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■10287  純粋悟性概念の演繹(初版)・Apprehension
□投稿者/ pipit -(2021/01/01(Fri) 16:09:03)
    私見で進んでみます。

    > この自発性が、一切の認識において必然的にあらわれる三様の総合の根拠である。<

    三様の総合
    1.直観における把握(アプレヘンジオン)による総合について
    2.
    3.


    上記1は、中山元先生の訳。
    御子柴善之先生は、直観における覚知の総合、と、訳されてます。

    御子柴善之先生の『カント純粋理性批判』p162.163より引用します。かなり大胆に略しています。御子柴善之先生の伝えたい意図を誤読して、変な略仕方してたらすみません。
    引用開始
    『(略)幅をもたない瞬間においては、ひとつの表象が得られるだけです。(略)、そもそも多様が成立するには時間の区切りが必要です。(略)時間における多様としてまとめられます。カントは、このような働きを「目を通したものをまとめる」と表現して、それに「覚知の総合」という名称を与えます。「覚知」とは耳慣れない用語ですね。これは、もっぱら受動的な「知覚」(表象の意識)に対して、その知覚内容を自発的に把握する働きを表現するために「覚知」という訳語が採用されたと見ることもできます。「知覚」と「覚知」では、こころの働きの方向が反対になっているのです。』
    引用終了

    『純粋理性批判』においては、覚知・把握・把捉などと訳されている【Apprehension】についての私見書きます。
    ちなみに、apは、対する、という意味があるみたいです。

    それで、どうもカントは、少なくとも初版のこの箇所では、例えば今みなさまがこの画面を見てる時に得られる映像、や、耳に入る音、などを、【こころの変容】と捉えてるみたいなんです。(御子柴善之先生本p160参照)
    三様の総合の論説に入る前の注意の一部として、

    『私たちの一切の認識もこころの変容としてはつまるところやはり内官の形式的条件に、すなわち時間に従っている。私たちの表象がそこで総じて秩序づけられ、結合され、関係づけられねばならないような、時間に従っている。』
    (カントのA98fを御子柴善之先生が訳された文章)

    とあります。

    わたしたちは、一瞬、一瞬、を次々と体験してますよね。
    この、次々に起こる、という性質が、もう時間の形式と考えていいのじゃないかとわたしは思っています。
    覚知、は、次々と起こる一瞬、を、複数まとめて捉える機能だと思っています。

    一瞬、だけだと、そこには、ただその一瞬があるだけで、区別も何もないですよね。
    そのことを表現したのが、

    『(略)一瞬に含まれるものとしては、いずれの表象も絶対的統一以外のものであることができないからである。(略)』
    (カントのA99を御子柴善之先生が訳されたもの。御子柴先生本p162より引用)

    だと思いました。

    わたしたちが、多様、というものを手に入れるためには、認識上の形式である【時間】が必要ということではないかと。

    そして、多様、という認識のための材料準備をしてくれているのが、
    三様の総合の第一番目、直観における覚知(把捉)の総合、ではないかと。

    このような総合を行う能力が、人間にはアプリオリに備わっている、と、カントはこの初版では言ってるのかな?と今のところ考えました。
    もちろん、めっちゃ誤解している可能性も大有りです。

    が、進みたいので、

    とりあえずは、これが認識に必然的にあらわれる三様の総合の一つ。残りは二つ。

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