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No26743 の記事


■26743 / )  純理の訳
□投稿者/ おくたがわ -(2022/09/29(Thu) 13:40:58)
    2022/09/29(Thu) 14:39:21 編集(投稿者)

    純粋理性批判の中山元訳で間違いではないかと以前から気になっていた部分に取り組みました。

    2巻 第二節超越論的な論理学について
    087 一般論理学の考察対象
    『一般論理学は、認識のすべての内容を切り捨て、認識と客観との関係をすべて無視しながら、認識相互の関係の論理的な形式、すなわち思考一般の形式を考察するのである。ところで直観に、純粋な直観と経験的な直観の区別があるように、[論理学において]対象について考察する場合にも、対象についての純粋な思考と経験的な思考の区別があることになろう。その場合には認識のすべての内容を切り捨てない論理学も存在することになろう。というのは、対象の純粋な思考の規則だけを含む論理学[一般論理学]で排除されるのは、経験的な内容からなるすべての認識だからである。』

    最後のセンテンスの[一般論理学]は中山さんが挿入したもの。
    しかし、これは間違いではないかと思っている。

    根拠1:一般論理学で捨象されるのは「すべての認識の内容」であって、「経験的な内容からなるすべての認識」ではない。
    経験的か否かを問わず全ての認識を同等に扱い、しかし、内容は切り捨て、認識同士の関係(形式)のみを扱う。

    『この認識の内容を排除しない論理学は、様々な対象についての私たちの認識の起源についても考察することになるだろう(ただしこうした認識が対象によって生まれたものである場合を除く)。
    これにたいして一般論理学は、このような認識の起源を考察することはない。一般論理学がとりあつかうのは、心のうちに思い描かれたさまざまな像であり、この像が最初からアプリオリにわたしたちに与えられたものかどうか、それともたんに経験的に与えられたものかどうかは問題にしないのである。』

    一般論理学はアプリオリか経験的かの区別をせず、すべてを扱うことが書かれている。
    問題は、超越的論理学が『様々な対象についての私たちの認識の起源についても考察することになる』の部分だが
    『ただしこうした認識が対象によって生まれたものである場合を除く』
    これが、『経験的な内容からなるすべての認識(を排除する)』ということと読めば辻褄は合う。

    この自分の疑いに対して否定的な材料が一点あって、それは『認識のすべての内容を切り捨てない論理学も存在することになろう。というのは、』と、理由を説明する部分の接続詞が英文訳では
    **
    there would exist a kind of logic, in which we should not make abstraction of all content of cognition; for or logic which should comprise merely the laws of pure thought (of an object), would of course exclude all those cognitions which were of empirical content. 
    **(Kant, Immanuel. The Critique of Pure Reason. J. M. D. Meiklejohn訳)

    for or と書かれている部分。
    or が、「さもなくば」であれば、その後の文章は「一般論理学」について書かれたものとも読みたくなる。

    「すべての内容を切り捨てない論理学も存在することになろう。そうでないと、一般論理学だけならば○○となってしまうから」
    という構文。中山元さんは、まさにそのように読んでいると思われる。(内容的に違うと私は思っており、またそのような for or という表現があるとは私は知らないですが)

    *****
    それで、今回ついに、ドイツ語原文を調べた。

    for or の部分は denn diejenige となっていて、deeple では
    denn: というのも
    diejenige: 此方 (其の者 あの方 あの人) [代名詞]
     googleでは 「それ」

    ってことは、接続詞は denn だけで、diejenige は後に続く関係代名詞(的なもの)の先行詞で、
    「なぜなら、純粋な思考の法則だけで構成されるべきそれ(論理学)は、〜(経験的な内容からなるすべての認識を排除するから)」だろう。ドイツ語文ではそこに「論理学」という明示的主語は無く、英訳や日訳で補われたもののよう。

    原語での Deeple 訳は
    『 この場合、知識の内容をすべて抽象化しない論理があり、ある対象を純粋に考えるためのルールだけを含む論理は、経験的な内容の知識をすべて排除するものであった。』
    接続部分は無視されている。(後で長文で入れたら「なぜなら、」が入ってきた。なんで違いがでるのか)
    google訳
    『この場合、知識のすべての内容を抽象化しないという論理が存在します。なぜなら、対象の純粋な思考の規則のみを含むものは、経験的な内容の認識をすべて排除するからです.』
    「なぜなら〜からです」

    英訳の自動翻訳や「for or」の英辞郎検索もしたが、
    ここでの for or を「さもなくば〜」の反転的意味を含めて訳すのは無理そう。
    英訳の or は おそらく誤植では。

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