(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

No6014 の記事


■6014 / )  神の死と悦ばしき知識
□投稿者/ パニチェ -(2020/09/02(Wed) 20:47:19)
    2020/09/02(Wed) 20:54:46 編集(投稿者)

    ここはニーチェクラブなので一応投稿しておきます。

    ニーチェの文に何かしらの呪いを感じるとすれば、ニーチェ的には読者が何らかの呪いを抱えており、それをニーチェの文に投影しているということになるでしょうね。

    以下の「善悪の彼岸 箴言と間奏第146番」は上記も示唆したアフォリズムです。

    『怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ。』


    ニーチェが初めて触れた「神の死」は以下です。

    狂気の人間──諸君はあの狂気の人間のことを耳にしなかったか、──白昼に堤燈をつけながら、市場へ駆けてきて、ひっきりなしに「おれは神を探している!おれは神を探している!」と叫んだ人間のことを。──市場には折りしも、神を信じないひとびとが大勢群がっていたので、たちまち彼はひどい物笑いの種となった。「神さまが行方知れずになったというのか?」とある者は言った。「神さまが子供ように迷子になったか?」と他の者は言った。・・・──彼らはがやがやわめき立て嘲笑した。狂気の人間は彼らの中にとびこみ、孔のあくほどひとりびとりを睨みつけた。「神がどこへ行ったかって?」、と彼は叫んだ、「おれがお前たちに言ってやる!おれたちはみな神の殺害者なのだ!・・・たえず夜が、ますます深い夜がやってくるのではないか?白昼に堤燈をつけなければならないのではないか?・・・殺害者であるおれたちはどうやって自分を慰めたらいいのだ?世界がこれまでに所有していた最も神聖なもの最も強力なもの、それがおれたちの刃で血まみれになって死んだのだ、・・・どんな贖罪の式典を、どんな聖なる奏楽を、おれたちは案出しなければならなくなるだろうか?・・・それをやるだけの資格があるとされるには、おれたち自身が神々とならねばならないのではないか?これよりも偉大な所業はいまだかつてなかった──そしておれたちのあとに生まれてくるかぎりの者たちは、この所業のおかげで、これまであったどんな歴史よりも一段と高い歴史に踏み込むのだ!」──ここで狂気の人間は口をつぐみ、あらためて聴衆を見やった。聴衆も押し黙り、訝しげに彼を眺めた。ついに彼は手にした堤燈を地面に投げつけたので、堤燈はばらばらに砕け、灯が消えた。「おれは早く来すぎた」、と彼は言った・・・(ニーチェ著「悦ばしき知識 第125番」より)』


    おれたちはみな神の殺害者であり、神は死んだ、しかしそこに呪いなどありません。

    神を殺害することによって「おれたち自身が神々とならねばならないのではないか?これよりも偉大な所業はいまだかつてなかった─そしておれたちのあとに生まれてくるかぎりの者たちは、この所業のおかげで、これまであったどんな歴史よりも一段と高い歴史に踏み込む」ことになる。

    「神の死」は『悦ばしき知識』として語られているからです。

返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -