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No32844 の記事


■32844 / )  ザビビのふくろうさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2023/09/03(Sun) 14:30:00)
    2023/09/03(Sun) 16:49:56 編集(投稿者)

    こんにちは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。

    No32842に返信(ザビビのふくろうさんの記事)

    > え〜、前回少し触れましたが、
    > パニチェさんの学術用語の用法が一般と少しずれることがあるのと、こちらの理由がより大きいのですが、私の『論考』および映画『マトリックス』の解釈があまりに違うということもあって、ちょ〜どええ感じの刺激になるようなコメントをするのが、いろいろ考えたんですが難しいんですよね。

    ちょ〜どええ感じでなくても構いませんから、次の返信では忌憚なくお願いします。

    > それで今回は、主眼はパニチェさんの「弱い独我論」を理解することにおきます。
    > それでも、勘違いの可能性があると思いますので、違ってたらご指摘ください。

    了解しました。

    > その後、ひとつだけ、話を簡単にするため、永井の〈私〉=パニチェさんの〈私〉とあえて仮定して、私の疑念を述べます。ちょっとお茶を濁す感じになるかもしれませんがご容赦ください。

    大丈夫です。^^

    > 前に言っていた『〈仏教3.0〉を哲学する』を読んでいれば、もっと共通の土台が得られて話をしやすかったかもしれませんが、まだ読めていないんで、すみません。
    > またVRについてももう少し勉強したいと思っているので、また機会があればそのときにお願いします。

    いつでもいいですから、もし飽きずに?呆れずに?(笑)完読できた際には、是非、ザビビのふくろうさんも感想をお聞かせ下さい。
    ちなみに私は『〈仏教3.0〉を哲学する』は6〜7割くらいしか消化?納得?できてません。

    > *****************
    > 「弱い独我論」をできるだけシンプルにとらえたいと思います。

    > 換骨奪胎して言うと、
    > 【弱い独我論】
    > 直接存在確信される、知覚の超越論的主体である〈私〉の存在と、世界内に存在し、知覚を通して間接認識される知覚対象(存在)の、両方の存在を認める。
    > しかし、
    > 知覚存在については思考実験(デカルト的懐疑、水槽の中の脳、『マトリックス』)の検証結果として実在性の確証が得られない(仮象)ので、
    >  実在性の確証が得られる〈私〉の存在のみを実在とみなす考え。

    一つだけ補足させてもらうと、〈私〉の存在が実在というよりも、〈私〉=実在 です。

    > 【引っ掛かる点】
    > 今回、私の質問に対して、
    > >自分の身体、眼、脳は(他者の身体、眼、脳と同じく)触覚(身根)や視覚(眼根)を通じてあることが分かりますから(2)ですね。

    > という回答ですので、眼、脳は、知覚存在であり、世界内部存在であるということになりますね。

    そうです。

    > ですが、パニチェさんは、〈私〉の存在を世界の内部にはない存在とされており、その説明モデルとして眼を用いて説明されます。ちなみに、永井は〈私〉は世界の外側に、内外の境界に接するものとして描きますが、これ、パニチェさんも同じですよね。

    あっ、少し違います。〈私〉の存在が世界の内部にはないという説明モデルとして眼を用いているのではなくて、〈私〉が感覚器官(六根:眼耳鼻舌身意)で捉えることができないという説明モデルとして、眼で眼を見れないということをあげました。

    「見られるもの」と「見るもの」があるとして、「見られるもの」は「見るもの」で見れますが、「見るもの」は「見るもの」では見れないように、「感覚」で「感覚の主体」であるところの〈私〉は捉えることができないという説明でしたが、あれだのレスではちょっと分かりにくかったですね。

    > この説明モデルでは、眼は世界の内部存在ではないように思います。

    あくまでも眼は世界内存在です。何故なら触覚でその存在を確認できる物質だからです。

    > これは、映画『マトリックス』の説明モデルにおける、脳についても同様に思います。
    > ここでも脳(としての〈私〉)は、仮想世界の外部存在=実在とされていると思います。

    まず脳=〈私〉ではないです。何故なら脳は眼と同じく物質だからです。
    バーチャル世界であっても開頭すれば、そこにあるテーブルと同様に手で触れる(触覚)ことで、その存在が確認できますから世界内存在になります。
    触覚の主体は〈私〉ですから、これは世界内には存在しません。

    > つまり要は、世界外部(超越論的)存在の〈私〉の説明モデルとして、世界内部存在である眼や脳を用いるのは、私としてはやはり、語り得ぬものを語り得るものとして語って(描いて)しまっているのでは、という疑念を抱かざるを得ないわけです。

    脳と眼は上記の理由によって語りえる物質となります。

    > まあ、これはパニチェさんというより、正確には永井の『論考』解釈について私が思っていることで、今回は永井とパニチェさんの〈私〉を同じものとあえて仮定して述べましたが、パニチェさんは全く同じではないと言ってらっしゃるのは承知しています。ですので、的外れになっていたらすみません。そのへんは、また、ご指摘ください。

    大丈夫です。ちなみに永井氏やウィトゲンシュタインの眼の図も世界内に位置してますよね?
    下の図で言えば眼は世界内ですが〈私〉は眼のさらに左側、大きさを持たない点になると思います。

    > 【補足】
    >  あと、質問Bで、他人の心の存在を肯定されたことは、少し驚きました。

    そうですか。

    > >ちなみに強い独我論者ってほとんどいないと思うんですがザビビのふくろうさんはどう思われますか?
    > >強い独我論者なら(時さんのようなアドヴァイタ〔梵我一如の一元論〕を除いては)哲学を学んだり、議論したり、友人をもつことさえ意味をなさないと思うのですが。。。。
    > 普通にはそうだと私も思います。ある意味、論外、何言ってんのこいつ、みたいな(笑)

    ですよね。

    > ただ、最近、VR一元論みたいな考えに惹かれていて、ひょっとすると、これって強い独我論になるんじゃないかとも思うんですよね。

    なるほど。

    > このあたりもっと勉強して、詰めて考えないとまとまったことは言えないんですけど。
    > あっ、それと、『論考』の独我論も、どっちかっていうと強い独我論じゃないかと思いますね。私の解釈では。

    『論考』が強い独我論だとして、ウィトゲンシュタイン自身は強い独我論者だとザビビのふくろうさんは思われますか?
    彼が記した『哲学宗教日記』からするとクリスチャンかどうかはともかく、れっきとした有神論者ですよね?

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