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No4599 の記事


■4599 / )  Re[15]: 〈私〉について 8-3
□投稿者/ 時 -(2020/07/27(Mon) 01:18:39)
    失礼しました。追記です。

    > これは私の想像も入ってますが、阿頼耶識は無我と輪廻転生の整合性のための教義でもあると思われます。
    > 唯識の八識説は後世の仏弟子や高僧が無我であるなら輪廻転生する主体とは何か?という問いに対する答えと、我の細部に至る仕組みや分析を学究と修行の成果によってまとめた論書であると考えます。

    パニチェさんのご認識は了解しました。下記は原始仏典での記述です。

    六識身があります。眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識です。(中部9経「正見経」)

    「識、識」と言われますが、何をもって識と言われるのでしょうか?「それは識別する、それは識別する」ということから識と言われます。しかし、何を識別するのでしょうか。「楽である、苦である、非苦非楽である」と識別するのです。このことから識と言われるのです。(中部43経「大有明経」)

    これらの記述があるのに、大乗の高僧が輪廻の主体は?という問いに対して、あと2つを足してしまっていますね。(唯識の八識説)先程の投稿のとおり、特段拘りはありませんが、仏陀の教えでは識が輪廻するという意味合いの事が書かれています。

    識とは六識身の事であり、識別作用の事ですね。

    これで大乗の高僧は、法灯明を守れているのでしょうか?この場合の法灯明の法とは、「六識」であり、「八識」ではないように思います。この時点で仏陀の教えは変形していますね。(原始仏典が本当に仏陀の教えが記載されているのならですが)
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