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■35369
/ inTopicNo.49)
独在論>うましかさんへ
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□投稿者/ パニチェ
-(2023/12/09(Sat) 08:24:17)
おはようございます、うましかさん。レスありがとうございます。
まず初めに、私の場合は備忘録みたいなものでも、これに対しての横レスとか異論・反論でも知的刺激となり探究が進むこともあるので大歓迎なんです。
でも、人によってはメモ書きに横を付けられると書きにくくなるから、どちらかというと控えて欲しいという人もいると思うので。その意向も尊重したいと思ってます。
今回は返信させてもらいますが、後者の場合はほんと遠慮なくその旨を次回に返信して下さい。
■
No35350
に返信(うましかさんの記事)
> >称される「私」とは、ある意味で外観("外なる"性)であるということには同意なんですが、意識、心、自我、意志、精神、霊魂、これらは我(私)の、"内なる"性を喚起するメタファーになるんでしょうかねぇ〜。
> > 「私」と同じく「意識」「心」「自我」「意志」「精神」「霊魂」も誰にでも当てはまるラベルであることに変わりなく、私的にはその違いが分かりません。
> 思いつきをツラツラ書き連ねている身として申し訳ないです。
お詫びなどとんでもない。思いつきを書いておくことは大事だと思いますし、私もよくします。
そういう独自の思考活動こそが私は哲学だと思っています。^^
> 私の外なる性とか、意識だの心だのの内なる性なんてのの、外、内は恣意的な区別に過ぎません。意味不明な文章の、僅か「称される(ラベル貼りされる)」というコトバに対し、おそらくは同意というよりはパニチェさんなりのやさしさを示して下さったのかな。
いえ、配慮ではなく「"外なる"性」と「"内なる"性」というのはうまい表現だし「私」が「"外なる"性」であることにはその通りだと思いましたので、同意と返信しました。
> とりあえず、私の意識、私の自我、私の意志、精神、霊魂、、、などと日常的には表現しますが、私の私とは、私の場合は言わないよな〜という思いつきが出発点とでもいいましょうか。。。
なるほど。
> 私の意識、私の自我、私の意志、私の精神、私の霊魂、、などと言う場合、"私の"には、意識だの自我だの精神だの霊魂だのをメタ的な(より高次な)視点からとらえる"私"が措定されているとか、
> 私の私、の場合は、例えば〈私〉の「私」とかカッコで区別するか、そんなの恣意的な区別で、私の私なんてナンセンスだとするとか。
例えば上記のように「私の意識」「私の自我」「私の意志」「私の精神」「私の霊魂」と表現しても「私」も「意識」も「自我」も「意志」も「精神」も「霊魂」も万人に当てはまってしまう「"外なる"性」としての言葉の繋ぎ合わせですから、そこから「"内なる"性」へとは向かないと思うんですね。特に一人称単数代名詞とか一般名は「"内なる"性」へとは向かないというか、どんな言葉も言葉である以上、「"内なる"性」を表現できないと思っています。
あとこれは余談ですが
No35363
&
No.34603
でJ.R.サールによる独我論の三段階をあげられていましたが永井均氏は独我論と独在論を区別しています。
独我論というのは誰にでも当てはまる「心的状態をもつのは自分だけだという見解」であって、ある意味では似非独我論。これと真正独我論を独在論として区別することには私も賛成なんですが、私は独自の定義を考えています。
他者に心的状態を認めないなんてことは現実離れしている。確かに確認しようがないのだから仕方がないと言えばそれまでですが、同じ身体(脳をはじめとした感覚器官)を有することからして、他者にも心があるってことはなかなか排除できない。言いかえればこれは身体性の信仰みたいなものかもしれない。
一方、独在論というのは自我の有無にフォーカスしているのではなく、存在の在り方というか様相にスポットを当ててる。
〈私〉のような存在は唯一無二であり、他者に〈私〉を認めないという見解です。
上記は今回のうましかさんへの返信、うましかさんのカキコに触発されて思い浮かんだことなんです(個人的には大収穫です)。
つまるところが、それでは〈私〉って何ってことになるんですが、これを話し出すと長くなりすぎるので、今回の返信はここらでやめておきます。^^
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■35367
/ inTopicNo.50)
スピリチュアリティの現在(´-`).。oO
▲
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■
□投稿者/ うましか
-(2023/12/09(Sat) 00:14:59)
◇ 現代思想10「特集:スピリチュアリティの現在」
・
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3842&status=published
引用返信
/
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■35363
/ inTopicNo.51)
solipsismについてのメモ11
▲
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■
□投稿者/ うましか
-(2023/12/08(Fri) 23:13:10)
2023/12/08(Fri) 23:14:02 編集(投稿者)
・心的状態をもつのは自分だけだという見解を「独我論」と呼ぶ。
・J.R.サール(
No.34603
/ 『MiND マインド 心の哲学』)のまとめによれば、独我論には少なくとも三つの段階がある。
・一つめはもっとも極端な形式。これは、私こそが世界でただ一人の心的状態をもつ人間であり、実際、私の心的状態のほかに世界にはなにも存在しない、というもの
・二つめは認識論的な独我論。これは、他人もひょっとしたら心的状態をもっているかもしれないが、それを確かめることはできないというもの。
・三つめは、他人も心的状態をもっているが、それが私の心的状態のようなものであるかはわからないというもの。
・以下は私の思いつき
・一つめのソリプシストは「あなた」と呼びかける経験を有さない
・二つめのソリプシストはとりあえず「あなた」と呼びかけている
・三つめのソリプシストは「あなた」と呼びかけてとりあえず調子を合わせている
引用返信
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■35350
/ inTopicNo.52)
パニチェさんへ
▲
▼
■
□投稿者/ うましか
-(2023/12/08(Fri) 21:52:46)
2023/12/08(Fri) 22:34:33 編集(投稿者)
>称される「私」とは、ある意味で外観("外なる"性)であるということには同意なんですが、意識、心、自我、意志、精神、霊魂、これらは我(私)の、"内なる"性を喚起するメタファーになるんでしょうかねぇ〜。
「私」と同じく「意識」「心」「自我」「意志」「精神」「霊魂」も誰にでも当てはまるラベルであることに変わりなく、私的にはその違いが分かりません。
思いつきをツラツラ書き連ねている身として申し訳ないです。
私の外なる性とか、意識だの心だのの内なる性なんてのの、外、内は恣意的な区別に過ぎません。意味不明な文章の、僅か「称される(ラベル貼りされる)」というコトバに対し、おそらくは同意というよりはパニチェさんなりのやさしさを示して下さったのかな。
とりあえず、私の意識、私の自我、私の意志、精神、霊魂、、、などと日常的には表現しますが、私の私とは、私の場合は言わないよな〜という思いつきが出発点とでもいいましょうか。。。
私の意識、私の自我、私の意志、私の精神、私の霊魂、、などと言う場合、"私の"には、意識だの自我だの精神だの霊魂だのをメタ的な(より高次な)視点からとらえる"私"が措定されているとか、
私の私、の場合は、例えば〈私〉の「私」とかカッコで区別するか、そんなの恣意的な区別で、私の私なんてナンセンスだとするとか。
まあ、今のところ言葉遊びに独り耽溺しているといった状況です。
乱筆ご容赦を。
引用返信
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■35341
/ inTopicNo.53)
Re[26]: solipsismについてのメモ9
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□投稿者/ パニチェ
-(2023/12/08(Fri) 15:26:20)
こんにちは、うましかさん。横レス失礼します。
■
No35308
に返信(うましかさんの記事)
> ・称される「私」とは、ある意味で外観("外なる"性)である。
> ・意識、心、自我、意志、精神、霊魂、、これらは我(私)の、"内なる"性を喚起するメタファーである。
称される「私」とは、ある意味で外観("外なる"性)であるということには同意なんですが、意識、心、自我、意志、精神、霊魂、これらは我(私)の、"内なる"性を喚起するメタファーになるんでしょうかねぇ〜。
「私」と同じく「意識」「心」「自我」「意志」「精神」「霊魂」も誰にでも当てはまるラベルであることに変わりなく、私的にはその違いが分かりません。
引用返信
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■35333
/ inTopicNo.54)
solipsismについてのメモ10
▲
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■
□投稿者/ うましか
-(2023/12/07(Thu) 23:59:24)
・ソリプシズム論の前提としての他我問題、つまり、他我の認識と他我の存在を問うこととしての。
・他我とは、この私以外の者の自我、すなわち「私」である。
・この私と、他我のそれは同じく「私」と称される。
・この私は、私以外の者にも私同様、自我が在ることを、疑いなく受け入れている。
・この私は、私以外の者の自我に「あなた」と呼びかける
・「あなた」は、呼びかけたこの私に対し「私は〜」と応答する
引用返信
/
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■35308
/ inTopicNo.55)
solipsismについてのメモ9
▲
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■
□投稿者/ うましか
-(2023/12/06(Wed) 23:01:49)
2023/12/08(Fri) 00:24:19 編集(投稿者)
・ソリプシズム論の前提としての他我問題、つまり、他我の認識と他我の存在を問うこととしての。
・他我とは、この私以外の者の自我、すなわち「私」である。
・この私と、他我のそれは同じく「私」と称される。
・一つの疑念。なぜ「他」我なのか。これには類似する我(私)の区別(自−他)が予め持ち込まれている。
・この私は、私以外の者にも私同様、自我が在ることを、疑いなく受け入れている。
・称される「私」とは、ある意味で外観("外なる"性)である。
・意識、心、自我、意志、精神、霊魂、、これらは我(私)の、"内なる"性を喚起するメタファーである。
引用返信
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■35300
/ inTopicNo.56)
solipsismについてのメモ8
▲
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■
□投稿者/ うましか
-(2023/12/06(Wed) 20:22:37)
・ソリプシズム論の前提としての他我問題、つまり、他我の認識と他我の存在を問うこととしての。
・他我とは、この私以外の者の自我、すなわち「私」である。
・この私と、他我のそれは同じく「私」と称される。
・この私は、私以外の者にも私同様、自我が在ることを、疑いなく受け入れている。が、おそらくその根拠を外観にもとめている。
・たとえ中身(そのように呼んでみる)が全く異なるとしても、私の目にうつる外観や振る舞いが、私に理解可能な私との類似をしめしているならば、私はそこに自我(他我)の存在を認めるにちがいない。
引用返信
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■35287
/ inTopicNo.57)
solipsismについてのメモ7
▲
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□投稿者/ うましか
-(2023/12/05(Tue) 22:42:06)
・前提としての他我問題、他我の認識と他我の存在を問うこととしての
・"他我"とは、私以外の者の自我、「私」である
・ところで、他ならぬこの私と、私以外の者の自我、つまり私は同じであろうか?
・それは同じく「私」と称される。
・この私は、私以外の者にも私同様、自我が在ることを、疑いなく受け入れている。(おそらくその根拠は外観であろう)
・とはいえ、在ることは疑いなく受け入れているが、いかに在るか、つまり在り様については、区別しようとする
・言ってみるならば、他ならぬこの私と、私以外の者の自我、つまり私は、類似するということ。
引用返信
/
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■35270
/ inTopicNo.58)
ベケット「名づけられないもの」(;´・ω・)
▲
▼
■
□投稿者/ うましか
-(2023/12/04(Mon) 01:18:01)
◇サミュエル・ベケット『名づけられないもの』
・
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207872/
おもしろい記事みつけた(・ω・)ノ
・
https://note.com/joyous_hyssop257/n/nf57ef675eb26
*******
マウトナー、ウィトゲンシュタイン、ベケット、、、(;´・ω・)沼地発見
引用返信
/
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■35269
/ inTopicNo.59)
solipsismについてのメモ6
▲
▼
■
□投稿者/ うましか
-(2023/12/04(Mon) 00:42:43)
2023/12/04(Mon) 00:52:20 編集(投稿者)
・固有名詞(氏名)N.Nは、与えられる。
・つまり、この「N.N」とは、"あなたはN.Nである"という意味である
・"あなたはN.Nである"、これが人称的な「私」の意味である。
・さて、ここで指される"あなた"は、N.Nと名づけられてはいる
・だが、N.Nが与えられたものである以上、"あなた"は(を)名づけ得ぬものと拒むことはできるだろう
引用返信
/
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■35261
/ inTopicNo.60)
文庫クセジュ「実存主義」(;´・ω・)
▲
■
□投稿者/ うましか
-(2023/12/03(Sun) 17:09:53)
◇ポール・フールキエ『実存主義 [改訂新版]』,1963年
・
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b204898.html
>合理主義的な観念論に叛旗を翻すように、二十世紀という危機の時代における人間の自覚の先鋭な表われとして登場し、主体的な自己を認識し、回復させるために起こった実存主義の思潮の流れを、サルトルとメルロ=ポンティの行動を中心にすえ、西欧思想の伝統に深く根ざす苦悩の意味を平易に解き明かす。
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