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No9995 の記事


■9995 / )  Donald Byrd
□投稿者/ rest -(2020/12/12(Sat) 23:19:43)
    2020/12/14(Mon) 10:19:33 編集(投稿者)
    2020/12/12(Sat) 23:37:33 編集(投稿者)

    Lex - Donald Byrd Quintet

    https://www.youtube.com/watch?v=W-X9O10rZxI


    Alfred Marshall (1842-1924)の薫陶をうけた弟子であるJ.M Keynes(ケインズ)の理論の出発点は「非自発的失業」という概念だった。ケインズ以前の新古典派の考え方は労働市場における均衡点は完全雇用であり、その時に生じている失業は自発的失業つまり自己責任で納得して失業している人々が存在しているという考え方だった。ところが1929年の世界大恐慌のとき群れをなしあふれ出た失業者の悲惨な状況は自発的失業では説明できなかった。働く意思はあっても仕事のない状態は自発的失業ではない。このような失業を非自発的失業とケインズは呼んだ。非自発的失業は自己責任ではなく、社会的責任で救済されねばならない。
     新古典派と違うのは賃金の下方硬直性という考え方だ。労働供給曲線が下方で屈折している状態であり、様々な要因が考えられる。生存権という人権からくる最低生活費の保障の考え方を基本とする最低賃金もその要因のひとつといえる。不況になると最低賃金でも雇えない、たとえば固定費である賃金をカットするために労働者の首切り合理化が進むのも不況期の現象だ。
     ケインズの一般理論が示すのも非自発的失業の解消が目的なのだ。財政政策で公共投資を増やしてIS曲線を右にシフトさせるのも非自発的失業者に仕事を与えるためである。
     ケインズの根本を支えているのはマーシャル以来引き継いできた「社会的責任」という概念といえる。それはすべて自己責任で解決すべきという新古典派に対して、自力では潰されてしまうという社会的不可抗力の壁に対抗するには社会的責任という考え方が必要だということだろう。

    私個人的には、非自発的失業の解消には社会的責任で対応するが、完全雇用を達成した後に生じる失業者すなわち自発的失業者は自己責任の範疇と考えている。すべて社会的責任というわけではない。ただ社会には自己の努力ではどうにもならない不可抗力の壁が存在することも事実である。運命としてうけいれるか、闘うか、闘うにしてもどう闘うのか。個人か、連帯か。

    金持ちの子供つまり世襲の子と貧乏人の子供では教育の機会は平等ではない。東大の入学者の7割が年収1000万円以上の資産家の子弟だという。これも社会的不可抗力の壁のひとつだろう。資産格差の世襲ということか。
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