□投稿者/ pipit -(2023/05/08(Mon) 00:09:53)
| みなさまこんばんは。 もう寝ようと思って、ふと、思い出したことを。
パーリ経典は最後に、 『かれら比丘は、喜び、世尊が説かれたことに歓喜した』(片山一良先生訳) という文章で締め括られることが多い印象があります。 でも、時々、釈尊の説法の内容が難しすぎて、比丘が理解できずに?『喜ばなかった』という経典もあるんです。 正直?に記されてるのがおもしろいなーと思って。 手持ちの本では思い浮かばないので、ネットの英訳から一例を引用します。
中部経典第一 『The Root of All Things』という経典です。日訳では、『根本法門経』 この経典の締めくくり文章は、 『That is what the Buddha said. But the mendicants were not happy with what the Buddha said.』 (それが釈尊が説かれたことです。ですが、お弟子さんたちは釈尊の説かれたことに喜ばなかった。)
https://suttacentral.net/mn1/en/sujato?layout=plain&reference=none¬es=asterisk&highlight=false&script=latin
、、、 うーん、題名の日訳調べるためにwikiみたら、 経典の構成として 『ある時、釈迦はウッカッター城スバガ林のサーラ王樹に滞在していた。 釈迦は比丘たちに向かって、四元素、天(三界)、五蘊、涅槃などについての、凡夫と比丘と阿羅漢と如来における捉え方の違いについて述べる。 その中でも如来は、それらの存在や概念など一切の事物の縁起(空)を知悉するためにそれらの存在・概念をそのものと捉えて考えず(無分別)、歓喜を起こさないと説く。 それを聞いた比丘たちは歓喜できなかった。』 とあった。
歓喜しなかったのが、中部経典のしょっぱなの第一ということだけは覚えてて、中身忘れてたけど、検索したら 、分別、無分別、、、
うーむ、どこかで、何かがつながってるのかなぁ ( ̄▽ ̄;)
おやすみなさーい☆彡
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