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■36747 / inTopicNo.13)  Re[8]: 瞑想とはルサンチマンに気づくこと
  
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/08(Fri) 20:53:59)
    こんばんは、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No36737に返信(knowingitselfさんの記事)

    > そうはいっても、同じ人間ですから、時代や環境によって違う呼吸をするわけではありません。脳の構造も同じです。根底では同じ課題にぶち当たり、それを克服しなければならない点において、変わりはないと思います。

    参考までに以下が禅定中の脳をスキャンした結果とのことです。

    以下、「脳と意識の地形図」より引用
    ******************************************
    集中力が高まり、澄みきった心境が伺える特徴もあって、たとえば不安を作りだす扁桃体はいつもりずっとおとなしい。視床下部も自律神経系──「戦うか逃げるか」の反応の源である──の働きを阻止し、代謝を低くするという独特の働きをしていた。そのいっぽう、超越意識ならではの特徴もいくつか見られた。指向(ひとつの対象に注意を向けること)が固定され、前頭前野の活動が最高二割も盛んになり、頭頂葉の活動めっきり減っていたのである。

    瞑想時に脳のどの領域で、どんな活動に変化が起きるかがわかれば、超越体験がもたらす主観的な特徴を、脳がいかにつくりだしているのか仮説を立てることもできる──あくまで憶測の色彩が強いが。まず指向が固定される現象を考えよう。指向とは、「あれは何だ?」とばかりに対象に注意を向ける反射作用である。これは、ある刺激(感覚刺激でも、内部で生成された刺激でもよい)が突出していて、競合するほかの刺激に打ち勝ったときに自動的に起こる。その刺激に関連する神経活動が、興奮性の神経伝達物質によって増幅され、脳の底にある青班というところから皮質へと脈打つように伝わっていく。ふつうの意識では、指向は数秒ごとに切りかわっている。脳はもともと探求好きだからだ。実際に首を動かしてまわりを見ていなくても、脳はいつも周囲を探っている。たとえばマントラを唱えつづけるといった、単一でしかもあまり刺激のないことに指向を固定させるのは不自然なことであり、それを実践するにはかなりの努力が必要となる。

    刺激に対して指向が働き、注意が向けられると、脳のほかの領域はそれを維持しようとする。たとえば前頭前野は、ほかから入ってくる情報を積極的に阻害しはじめるので、競合する刺激は意識まで上がってくることができない。眠っているときに感覚が遮断されるのとまったく同じことが起こっているのだ。睡眠中は、視床が刺激をせきとめて皮質に行くのを防いでいるのに対し、注意を集中させているときは、感覚情報はちゃんと脳に入り、高いレベルで構築され、表現までできている。

    高いレベルの表現は記憶に「しまいこまれる」こともあるので、「いまの瞬間」の意識と異なり、促されれば感覚情報について本人が語ることもできる。場合によっては、こうした「うわの空」の状態のほうが、感覚に注意を向けているときより完全かつ正確に表現できる。身近な例を挙げよう。何かの作業に熱中している人に話しかけるとする。しかし相手は聞えてないらしい。そこで「いま言ったことわかった?」と念を押すと、そこで初めて相手は「スイッチ」が入り、しばし考えて言われたことを復唱する。ということは最初からはっきり聞いたことを意識していたのか。それとも気持ちはよそに向いているあいだに入ってきた情報に、機械的にアクセスしていただけなのか。それは当人もふくめて誰にもわからない。
    瞑想中の前頭葉に起こる変化を見ると、ひとつの対象に注意をしっかり固定しているので、感覚情報は意識できなさそうだ。しかし、それは瞑想中も感覚(外から聞こえる音など)は鋭く意識していて、ただ影響を受けないだけという証言と矛盾する、しかしこうした証言は、瞑想状態に起こっていることを正確に反映しているのか。それとも、瞑想中に経験したと思っているだけで、そのとき脳に入ってきた知識にあとからアクセスしているのか?これもまた判断の下しようがない。

    注意を狭い範囲に集中させるあまり、「我を見失う」ようなことはあまり起こらない。何かに熱中していて相手の話を聞きもらすようなときでも、物理的な境界を監視する身体地図は機能しているので、かすかではあるが身体的な自己の概念は保たれている。しかし、瞑想の場合、指向が長いあいだ固定されることで前頭前野の活動が極端に高まり、身体地図を担当する領域が静まって身体概念が失われる。その結果、身体の境界に関する無意識の認識さえも消失するのである。

    通常存在する概念上の境界がなくなると、その枠におさまっていた自己の感覚は蒸気のように外に流れ出し、周囲のあらゆるものを組み込んでいく。世界を「内側」からではなく、あらゆる側から見ているような気がするのはそのためだ。自分はどこにもいないようで、すべての場所にいる──他のものから切りはなされているのではなく、一体となった感覚が生まれる。

    ************ 引用終わり ************

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■36744 / inTopicNo.14)  Re[5]: lito_simpleさんへ
□投稿者/ lito_simple -(2024/03/07(Thu) 22:09:39)
    ご返信ありがとうございます。こちらは他にはなかなかない貴重な場だと感じます。
    また哲学が楽しめる時期が来ましたらぜひ訪問させてください!
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■36740 / inTopicNo.15)  アナパナに加えるマントラ
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/07(Thu) 16:12:06)
    >テーラワーダ的なアナパナは、呼吸が出入りする鼻腔の接触感覚を集中の対象にしたり、鼻先の一点だけを意識したり、腹の膨らみを対象にしたりですね。マントラは使いません。

    不正確でした。すみません。

    アジャンブラムの著書を読んでいたら、タイの森林の伝統では、アナパナにマントラを加えることがあるそうです。


    吸う息で、Bud

    吐く息で、Dho


引用返信/返信 削除キー/
■36737 / inTopicNo.16)  Re[7]: 瞑想とはルサンチマンに気づくこと
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/07(Thu) 12:23:04)
    パニチェさん レスありがとうございます

    >> あと思い出したんですが、永井均さんが「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」と言ってました。
    > まったく同意ですね。
    > ルサンチマンは語源的にre+感じる・感情ですから、まさに過去の感情の再現反復をいうのではないか。

    >そうなんですね。ルサンチマンの語源は知りませんでした。
    あと私の理解では「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」というのは内観になります。

    一般的にいえば、仏教瞑想としては、観(ヴィパッサナー)にあたるともいえると思います。

    浄土真宗の系統で、「内観」という行法もありますね。



    >この対極にあるのが只管打坐です。
    数息観は阿字観や月輪観と同じく意識をある対象に集中させる手法です。
    脳をスキャンすれば瞑想の手法によって血流や活発化したり沈静化したりする部位が異なるようですね。

    禅宗の系統では、数息観、随息観、只管打坐、マントラ的な無字などがあり、いずれも呼吸が要にならざるをえませんが、テーラワーダ的な手法としてのアナパナは、表面的には違うようにもみえます。

    テーラワーダ的なアナパナは、呼吸が出入りする鼻腔の接触感覚を集中の対象にしたり、鼻先の一点だけを意識したり、腹の膨らみを対象にしたりですね。マントラは使いません。

    そうはいっても、同じ人間ですから、時代や環境によって違う呼吸をするわけではありません。脳の構造も同じです。根底では同じ課題にぶち当たり、それを克服しなければならない点において、変わりはないと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■36727 / inTopicNo.17)  Re[6]: 瞑想とはルサンチマンに気づくこと
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/05(Tue) 21:20:29)
    こんばんは、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No36723に返信(knowingitselfさんの記事)

    > > あと呼吸というのは身体反応の中でも意識と無意識のはざまにあることも重要だと思います。
    > まさにそうですね。

    呼吸が血圧や脈拍みたく意識的なコントロールが難しければ水中で溺れ死にますもんね(笑)
    一方で無意識的な反応がないと眠っている間に窒息死します。うまいことできてますね。^^

    > あと思い出したんですが、永井均さんが「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」と言ってました。
    > まったく同意ですね。
    > ルサンチマンは語源的にre+感じる・感情ですから、まさに過去の感情の再現反復をいうのではないか。

    そうなんですね。ルサンチマンの語源は知りませんでした。
    あと私の理解では「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」というのは内観になります。
    この対極にあるのが只管打坐です。
    数息観は阿字観や月輪観と同じく意識をある対象に集中させる手法です。
    脳をスキャンすれば瞑想の手法によって血流や活発化したり沈静化したりする部位が異なるようですね。

引用返信/返信 削除キー/
■36726 / inTopicNo.18)  Re[4]: lito_simpleさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/05(Tue) 20:53:47)
    こんばんは、lito_simpleさん。レスありがとうございます。
    以下、ダラダラと返信しますがテッキト〜にスルーして下さい。

    No36719に返信(lito_simpleさんの記事)

    > かなりお久しぶりですよね。20年くらい前だと思います。
    > そんな昔のことなのに、パニチェさんはもちろん、パニチェさんに挙げていただいた何人かの方々(ktsurutさん等)含めて覚えています。
    > よほど私にとって印象的で大切なコミュニケーションをさせていただいていたんだなと思いました。

    同意です。
    ネットでのコミュニケーションって空間(距離)的な制約がないですよね。
    海外在住であろうと手軽に接触できるし、どこに住んでいようと集える。
    リアルではなかなかお目にかかれないような哲学好きの変わり者(笑)がネット空間とはいえ身近にいる。

    これと同じように時間もなんかネット独特の流れがあるような気がします。
    20年と言えば当たり前ですが生まれた子どもが成人になる年月が流れたことになるんですが全然そうは思えない。
    なんかネットのみに接触している時間の累積がネットで流れている時間のようにも思えるのです。
    lito_simpleさんとのレス交換も数年前くらいにしか思えないんですよねぇ〜。
    確かにktsurutにせよ、その他、個性豊かなキャラとのレス交換が強烈な印象となってるという側面もあるとは思いますが。。。^^

    > 私が紹介させていただいた4つの原則ですが、手持ちの資料には書いたまま、文字通りの内容しか載ってなく、書き手の本当の意図はわかりません。
    > 読み手が自身の経験等から解釈するしかないというのが現状です・・

    > 4については、私としてもパニチェさんが仰るように、自分の解釈は間違っているかもしれない仮説として取り扱うということだと思います。
    > その上で、「相手の発言や言動は、それがなされた背景と合わせて解釈することで初めて正しく解釈できる」との原則に基づき、必要に応じて相手の発言や言動がなされた背景を知るための努力を行い(時にはその人がどのような人生を歩んできたのかというところまで遡って)、解釈をより正しい方向にアップデートさせていくということになるのだと思います。また、相手にネガティブな印象を持ってしまったり、ネガティブな反応をする前には、特にそのような努力を行うことが推奨されるということになるのだと思います。

    その通りですね。
    相手の発言や言動、また価値観などを理解しようとすればやっぱ生まれ育った環境や境遇まで知らなければ上辺だけになるんでしょうね。
    でもやはり私秘性という高い壁があるのでお互いを完全に理解し合うことは不可能だと思います。
    「お前のことはよく分かる」なんて簡単に発言する人の底の浅さというか軽率さは反面教師にすべきだと思ってます。

    > このような考え方は、職場や家庭において、相手をよりよく理解したり、不毛な争いを避けるにあたって実践的な考え方の一つと言えるように思います。
    > 哲学は、実生活においてはあまり役立たないと思われがちな面もあると思いますが、私の実生活においては過去いろいろ考えてきたことが役立つシーンもいくらかあったと感じています。

    同意です。
    例えばウィトゲンシュタインの言語ゲームなんかは前後の文脈やシチュエーション、もっと言えば文化や慣習によって文の意味が決まるようなことを述べていて、他者の会話の聞きかじりや一部の抜粋(切文)が如何に取るに足りないか、その典型である噂話はもちろん、伝聞の頼りなさなんかが浮き彫りになります。

    > いまはちょっと時間がなかなかとりにくい事情もあり、哲学からは離れてしまっていますが、いつかまた時間ができたらいろいろ本を読んだり考えたりしてみたいと思います^^

    何か面白い本があったら教えて下さい。
    時間があって気が向いたらいつでもどんな話題でもいいので、BBS Dionysos Hallに投稿してもらえれば嬉しいです。

引用返信/返信 削除キー/
■36723 / inTopicNo.19)  瞑想とはルサンチマンに気づくこと
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/05(Tue) 12:20:15)
    パニチェさん、レスありがとうございます

    >> ところで、言語は呼吸の変形だ思いませんか?私はそう思います。息を吐かずに言葉を発語することはできません。基本的に言葉をつかって考えることは、過去の呼吸の時の思考を再現反復することにならざるをえない。

    >そう言われてみればそうですね。
    あと呼吸というのは身体反応の中でも意識と無意識のはざまにあることも重要だと思います。

    まさにそうですね。

    あと思い出したんですが、永井均さんが「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」と言ってました。
    まったく同意ですね。
    ルサンチマンは語源的にre+感じる・感情ですから、まさに過去の感情の再現反復をいうのではないか。



引用返信/返信 削除キー/
■36722 / inTopicNo.20)  Re[4]: lito_simpleさんへ
□投稿者/ 田秋 -(2024/03/05(Tue) 09:40:47)
    初めまして、lito_simpleさん

    田秋と申します。

    lito_simpleさんが紹介された4つの原則は異文化コミュニケーションだけでなく概ね通常の人との付き合いにも適用できるのではと思います。自分が大勢の中の一人に過ぎず、相手もその人の考えを持っていて、それは優劣で比較するのではなく多様性を認めるということだと思います。

    ただ「2. 解釈や評価よりも記述を重視する」に関しては異文化コミュニケーションの場合は日本人同士とは異なる注意が必要かもしれません。日本社会には謙遜というバイアスがあり、日本人特有の慣習というものもあります。そういうもので本来の記述(相手の話も)を再評価したりすると相手の真意から外れる場合があるかもしれません。とりあえずは言葉通りに解釈しておく(明らかにジョークとわかる場合は別)ことが相互理解の齟齬の防止になると思います(この辺り、実際は微妙ですが)。

    自分の経験上、異文化コミュニケーションの場合には5.として「自分の考えをはっきり述べる」というのも付け加えたいと思います。但しこれは日本社会の中ではマイナスに働くときもありますが。。。

    lito_simpleさんのこのハンドルネーム、ちょっと考えたんですがまさか「簡易ベッド」という意味ではないですよね?^^
    間違っていたら大変失礼いたしました。m(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■36719 / inTopicNo.21)  Re[3]: lito_simpleさんへ
□投稿者/ lito_simple -(2024/03/04(Mon) 03:52:33)
    パニチェさん、ご返信ありがとうございます。
    かなりお久しぶりですよね。20年くらい前だと思います。
    そんな昔のことなのに、パニチェさんはもちろん、パニチェさんに挙げていただいた何人かの方々(ktsurutさん等)含めて覚えています。
    よほど私にとって印象的で大切なコミュニケーションをさせていただいていたんだなと思いました。

    私が紹介させていただいた4つの原則ですが、手持ちの資料には書いたまま、文字通りの内容しか載ってなく、書き手の本当の意図はわかりません。
    読み手が自身の経験等から解釈するしかないというのが現状です・・

    4については、私としてもパニチェさんが仰るように、自分の解釈は間違っているかもしれない仮説として取り扱うということだと思います。
    その上で、「相手の発言や言動は、それがなされた背景と合わせて解釈することで初めて正しく解釈できる」との原則に基づき、必要に応じて相手の発言や言動がなされた背景を知るための努力を行い(時にはその人がどのような人生を歩んできたのかというところまで遡って)、解釈をより正しい方向にアップデートさせていくということになるのだと思います。また、相手にネガティブな印象を持ってしまったり、ネガティブな反応をする前には、特にそのような努力を行うことが推奨されるということになるのだと思います。

    このような考え方は、職場や家庭において、相手をよりよく理解したり、不毛な争いを避けるにあたって実践的な考え方の一つと言えるように思います。

    哲学は、実生活においてはあまり役立たないと思われがちな面もあると思いますが、私の実生活においては過去いろいろ考えてきたことが役立つシーンもいくらかあったと感じています。

    いまはちょっと時間がなかなかとりにくい事情もあり、哲学からは離れてしまっていますが、いつかまた時間ができたらいろいろ本を読んだり考えたりしてみたいと思います^^

引用返信/返信 削除キー/
■36699 / inTopicNo.22)  lito_simpleさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/02(Sat) 22:56:24)
    2024/03/03(Sun) 06:28:58 編集(投稿者)

    こんばんは、lito_simpleさん。チョ〜お久しぶりです。
    投稿ありがとうございます!^^

    No36697に返信(lito_simpleさんの記事)
    > こんばんは。
    > パニチェさんは以前にYahooの哲学掲示板に書き込みされていた方でしょうか。

    そうです。
    おそらくYahoo!掲示板の「神はいるか」トピで、レス交換してから、10年。。。いや、ひょっとしたら20年くらい経ってるかもしれませんね。

    > 私も以前にYahooの掲示板をすこし見ていた時期がありまして、ふと今はどうなっているのだろうと思ってGoogle検索してみたところ、こちらのサイトにたどり着きました。
    > Yahooの掲示板はなくなってしまったのですね。

    よくぞ、この僻地までたどり着いていただきました!
    そうです、Yahoo!掲示板がなくなって5年くらい経ちますね。

    lito_simpleさんはよく覚えていますし、何を隠そう私が尊敬していた投稿者のお一人です!!
    以下のトピでリトさんの名前をあげさせてもらってます、印象に残る方はカタカナ表記にしています。
    ニーチェクラブBBSに投稿いただき凄く嬉しいですし、今日はいい日になりました。

    > ■No36236に返信(パニチェさんの記事)
    > 【神はいるか】
    > Temporal_anitya(転法祖師)、JA50(鰯頭教教祖)、whiskey_bonbon(科学教梵梵法主)、Hal_pandora(パンドラ)、ktsurut(毛ツルット)、Akasakashimozuma(赤坂下妻)、 asura_zerojp(荒鷲乱)、 kontondesu (コントン)、okuta_gawa(オクタガワ)、noisemanex(ノイズマン)、 zellofadvols(ゼロ)、Dr_2O00、lordkenton、nigyagya、Rikimaru7、yattermz、he_is_sekiba(セキバ)、Yamanoutiyoudou(山ノ内容堂)、 K_CN、
    lito_simple(リト)……敬称略


    > 当時は他者理解というテーマに興味があり、なぜ誤解ということが起きてしまうのか、他者を真に理解するとはどういうことなのかといったことについて興味があり、その答えを科学哲学、言語哲学、論理学といった分野に求めていました。

    はい。

    > 最近、グローバルビジネスに関するテキストに、次のような異文化コミュニケーションの原則が載っているのを見つけました。
    > 本質が端的に表現されていると感じました。(いろいろな国のメンバーからなるグローバルビジネスの現場での活用を想定した内容です。)

    > 1. 類似性が確認されるまでお互いは異なると仮定する
    > 2. 解釈や評価よりも記述を重視する
    > 3. 相手の立場で考える
    > 4. 自分の解釈は実証されていない仮説として取り扱う

    > 端的すぎて何を言っているのかわかりにくい、あるいは当たり前のことを言っているだけのように見えるという面もありますが、実際に異文化コミュニケーションの実践において失敗や改善を重ねたり、哲学的(批判的)に物事を考える経験を積むことで、これらの原則の言わんとしていることがより深く理解できるように感じました。

    1のお互いは異なると仮定することは異なる価値観を認める、あるいは許容するということにつながるんでしょうね。
    2の記述を重視するというのは極力バイアスや印象を抑えて、趣旨や論理を記述通りに受け取るってことになるんですかねぇ〜。哲カテでの理想的な議論にも相通じると思います。
    3も重要ですが、あくまでも自分が考えるところの相手の立場であるということも忘れないことが大事ですね。
    4は自分の解釈は間違っているかもしれない仮説として取り扱うということでしょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■36698 / inTopicNo.23)  Re[34]: 数や言語や記号の観念的操作
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/02(Sat) 22:30:34)
    こんばんは、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No36686に返信(knowingitselfさんの記事)

    > >>思うに、呼吸を体験できるのはいま吸う息か、いま吐く息。これしかありえない。
    > >>過去の呼吸や未来の呼吸は、どんな人間であろうと直接体験できない。過去や未来の呼吸は観念としての呼吸でしかない。

    >>ここもうちょっと詳しく教えて下さい。
    >>呼吸に意識を向けるのは言いかえれば今だけに意識を集中することだとも思うのですが、そこに過去や未来の呼吸というのは入り込む余地はないと思うんですが。。。。

    > アナパナ、つまり呼吸それ自体を瞑想オブジェクトにする瞑想は、今ここを意識しようとするより、呼吸に気づいていって、今ここの呼吸だけを意識することをゴールにするものだと理解しています。

    No36689に返信(knowingitselfさんの記事)
    > 数息観という手法があります。これ一本でも最終的には悟ることが可能という禅者は少なくない。
    > そうだろうと思いますが、初心のうちの数息観は呼吸を観念的にカウントしているだけで、綿密に呼吸そのものに向き合って意識できていない。
    > 数の意味を理解するとか、言葉や数字や記号を操作できることは、呼吸から切断され抽象されて体得できていますが、これらを取得する原初の実戦場面では必ず呼吸していたはずです。呼吸は意識していない場合がほとんどだと思いますが。

    はい、私も数息観はアナパナに近い手法だと思っていました。
    そしてknowing itselfさんが言われるように「呼吸に気づいていって、今ここの呼吸だけを意識することをゴールにするもの」と思っていて「呼吸に意識を向けるのは言いかえれば今だけに意識を集中すること」と述べたのですが。言葉足らずでうまく伝われなかったようです。

    > それが簡単にはいかないというか、吸う息、吐く息だけを意識しようとしても、雑念が群がり起こってきます。

    はい、それはその通りだと思います。

    > ところで、言語は呼吸の変形だ思いませんか?私はそう思います。息を吐かずに言葉を発語することはできません。基本的に言葉をつかって考えることは、過去の呼吸の時の思考を再現反復することにならざるをえない。

    そう言われてみればそうですね。
    あと呼吸というのは身体反応の中でも意識と無意識のはざまにあることも重要だと思います。

    > 呼吸はいまここの吐く息吸う息しか直接体験できないのに、言葉や言語的想念に支配される人間は、いまここの呼吸を取り逃して、過去の呼吸の時の痕跡をコピーしてしまう。

    確かにそうですね。
    restさんもNo36684で触れられていますが。。。
    時間を過去・現在・未来と、今ここにあるはずもない過去や未来も含め分断化してしまうのも言語のなせる業だと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■36697 / inTopicNo.24)  Re[1]: 哲学全般、仏教、科学etc 15
□投稿者/ lito_simple -(2024/03/02(Sat) 20:44:48)
    こんばんは。

    パニチェさんは以前にYahooの哲学掲示板に書き込みされていた方でしょうか。
    私も以前にYahooの掲示板をすこし見ていた時期がありまして、ふと今はどうなっているのだろうと思ってGoogle検索してみたところ、こちらのサイトにたどり着きました。
    Yahooの掲示板はなくなってしまったのですね。

    当時は他者理解というテーマに興味があり、なぜ誤解ということが起きてしまうのか、他者を真に理解するとはどういうことなのかといったことについて興味があり、その答えを科学哲学、言語哲学、論理学といった分野に求めていました。

    最近、グローバルビジネスに関するテキストに、次のような異文化コミュニケーションの原則が載っているのを見つけました。
    本質が端的に表現されていると感じました。(いろいろな国のメンバーからなるグローバルビジネスの現場での活用を想定した内容です。)

    1. 類似性が確認されるまでお互いは異なると仮定する
    2. 解釈や評価よりも記述を重視する
    3. 相手の立場で考える
    4. 自分の解釈は実証されていない仮説として取り扱う

    端的すぎて何を言っているのかわかりにくい、あるいは当たり前のことを言っているだけのように見えるという面もありますが、実際に異文化コミュニケーションの実践において失敗や改善を重ねたり、哲学的(批判的)に物事を考える経験を積むことで、これらの原則の言わんとしていることがより深く理解できるように感じました。
引用返信/返信 削除キー/

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