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Re[78]: Re:つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2025/01/19(Sun) 08:58:01)
| No40610で、ひとまずわたしの「表象」の意味ができたところで、
(資料Kh)と(資料Ko)のを並べて見てみたよ。 [1]――――――――――――――― Kh(p1-1)人がものを知るやり方は判断や推理などいろいろあるが、直接的にものを知るときには直観を使う。 ものを考えるときは人はいつも直観に頼るものだ。しかし、直観するためにはその前にその対象を手に入れなければいけない。しかし、神様でもない限り、人が対象を手に入れるには、対象のほうが人の心を触発しないといけない。
Ko@どのような仕方でどのような手段を用いて認識が諸対象に関係するとしても、認識がそれを通じて諸対象に直接的に関係し、そしてあらゆる思考がそれを手段としようとするものは、直観である。
KoAしかし、直観は、私たちに対象が与えられる限りで成立するに過ぎない。さて、対象が与えられるというこのことは、これまた、少なくとも私たち人間にとっては、対象がこころをなんらかの仕方で触発することによってのみ可能である。 ――――――――――――――――― [2]――――――――――――――― Kh(p1-2)この対象の触発に応じて、そのイメージを受け取る能力を感性という。つまり、感性によって人は対象を手に入れるのである。ということは、感性のおかげで人は物を直観できるということになる。
KoB私たちが諸対象によって触発される仕方によって諸表象を手に入れる能力(受容性)を感性という。したがって、感性を介して私たちに諸対象が与えられるのであり、ひとり感性だけが私たちに直観を提供するのである。 ――――――――――――――――― [3]――――――――――――――― Kh(p1-3)いっぽう、手に入れた対象について考えるのは知性の仕事である。知性が理解するのである。しかし、物を考えるということは、直接にしろ、あるいは何かの目印を介して間接的にしろ、結局は直観、そして人間の場合は感性のお世話になるしかない。ほかの手段では対象は手に入らないからである。
KoC他方、悟性によって諸対象が考えられ、悟性から諸概念が生まれる。
KoDもっとも、すべての思考は、まっすぐに(直接的に)であろうと回り道をして(間接的に)であろうと、なんらかのメルクマールを介して、最後は直観に関係しなければならないのであり、したがって私たちの場合は感性に関係しなければならないのである。なぜなら、私たちには他の仕方で対象が与えられないからである。(A19/B33) ――――――――――――――――― [4]――――――――――――――― Kh(p1-4)そして、その対象が外から感性を触発した結果が感覚である。直観のうちでこの感覚を通して対象とつながっているものを、経験による直観という。この経験による直観の対象で、まだわけの分からないものを現象という。
(Ko-4)ある対象が表象能力に及ぼす影響が、私たちが対象によって触発される限り、感覚である。感覚によって対象に関係するような直観を、経験的という。経験的直観の未規定な対象を現象という。(A19f./B34) ――――――――――――――――― ここまでのから、わたしの見方、もう一度
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