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Re[54]: パニチェさんへ
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□投稿者/ minori -(2020/10/01(Thu) 07:53:02)
| 昨日書いたものに追記です。
・・・・ 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:20〜23) ・・・・ パウロの書いた手紙の文章からです。
イエスが生きて活動していた時期は、イエスと人々の関係は近く、直接に言葉でやりとりして、どんな境遇の人に対しても分け隔てのない態度であったというのは伝えられていますね。 イエスと人々との感動的なやりとりが、新約聖書の中にはたくさん書かれています。
イエスが復活して人々の前に現れ、パウロの前にも現れ、パウロは「目から鱗が落ちる」になったとされています。 それで改心してイエスを神と信じるようになり、というのは有名ですね。
引用したパウロの文章は、キリスト教として形成されていく上の理念ともいえるものではないかな、と私は感じます。 神との契約を仲介する教会があり聖職者がいて洗礼をイエスに代わって授ける、という仕組みが形成されていったのでしょうね。 そして歴史上の時間が経つにつれ、パニチェさんが書かれているように、特権階級を生む(ニーチェからすればそういうことで、キリスト教を信じる人にとってはそうでもないかも。)ようになった、ということになるのだと思います。
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