□投稿者/ pipit -(2024/12/09(Mon) 00:04:37)
| 2024/12/09(Mon) 06:22:02 編集(投稿者)
悪魔ちゃん、こんばんは(^O^)
No39955 > 今ね、うましかさんから教えてもらった > No39935を読んでるところなんだけど、 > 〔『純粋理性批判』のB版演繹論第26節は、テキストの理解について、一つの難問を提起している。〕 > ってあって、 > 〔カントはその箇所で、カテゴリーによる総合が直観の把捉、すなわち、知覚の条件であると述べており、〕 > (〔知覚の条件〕っていうの、ほら、わたし自称メルポン派だから、ここんと、すっごく気になってるのね。) > ってあって、<
「知覚」と言う言葉をどのような意味で使うのか、という問題もあるよね。
悪魔ちゃんが書いてくれた文章の中に『直観の把捉』があるでしょう? pipitの理解では、様々な直観が刻々と与えられる中で、それをざっとまとめて、想像力が 『対象』をつくりあげる感じかなと思ってるんだよ。 悪魔ちゃんが得た時空的な直観から想像力でpipitというヒト、を作る、それも『直観の把捉』だとpipitは思ってるんだけど、それが【すなわち】知覚、ってことは、pipitが考えるに、この箇所では、カテゴリーによる総合が、《対象を規定する一つの情報としての知覚》としての知覚 の条件ってことになってるのかなと思っちゃうなぁ... うーん、何かわからず、『熱っ!!』とか感じることってあると思うんだけど、カント的には、『熱っ!!』単体では知覚として見ないということなのかなぁ、『熱っ!!』は知覚以前の感じる何かで、 『熱っ!!』がカテゴリーによる総合に従うことで、何かの内容を持った情報の一部分として把捉されるということなのかなぁ、その時の『熱』は知覚にカントは分類するのかなぁ。 (・・?)???
> わたしがpipiさまに聞きたいのは〜、『純粋理性批判』のB版演繹論第26節でカントはどんなこと言ってるのかな〜、って。<
この箇所の題名の中山元先生の日訳は、
『第二六項 純粋知性概念を可能的な経験に普遍的に利用できることの超越論的な根拠づけ』
になってるよ。 この箇所文庫本で11ページくらいあって、 段落ごとに中山先生独自の小タイトルをつけてるんだけど、この第二六項は、
168 自然科学の可能性 169 把握による総合 170 経験の条件としてのカテゴリー 170n 直観の形式と形式の直観 171 量のカテゴリーによる把握の実例 171n 自発性としての想像力と自己統合の意識 172 原因のカテゴリーによる把握の実例 173 自然の謎 174 カテゴリーにしたがう自然
、とあるよ。 興味ある箇所があったら引用や読解などにチャレンジするよ!いつでも気軽に言ってね p(^_^)qガンバルゾー
検索して出てきた論文。第26節のことも書いてあるみたいなのでアドレスを貼りますね。↓
直観はいかなる意味で概念に依存するのか 『純粋理性批判』演繹論における直観の理論について 片山 光弥さん
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf/ron40/05-Katayama.pdf
>pipiさま、休暇中、ごめんね。<
今回のスレッドが終わってから休暇だよ! 短期休暇にするつもりで、多分すぐにパニチェさんに再開などをお願いしにくると思うよ (^_^)アリガトウ
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