| お久しぶりです(^^)こんにちは!G.Wいかがでしたか?
わたしの為にすごくわかりやすいご説明をありがとうございました!
結局、「最も醜い人間」というのは、「ましな人間」の中で最もましな人間ということなのでしょうか?
彼らは老いているものが多く、それなりの人生経験を積んできた人たちですね。
>完成したもの、熟したものは、幸福のうちに死ぬことを欲するが >未完成のもの、未熟な未人は永遠を欲する。
実は、この部分に対してだけは別なように感じます。
酔歌の9に、『「完全になったもの、すべての熟れたものは死にたいと思う!」とお前は言う』と、いうセリフがあるのですが、これを言っているのはツァラなので、つまりこの思想?の持ち主は葡萄の木ですよね。
「完成したものや熟したものは、幸福のうちに死ぬことを欲する」というのは、まだ完全になったことのないものが感じる想像なんじゃないでしょうか。
彼ら(完成したもの)はむしろ、まだ未完成な部分が沢山あるような、深い苦悩を持つ出来損ないの人間に憧れていると描かれています。 なぜなら、自分自身を欲する為には、断腸の悲しみはなくてはならないものだから。
それってすごくマゾ的だなって思います。
昔、川本真琴さんの曲で「キラキラ」というのがあって好きだったのですが、その中に「キラキラってそっとつぶやく。もっといっぱい新しい傷がほしいほしい」という歌詞があって、それを思い出しました(スミマセン)
所で、連休中にサファリパークに行ったのですが、ツァラの友達の獅子さん達は群れ群れしていましたよ^^
ライオンに群れる性質があるということを、ニーチェは知らなかったのかなと思います。
その他のトラやクマなどは皆一匹ずつ離れて過ごしていました。
なので、どうせならツァラの友達は狼とかにすれば良かったのに、と思いました笑
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