| いま現象学のから、想像を中心に、想像、感覚、知覚、記憶の関係についていろいろ考えてるところなんだけど、 ちょっと変更。 No36093、のように見たの、やっぱ違ってたかも。
(s)の〔想像について語れば、その想像・像は意識内容ではなく、志向的対象であり〕っていうところ。 〔その想像・像は〕の〔その〕っていうのは〔想像〕にかかってるわけだから、〔想像によって〈されたもの〉として想像・像〕って見るのが自然なのかも。わたしが最初、直観的に〈想像によってできた像〉って見たのでよかったのかも。 な〜んか複雑に考えすぎたみたい。 (s)のこの部分は、わたしにとって、 〔想像によって〈されたもの〉としての想像・像は、意識の内容ではなく、意識の志向的対象である〕(A-s) っていうんでいいと思う。 でね、こう見たとき、「端的な知覚によって〈されたもの〉として知覚・像」ってして見てもいいんじゃないかしら、って。 そうするとわたしにとってはだいぶすっきりしてくる感じなんだけど。
あと、 (A-s)って見たとき、わたしのなかで問題となるのは、(s)のなかにある〔意識〕なのね。この〔意識〕っていうのどう見たらいいのかしら?って。 思考も感覚も知覚も記憶も想像も思考もぜ〜んぶ、意識よね。 でね、いまわたしが思ってるのは、わたしが名づけた〈自〉っていう意識の領分を想い出してるんだけど、これについてはもうちょっとよく考えて見てからにする。
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