□投稿者/ おくたがわ -(2024/03/23(Sat) 11:49:44)
| 2024/03/23(Sat) 12:08:41 編集(投稿者)
■No36815に返信(pipitさんの記事) こんにちは。前の部分になります、すいません。 > (訳文) > 『皿という経験的な概念において考えられている〈丸さ〉が、円の純粋に幾何学的な概念において直観されているからである。』 > (『純粋理性批判3』カント、中山元先生訳、p29.30より引用) > > (訳注) > 『ここで思考と直観の関係がずれているようにみえるので、ファイヒンガーは「円の純粋で幾何学的な概念において思考されている〈丸さ〉が、皿という経験的な概念において直観されている」と読み替える。多くの邦訳も同じように読むが、あえて訂正する必要はあるまい。』 > (同本p318より引用)
面白いですね。 原佑訳はファイヒンガー流、天野と石川康は原文のままでした。 中山元さんのコメントは『カントの文章をそんなに厳密に考えても仕方あるまい』という投げやりを感じました(うそうそ)
追記 Xの永井さんの投稿
永井均@hitoshinagai1 2023年3月24日 『ものを書いているとき、わかりやすさと誤解の余地のなさとの選択で、ついつい妥協してわかりやすさを選びたくなってしまうことがあるが、カントを読んでいると一箇所もそういうところがなく、つねに必ず誤解の余地のなさを選択しているのがわかる。これは見倣うべき態度といわざるをえない。
だれもそうはいわないけれど、カントは文章が非常にうまいと思う。しかし、これまたさらにだれも言わないことだけれど、概して哲学者は文章が極限的にといえるほどにうまいのではないかと思う。ひたりつくに値する文章が書ける人をほかにはあまり見ない。
話はむしろ逆で、極限的にうまく書かないとけっして通じないようなことを言おうとしているから、ということであろうけれど。つまり、ひたりついて読んでもらわないと読みとれないようなことを書かざるをえない人をほかにはあまり見ない、ということ。』
****** だって。すいませんすいません。 しかし 『だれもそうはいわないけれど、カントは文章が非常にうまい』 永井さん以外誰も言わないことなんだからしょうがないよね。
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