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No36579 の記事


■36579 / )  Re[28]: 時間論の系譜
□投稿者/ rest -(2024/02/18(Sun) 21:01:10)
    2024/02/18(Sun) 21:06:04 編集(投稿者)

    >追記5.未来は実在しないけれども「過去」は実在するという見方をする人がけっこういるようだ。そこで「過去」の実在性について検討してみたい。
    >哲学者マクタガートの時間論においてA系列は過去と未来は明確に区分されているけれどもB系列においては区分されていない。それどころか過去と未来は重なっている。B系列=A系列+C系列なのでB系列の中にA系列が含まれている。たとえばある時点からみた未来は別の時点からみると過去になるということが生じる。年表を考えてみたらいい。1960年から未来は1980年からみると過去になる。未来は過去でもあるということになる。その結果「未来」が実在しなければ「過去」も実在しないということが導かれる。過去も未来も時間軸(年表)においてひとつながりの連続体なので切り離して考えることはできない。
    >マクタガートはA系列の「変化」を幻想として、すなわち仏教的な「諸行無常」を否定して「変化」のないB系列(正確にはA系列を否定しているのでC系列)、変化のない映像フィルムのみを認めている。そこにおいては過去も未来もいっしょなので未来の実在性を否定すれば必然的に過去の実在性も否定されることになる。
    >カントの三次元空間の唯一無二説からは「未来」の無数の三次元空間や「過去」の無数の三次元空間の実在性を否定して「現在」における現実の三次元空間のみを唯一無二と考えることができる。そこにおいては三次元空間をのぞいてはすべてが変化するという「諸行無常」を本質と考える。「時間」とは太陽の変化を基準に考え出された社会的約束事であり、すなわちルールとして存在している。この「時間」には背景に年表という実体はない。マクタガート的にはA系列が実在であってB系列は幻想なのだと結論としていえる。ただ「過去」は実在しないとはいえ有用性があることは間違いない。過去の記憶、記録から教訓を得たり、事実を再構成したり役立っていることも銘記しておきたい。

    追記6.「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞)
    諸行無常。明日でもいい、という思いから今ある機会を逃がしてしまうことの教訓。未来も、過去も大切だけれども最も大切なのは「今」ということのようだ。実在しているのはこの「今」という現在のみだ。しかも自由意志は現在にしか存在していない。相対論のようなB系列の時間は映像フィルムのように過去も未来も実在するという立場だから自由意志はなく運命論に支配されてしまう。自由意志を尊重するカント的な時間論の方が親鸞の教えと相性がいいように思える。
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