□投稿者/ パニチェ -(2023/08/26(Sat) 07:57:36)
| 〈私〉は一般化し意味を共有する言語の性質からして言語化不能である。
且つ〈私〉は脳の随伴現象でありえない。 〈私〉は唯物論を前提とした科学的対象にはなりえないところにその本質があるということ。
科学の対象とは。。。 1.計測可能であること。 2.再現性があること。 3. 同一条件のもとでは同様の性質・組織をもち、同様の変化をするということ(自然の斉一性)。
〈私〉は計測不可能であり、再現性もなく、如何なる条件であっても同様の性質をもちえないし、同様の変化をしない。
脳科学が進展すれば「意識の難問(Wikipedia:物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験というものが生まれるのか)」の方は創発論(意識の中身を物理的プロセスの結果と見なす新しい二元論)として記述できるかもしれない。
ところが「意識の超難問(私は〈私〉であり、何故、他の誰かではないのか?)」は、脳科学が進展しようとも(唯物論を前提とした科学の定義であるかぎり)記述できないのが〈私〉の本質である。
故にチューリングテスト(Wikipedia:ある機械が「人間的」かどうかを判定するためのテスト)に合格する電脳が作り出されたとしても、〈私〉を電脳で再現することは不可能である。
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