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Re[94]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/12(Sat) 18:35:45)
| No42039、話がそれてきちゃってるみたいだから、今の話題に戻すね。
まず、メルポンの〈点0の知覚は0点にある〉のもとになってるらしいカントの『負量の概念』について、
No42013の(資料0)から見て見る。
『負量』っていうのは、〔数学におけるマイナス〕のことで、これを哲学に導入する試み、っていうことでいいかな。
(k1)〔+aと−aとは互いの負量である〕 っていう見方はおもしろいと思う。 そして、〔両者の総和は「ゼロ」である〕 この例が(g)に書かれてある。でもちょっと思ったのね。 +5と−7では、その総和は−2じゃない? 0にはならないと思うんだけど。 ま、これは置いといて、
(x)(+)を「正」――「肯定」(ある) (y)(−)を「負」――「否定」(ない) って見ていいかな? そして、 (資料0)の(f)から、 (x),(y)を「実在的対立」(或る事物の属性間の対立)ってして見て、〔これは表象可能であるという意味〕で「矛盾」とは異なる。 そして、 (x),(y)の〔正負の量が拮抗した状態〕、これをカントは〔無〕として見て、こういう無を「ゼロ(Zero=0)」。 こんな感じ?
でね、メルポンのと結びつけるために、わたしいろいろ考えて見たんだけど、
(K0-A1) 0っていうのは、+と−を産み出すもの(場)
ってして見たのね。 だって、0が存在しなければ+も−も無いわけよね。 こういうのから、 +(正、肯定)と−(負、否定)は、対立するのかもしれないけど、0の内の属性間の対立と見たとき、この両者が同時に存在することは「矛盾」にはならない。
(K0-A2)〈「ある」かつ「ない」〉が同時的に存在する場としての〈0〉が存在する。
カントの『負量の概念』、わたしこういうふうにして見たのね。
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