□投稿者/ 時 -(2024/02/19(Mon) 08:59:39)
| 2024/02/19(Mon) 13:07:26 編集(投稿者)
pipitさんへ。おはようございます。返信をありがとうございます。
> 不善を生じないよう勤める事。 > 既に生じた不善を除こうと勤める事。 > 善を生ずるよう勤める事。 > 既に生じた善を増すように勤める事。 > の4つで正精進という説明ですね。これらは、別名”四正勤・四正断”とも表現されているようです。
正精進とは、四正断の努力に励む事。 四正断とは、不善を生じないよう勤める事。既に生じた不善を除こうと勤める事。善を生ずるよう勤める事。既に生じた善を増すように勤める事。
ここで出てくる、善と不善ですが、、
善(の法)とは、離殺生・離偸盗・離邪淫・離妄語・離両舌・離悪口・離綺語・無貪欲・無瞋恚・正見です。 不善(の法)とは、殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺語・貪欲・瞋恚・邪見の事です。
このうち、離殺生・離偸盗・離邪淫が、身行の善法です。 殺生・偸盗・邪淫が、身行の不善法です。
このうち、離妄語・離両舌・離悪口・離綺語が、口行の善法です。 妄語・両舌・悪口・綺語が、口行の不善法です。
このうち、無貪欲・無瞋恚・正見が意行の善法です。 貪欲・瞋恚・邪見が意行の不善法です。
これら3つを合わせて、三行(身行・口行・意行)=行と表現しますが、仏陀自身はこの行を業と表現しています。
> 不善を生じないよう勤める事。 > 既に生じた不善を除こうと勤める事。 > 善を生ずるよう勤める事。 > 既に生じた善を増すように勤める事。
の4つで正精進ですので、、例えばですが、口行の妄語(嘘の言葉)=嘘つきの人(妄語者)がいたとして、このままでは不善人ですから、仏教を学んだとすると、これが善法に変わるような精進(心がけ等の努力)が必要になりますね。嘘の言葉を吐く不善人(妄語者)が、嘘を吐かないように日々努力して、その人が妄語者ではなくなったときに離妄語者となり、過去には不善人だった人が正精進によって善人になっていくという事でしょう。
これが上記の、
> 不善を生じないよう勤める事。 > 既に生じた不善を除こうと勤める事。 > 善を生ずるよう勤める事。 > 既に生じた善を増すように勤める事。
という事だと思いますし、同時に、邪(不善)の捨断と正(善)の具足の為に励むと言う事ですね。
> 絶対に呆れられると思うのですが、ダンマパダ112などを読んで、 > ( ̄∀ ̄)死ぬ前の一日だけでもがんばったらチャンスあるのかしら.... > と怠け心全開で、悪だくみ思考してましたけど、
呆れはしません。逆に時の個人的な経験からすると、少しでも学ぼうとする人の存在は現世での希望です。 何事も、何も実行せずに言葉としての知識だけで長年を終わらせるよりも、少しでも学び、実体験した方が良いと思います。それが、例え死ぬ直前の1日だけでもです。
人間の転生先は、悪趣(地獄界・餓鬼界・畜生界)が多いと記載されています。勿論、中には天界転生者や解脱者も少なからずいるのでしょう。そして仏陀の言葉を学べるのは人間界だけですね。(天界の神々でも学べないようです)
何の因果か、仏教に興味がわき、仏典に触れることができ、学ぶことができました。今、現世での時は、人間だからですね。
原始の内容を理解するのは簡単ではないようです。しかし、全体を通して内容としての道理としてのお話の筋は通っていると感じます。
仏陀のお話が全て本当ならば、、多くの人間の来世が人間だというのは高い確率で外れそうです。例え天界に転生したとしても、そこから再度転生は続くようですよ。仏陀のお話が本当ならばですが。
でも、本当だと仮定すると、”少なくとも現世での生活で”正しい善の道を歩めることになりますので、それだけでも時にとっての価値はあるように思いました。
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