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Re[90]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/04/11(Fri) 18:43:14)
| メルポンの〈点0の知覚は0点にある〉についての資料からの抜粋は No42014までで、わたしの見えを書いてくつもりなんだけど、 その前にね、
No42012のところはわたし読み返しになるんだけど、いま思われたこと、忘れないうちに書いとく。
(M-C)に 『〈意味〉の把握』とか『〈意味〉の違い』ってあるけど、 No41741の(F-D)の訳注に、 〔フッサールは「意味を通じて対象に関わる」こととして志向性を確立していった。〕 ってある。 そして、 『客観的世界と主観的見かけとの相異はもはや二種類の存在の相違ではなく、ふたつの〈意味〉の違い』 これ、わたしこう見たのね。 No39939で見たようなのを想いだして、 ネットで「リンゴとは」で調べて見たら、ウィキペディアに、 〔リンゴ(林檎、学名: Malus domestica)は、バラ科リンゴ属の落葉高木の一種、またはその果実のことである。植物学上の和名では、セイヨウリンゴともよばれる。〕 ってあった。このようなのを〈客観的なリンゴの意味〉ってして見る。 一方、〈kちゃんのリンゴの意味〉っていうのもあると思う。これを〈主観的〉ってして見るのね。 この二つの意味は、「リンゴ」っていう『二種類の存在の相違ではなく二つの〈意味〉の違い』。 こんなふうに見たよ。
つづく
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