちよ、もしそうだったら、あなたがたはまた全ての嘆きに対しても「然り」と言ったわけだ。万物は鎖でつなぎ合わされ、糸で貫かれ、深く愛し合っているのだ、あなたがたはかつて、ある一度のことを二度あれと欲したことがあるなら、「これは気に入った。幸福よ!束の間よ!瞬間よ!」と一度だけ行ったことがあるなら、あなたがたは一切がもどってくることを欲したのだ!」」(酔歌10)>



    ちなみに上巻で
    〈創造する意思がそれに向かって、「しかし、わたしが、そうあることを意思している!そうあることを意思するだろう!と言うまでは。だがまだ意思はそう言っていない。それはまだ起こっていない。意思はまだ自分自身の愚劣さから脱却していない。意思はまだ自分自身の救済者、よろこびをもたらす者となっていない。意思は復讐の知能とすべての歯切しりを忘れていないのだ。
    誰一人意思に向かって、時間との和解を、またあらゆる和解よりもさらに高いものを教えたものはいなかった。すべての和解よりさらに高いものを、意思は意思しなければならない(救済)〉


    というツァラのセリフがあり、つまり上巻ではまだ時間との和解はできていなかったのだと思うのですが、この酔歌10で彼は初めて時間との和解ができたのだと言えないでしょうか。

    なぜなら上の酔歌での「一切」というのには、過去に起こった自分ではどうしようにもできなかった出来事も含まれるからです。



    >> >未完成のもの、未熟な未人は永遠を欲する。

    >> ここなのですが、未熟なものが欲すのは永遠ではなく、自分自身ではない強いもの、明るいものだとあります。



    >同意です。
    >未熟な者が欲するのは「より自分らしくありたい(現状の自分ではない自分でありたい)」の運動(生)を肯定する自己超克ですね。完成は停止であり、自己超克は生という名の運動。
    >つまり永遠の未完こそが自己超克の源泉でもあり、永遠を好むってことだと思います。



    なるほど。そういう意味で仰ったのですね。


    でも・・やはり違和感があるのは、この章の中で「永遠」を欲しているのは未熟な人間ではなく、「よろこび」だと思うのですね。未熟な人間は完全なものに憧れを抱きますが、完全なものにとっては逆に、出来損ないであることに憧れるのだ、と言っています。未熟なもの達は完全な存在になり成熟することに憧れているのであって、未完であることに憧れているわけではないと思うのです。


    又以下は最も醜い人間の言葉です。

    「あなたがたはどう思うのか、この今日いちにちに巡り合えたために、はじめてわたしは、自分がこれまで生きてきたことに満足した。しかし、それだけの証言では、わたしはまだ十分ではない。まことにこの地上で生きるのは、甲斐のあることなのだ。ツァラトゥストラとともにした一日、一つの祭りが、わたしにこの大地を愛することを教えてくれた。『これが・・人生というものであったのか?』わたしは死に向かって言おう。『よし、それならもう一度!』と〈酔歌1〉」




    >完成したもの、熟したものは、幸福のうちに死ぬことを欲するが、未完成のも
    >の、未熟な未人は永遠を欲する。

    >これを知る者が最も醜い人間であり、彼が語ろうとする永劫回帰は真夜中に語る>に相応しい暗黒面が強調されたより深い思想である。



    これを知る人間が最も醜い人間、とのことですが醜い人間が「これが人生か、ならもう一度」と言った理由は先程の永劫回帰の受け入れ方の例で言うなら「最大の重し」の前者ではなくむしろ後者ではないでしょうか。

    前者の場合だとすれば自己超克と繋がるのはわかるのですが、最も醜い人間がこれ(永遠の未完こそが自己超克の源泉でもあり、永遠を好むということ)を知っている、というのはどこに書いてありますか?

    又、「未人」というのはおしまいの人間を指すようなのですが、だとすると違和感があるのですがいかがでしょうか。


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