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No39943,40101,40235,40240,40294,40300 の記事


■39943 / )  超越論的分析論]−3
□投稿者/ うましか -(2024/12/07(Sat) 23:19:20)
    2024/12/07(Sat) 23:21:29 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    おじゃましますー(;・∀・)沼

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◇ 綜合的な〔synthetische〕表象とその対象が一致し〔zusammentreffen〕、互いに必然的に関係し合う、言わば、互いに出会い得るのは、〔次の〕二つの場合しかあり得ない。すなわち、対象のみがその表象を可能にする場合か、表象のみがその対象を可能にする場合かのどちらかである。
    前者の場合、この関係〔Beziehung〕は経験的であるに過ぎず、その表象は決してア・プリオリに可能ではない。そしてこのことは、感覚〔Empfindung〕に属するものであれば何であれ、現象にも当てはまる。
    しかし後者の場合には、表象そのものは( 何故なら、意志を介したその表象の原因性はここでは全く問題ではないから)、己の対象をその現存在から〔dem Dasein nach 〕℃Yみ出すことはない。
    それ故、この表象は、これを通じてのみ或るものを一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕≠アとが可能である場合は、〔表象は〕その対象に関してア・プリオリに規定する働きをする。
    しかし、対象の認識がそのもとでのみ可能となる二つの条件がある。
    第一〔の条件〕は直観〔Anschauung〕≠ナあり、これによって対象は、現象としてのみであるが、与えられる。
    第二〔の条件〕は概念〔Begriff〕≠ナあり、これによって、その直観に対応する対象が思考される。
    しかし前述から明らかなように、第一の条件、すなわち諸対象がそのものでのみ直観され得る条件は、実際にその〔空間と時間という〕形式からみて客観の根底に心の内でア・プリオリに潜んでいるということである。
    それ故、感性のこの形式的条件とは全ての現象が必然的に合致する〔stimmen〕。
    というのも、全ての現象は〔感性の〕この形式的条件を通じてのみ現象するからであり、換言すれば、経験的に直観され、与えられ得るからである。

    ―― No.39245 の続き ---

    ◇ところで、問題は、ア・プリオリな諸概念もまた、或るものがそのもとでのみ、たとえ直観されるのではないにせよ、にもかかわらず対象一般として思考される諸条件として先行するのではなかろうかということである。

    ◇何故なら、ア・プリオリな諸概念が先行するときには、諸対象の全ての経験的な認識はそうした諸概念に必然的に従うからである。その理由は、そうした諸概念を前提とすることがなければ何一つとして経験の客観〔Objekt der Erfahrung〕≠ニして可能とはならないからである。

    ◇ところが、全ての経験は、或るものがそれを通じて与えられる感官の直観〔Anschauung der Sinne〕の他、直観において与えられ、或いは現象する〔erscheint〕対象についての概念〔Begriff〕≠も含んでいる。

    ◇従って、諸対象一般についての諸概念は、ア・プリオリな条件として全ての経験認識〔Erfahrungserkenntnis〕の根底にひそんでいることになり、よってア・プリオリな諸概念としてのカテゴリーの客観的な妥当性は、そうしたカテゴリーを通じてのみ経験が(思考の形式からみて〔der Form des Denkens nach〕)可能になるということに基づいている。

    ◇何故なら、そのときにはカテゴリーを介してのみ総じて経験の何らかの対象は思考され得るからである。


    † 原佑訳上巻、p.244〜p.245参照。 原典はMeiner, p.172〜p.173
    † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.105〜p.106、石川文康 訳 上巻, p.152〜p.153
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,39943

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■40101 / )  超越論的分析論]−4
□投稿者/ うましか -(2024/12/15(Sun) 22:12:42)
    2024/12/15(Sun) 22:13:30 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    日曜夜のカント沼v( ̄ー ̄)v

    いってみよー ウマ(;゚Д゚)(゚Д゚; )シカ

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◆ 綜合された〔synthetische〕表象とその対象が一致し〔zusammentreffen〕、互いに必然的に関係し合う、言わば、互いに出会い得るのは、〔次の〕二つの場合しかあり得ない。すなわち、対象のみがその表象を可能にする場合か、表象のみがその対象を可能にする場合かのどちらかである。
    前者の場合、この関係は経験的であるに過ぎず、その表象は決してア・プリオリに可能ではない。そしてこのことは、感覚〔Empfindung〕に属するものであれば何であれ、現象にも当てはまる。
    しかし後者の場合には、表象そのものは( 何故なら、意志を介したその表象の原因性はここでは全く問題ではないから)、己の対象をその現存在から〔dem Dasein nach 〕℃Yみ出すことはない。
    それ故、この表象は、これを通じてのみ或るものを一つの対象として認識する〔als einen Gegenstand zu erkennen〕≠アとが可能である場合は、〔表象は〕その対象に関してア・プリオリに規定する働きをする。
    しかし、対象の認識がそのもとでのみ可能となる二つの条件がある。
    第一〔の条件〕は直観〔Anschauung〕≠ナあり、これによって対象は、現象としてのみであるが、与えられる。
    第二〔の条件〕は概念〔Begriff〕≠ナあり、これによって、その直観に対応する対象が思考される。
    しかし前述から明らかなように、第一の条件、すなわち諸対象がそのものでのみ直観され得る条件は、実際にその〔空間と時間という〕形式からみて客観の根底に心の内でア・プリオリに潜んでいるということである。それ故、感性のこの形式的条件とは全ての現象が必然的に合致する〔stimmen〕。というのも、全ての現象は〔感性の〕この形式的条件を通じてのみ現象するからであり、換言すれば、経験的に直観され、与えられ得るからである。
    さて問題は、ア・プリオリな諸概念もまた、或るものがそのもとでのみ、たとえ直観されるのではないにせよ、にもかかわらず対象一般として思考される諸条件として先行するのではなかろうかということである。何故なら、ア・プリオリな諸概念が先行するときには、諸対象の全ての経験的な認識はそうした諸概念に必然的に従うからである。その理由は、そうした諸概念を前提とすることがなければ何一つとして経験の客観〔Objekt der Erfahrung〕≠ニして可能とはならないからである。
    ところが、全ての経験は、或るものがそれを通じて与えられる感官の直観〔Anschauung der Sinne〕の他、直観において与えられ、或いは現象する〔erscheint〕対象についての概念〔Begriff〕≠も含んでいる。従って、諸対象一般についての諸概念は、ア・プリオリな条件として全ての経験認識〔Erfahrungserkenntnis〕の根底に潜んでいることになり、よってア・プリオリな諸概念としてのカテゴリーの客観的な妥当性は、そうしたカテゴリーを通じてのみ経験が(思考の形式からみて〔der Form des Denkens nach〕)可能になるということに基づいている。何故なら、そのときにはカテゴリーを介してのみ総じて経験の何らかの対象は思考され得るからである。

    ―― No.39943 の続き ---

    ◇ それ故、全てのア・プリオリな概念の超越論的演繹は、その全探究が向けられなければならない一つの原理を持っている。

    ◇ それはすなわち、ア・プリオリな諸概念は経験の可能性のア・プリオリな条件として認識されなければならない(それが、経験において見出される直観の可能性の条件としてであろうと、或いは、思考の可能性の条件としてであろうと)という原理である。

    ◇ 経験の可能性の客観的な根拠を与える諸概念は、まさにこの故に必然的である。しかし、そうした諸概念がそこで見出される経験を展開してみせることは、そうした諸概念の演繹ではない(そうではなくて例証である)。というのも、そうした諸概念は、その際には何としても単に偶然的なものとなるおそれがあるからである。

    ◇ 認識の全ての対象は可能的な経験において現われる。この可能的な経験との以上のような根源的な連関無しに、ア・プリオリな諸概念と何らかの客観との連関は全く理解され得ないに違いない。


    † 原佑訳上巻、p.245〜p.246参照。 原典はMeiner, p.173
    † その他、以下を参照。中山元 訳2,p.107、石川文康 訳 上巻, p.153
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943、]−4 No.40101
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,39943,40101

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■40235 / )  超越論的分析論]−5
□投稿者/ うましか -(2024/12/28(Sat) 16:31:27)
    2024/12/28(Sat) 18:24:59 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    気がつけばクリスマスも過ぎ去り、

    今年もあと数日で終わりますね(;・∀・)

    光陰(時間)矢の如し、、、さて空間は(。´・ω・)?

    (´-ω-`)沼〜

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◆ それ故、全てのア・プリオリな概念の超越論的演繹は、その全探究が向けられなければならない一つの原理を持っている。
    それはすなわち、ア・プリオリな諸概念は経験の可能性のア・プリオリな条件として認識されなければならない(それが、経験において見出される直観の可能性の条件としてであろうと、或いは、思考の可能性の条件としてであろうと)という原理である。
    経験の可能性の客観的な根拠を与える諸概念は、まさにこの故に必然的である。しかし、そうした諸概念がそこで見出される経験を展開してみせることは、そうした諸概念の演繹ではない(そうではなくて例証である)。というのも、そうした諸概念は、その際には何としても単に偶然的なものとなるおそれがあるからである。
    認識の全ての対象は可能的な経験において現われる。この可能的な経験との以上のような根源的な連関無しに、ア・プリオリな諸概念と何らかの客観との連関は全く理解され得ないに違いない。

    ―― No.40101 の続き ---

    〔以下は第一版〔A版〕のみ記載〕
    ◇ しかし、全ての経験の可能性の諸条件を含み、だがそれ自身は心〔Gemuets〕のいかなる他の能力からも導出されない三つの根源的な源泉(魂〔Seele〕の性能乃至は能力)がある。

    ◇ すなわち、感官〔Sinn〔sense〕〕=A構想力〔Einbildungskraft〔imagination〕〕=A統覚〔Apperzeption〔apperception〕〕≠ェそれである。

    ◇ これらに基づいているのは、1) 感官によるア・プリオリな多様なものの通観〔Synopsis(共観、概観)〕=A2) 構想力による多様なものの綜合=Aそして最後に、3) 根源的な統覚によるこの綜合の統一〔Einheit〔unity〕〕≠ナある。

    ◇全てのこれら能力≠ヘ、経験的な使用〔empirischen Gebrauch〕の他、なお超越論的な使用をも持っているが、この超越的使用は専ら形式に関わり、だからア・プリオリに可能である。この超越論的使用について、私たちは、感官に関しては$謔ノ第一部門〔超越論的感性論〕において論じたが、今や他の二つのもの〔構想力、統覚の超越論的使用〕をそれらの本性に関して洞察することに努めていきたいと思う。


    † 原佑訳上巻、p.246参照。 原典はMeiner, p.173〜p.174
    † その他、以下を参照。石川文康 訳 上巻, p.154
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−4 No.40101、]−5 No.40235
    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,39943,40101,40235

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■40240 / )  超越論的分析論]−6
□投稿者/ うましか -(2024/12/29(Sun) 00:48:58)
    2024/12/29(Sun) 22:04:48 編集(投稿者)
    2024/12/29(Sun) 00:50:18 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    今夜はもうひとがんばり(・ω・)ノ

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◆ それ故、全てのア・プリオリな概念の超越論的演繹は、その全探究が向けられなければならない一つの原理を持っている。
    それはすなわち、ア・プリオリな諸概念は経験の可能性のア・プリオリな条件として認識されなければならない(それが、経験において見出される直観の可能性の条件としてであろうと、或いは、思考の可能性の条件としてであろうと)という原理である。
    経験の可能性の客観的な根拠を与える諸概念は、まさにこの故に必然的である。しかし、そうした諸概念がそこで見出される経験を展開してみせることは、そうした諸概念の演繹ではない(そうではなくて例証である)。というのも、そうした諸概念は、その際には何としても単に偶然的なものとなるおそれがあるからである。
    認識の全ての対象は可能的な経験において現われる。この可能的な経験との以上のような根源的な連関無しに、ア・プリオリな諸概念と何らかの客観との連関は全く理解され得ないに違いない。

    〔以下は初版〔A版〕のみ記載〕
    ◆ しかし、全ての経験の可能性の諸条件を含み、だがそれ自身は心〔Gemuets〕のいかなる他の能力からも導出されない三つの根源的な源泉(魂〔Seele〕の性能または能力)がある。即ちそれは感官〔Sinn〕=A構想力〔Einbildungskraft〔imagination〕〕=A統覚〔Apperzeption〕≠ナある。
    これらに基づいているのは、1)感官によるア・プリオリな多様なものの通観〔Synopsis(共観、概観)〕=A2) 構想力による多様なものの綜合=Aそして最後に、
    3)根源的な統覚によるこの綜合の統一〔Einheit〔unity〕〕≠ナある。
    全てこれらの能力≠ヘ、経験的使用〔empirischen Gebrauch〕の他、なお超越論的使用をも持っているが、この超越的使用は専ら形式に関わり、だからア・プリオリに可能である。この超越論的使用について、私たちは、感官に関しては$謔ノ第一部門〔超越論的感性論〕において論じたが、今や他の二つのもの〔構想力、統覚の超越論的使用〕をそれらの本性に関して洞察することに努めていきたいと思う。

    ―― No. 40101,40235 の続き ---

    ◇ あの有名な〔ジョン・〕ロック〔Locke〕≠ヘ、このような考察を欠いていたことによって、また彼は悟性の諸純粋概念〔reine Begriffe des Verstandes〕を経験において見出した。

    ◇ それ故、〔ロックは〕それらの純粋概念をも経験から導出し、しかも経験の全ての限界をはるかに越え出ていく認識を、そうした純粋概念でもって敢えて試みようとするほど不整合な〔inkonsequent〕≠竄阨を行った。

    ◇ デイヴィド・ヒューム≠ヘ、こうしたことをなし得るためには、これらの諸概念〔純粋概念〕はそのア・プリオリな起源を持っていなければならないということが必然的であると認めた。

    ◇ しかし、ヒュームは、悟性が、それ自体では悟性のうちで結合されていない諸概念を、にもかかわらず対象においては必然的に結合されているものとして思考しなければならないということがいかにして可能であるのかを全く説明できなかった。

    ◇ だから〔ヒュームは〕、おそらく悟性は、それらの諸概念によって己の諸概念がそこで見出され得る経験の創始者ですらあり得るということに思いつかなかったので、彼はそれらの諸概念を、やむをえず経験から導出した
    (つまり、経験においてしばしば連想されることによって生ずる主観的必然性から導出したのであり、この主観的必然性が結局は誤って客観的に妥当するものと看做されるのであるが、換言すれば習慣〔Gewohnheit〕≠ゥら導出したのである)。

    ◇ しかしついで、それらの諸概念とそれらの諸概念から誘発される諸原則とでもっては経験の限界〔Erfahrungsgrenze〕を越え出ていくことは不可能である、と彼〔ヒューム〕が説明する点では、極めて整合的な〔konsequent〕やり方を行った。

    ◇ しかし、経験的%ア出は、ロックとヒュームの両者ともそれに思いついたように、私たちが持っているア・プリオリな学的認識、即ち純粋数学〔reinen Mathematik〕≠ニ一般自然学〔allegemeinen Naturwissenschaft〕≠ェ現実に存在しているということとは合致せず、従って事実〔Factum〕によって論駁される。


    † 原佑訳上巻、p.246〜p.247参照。 原典はMeiner, p.173〜p.174
    † その他、以下を参照。中山元 訳2, p. 108〜p.109、石川文康 訳 上巻, p.153〜p.154、有福孝岳 訳, p.174
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−4 No.40101、]−5 No.40235、]−6 No.40240
    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,39943,40101,40235,40240


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■40294 / )  超越論的分析論]−7
□投稿者/ うましか -(2024/12/31(Tue) 20:49:34)
    2025/01/01(Wed) 00:09:52 編集(投稿者)
    2024/12/31(Tue) 20:50:33 編集(投稿者)

    pipitさん、こんばんはー

    今年も大変、たいへんお世話になりましたm(__)m

    深く、沼ふかく感謝いたしますm(__)m

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◆ それ故、全てのア・プリオリな概念の超越論的な根拠付け〔演繹〕は、その全探究が向けられなければならない一つの原理を持っている。
    それはすなわち、ア・プリオリな諸概念は経験の可能性のア・プリオリな条件として認識されなければならない(それが、経験において見出される直観の可能性の条件としてであろうと、或いは、思考の可能性の条件としてであろうと)という原理である。
    経験の可能性の客観的な根拠を与える諸概念は、まさにこの故に必然的である。しかし、そうした諸概念がそこで見出される経験を展開してみせることは、そうした諸概念の根拠付け〔演繹〕ではない(そうではなくて例証である)。というのも、そうした諸概念は、その際には何としても単に偶然的なものとなるおそれがあるからである。
    認識の全ての対象は可能的な経験において現われる。この可能的な経験との以上のような根源的な連関無しに、ア・プリオリな諸概念と何らかの客観との連関は全く理解され得ないに違いない。

    ◆あの有名なロック≠ヘ、このような考察を欠いていたことによって、また彼は悟性の諸純粋概念を経験において見出した。
    それ故、〔ロックは〕それらの純粋概念をも経験から導出し、しかも経験の全ての限界をはるかに越え出ていく認識を、そうした純粋概念でもって敢えて試みようとするほど不整合な≠竄阨を行った。
    デイヴィド・ヒューム≠ヘ、こうしたことをなし得るためには、これらの諸概念〔純粋概念〕はそのア・プリオリな
    起源を持っていなければならないということが必然的であると認めた。
    しかしヒュームは、悟性がそれ自体では悟性のうちで結合されていない諸概念を、にもかかわらず対象においては必然的に結合されているものとして思考しなければならないということがいかにして可能であるのかを全く説明できなかった。
    だから〔ヒュームは〕、おそらく悟性は、それらの諸概念によって己の諸概念がそこで見出され得る経験の創始者ですらあり得るということに思いつかなかったので、彼はそれらの諸概念を、やむをえず経験から導出した
    (つまり、経験においてしばしば連想されることによって生ずる主観的必然性から導出したのであり、この主観的必然性が結局は誤って客観的に妥当するものと看做されるのであるが、換言すれば習慣≠ゥら導出したのである)。
    しかしついで、それらの諸概念とそれらの諸概念から誘発される諸原則とでもっては経験の限界を越え出ていくことは不可能である、と彼〔ヒューム〕が説明する点では、極めて整合的なやり方を行った。
    しかし、経験的%ア出は、ロックとヒュームの両者ともそれに思いついたように、私たちが持っているア・プリオリな学的認識、即ち純粋数学≠ニ一般自然学≠ェ現実に存在しているということとは合致せず、従って事実によって論駁される。

    ―― No.40240の続き ---

    ◇ これらの有名な二名〔ロックとヒューム〕のうち、ロックは狂信〔Schwaermerei〕≠ノ門戸を開いた。というのも、理性はいったん権限が自分の側にあると見るや否や節度という不確かな称揚によってはもはや抑制されないからである。

    ◇ ヒュームは懐疑〔Skeptizim〕≠ノ全面的に身を委ねたが、それは彼が、理性と見做されているものが私たちの認識能力の極めて一般的な錯覚〔Taeuschung〕だということを発見したと信じたからである。

    ◇ − 私たちは今や、人間の理性をこれら二つの断崖〔ロック(による狂信)とヒューム(による懐疑)〕の間をうまく通過させ、この理性に規定された限界を指示し、にもかかわらず、その目的ある活動〔Zweckmaessigen Taetigkeit〕の全分野を、この理性のために開放しておくことが、できないものかどうか試みようとしているのである。


    † 原佑訳上巻、p.247〜p.248参照。 原典はMeiner, p.174〜p.175
    † その他、以下を参照。中山元 訳2, p.109〜p.110、石川文康 訳 上巻, p.155、有福孝岳 訳, p.174〜p.175
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−7 No.40294
    ]−4 No.40101、]−5 No.40235、]−6 No.40240
    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,
    No.37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,
    No.39943,40101,40235,40240,40294





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■40300 / )  超越論的分析論]−8
□投稿者/ うましか -(2025/01/01(Wed) 00:06:39)
    2025/01/01(Wed) 00:11:12 編集(投稿者)

    \(~o~)/Happy new year 2025 〜

    おやすみなさーい( TДT)ゴメンヨーネムイワ

    *******

    T 超越論的原理論
    第二部門 超越論的論理学
    第一部 超越論的分析論
    第一篇 概念の分析論
    第一章 全ての純粋悟性概念を発見する手引きについて 〔済〕
    第二章 純粋悟性概念の演繹について
    第一節 (第十三項) 超越論的演繹一般の諸原理について 〔済〕

    第十四項 カテゴリーの超越論的演繹への移り行き

    ◆ これらの有名な二名〔ロックとヒューム〕のうち、ロックは狂信≠ノ門戸を開いた。というのも、理性はいったん権限が自分の側にあると見るや否や節度という不確かな称揚によってはもはや抑制されないからである。
    ヒュームは懐疑≠ノ全面的に身を委ねたが、それは彼が、理性と見做されているものが私たちの認識能力の極めて一般的な錯覚だということを発見したと信じたからである。
    − 私たちは今や、人間の理性をこれら二つの断崖〔ロック(による狂信)とヒューム(による懐疑)〕の間をうまく通過させ、この理性に規定された限界を指示し、にもかかわらず、その目的ある活動の全分野を、この理性のために開放しておくことが、できないものかどうか試みようとしているのである。

    ―― No.40294 の続き ---

    ◇ なお前もって私はカテゴリーの説明≠セけを予め述べておこうと思う。

    ◇ カテゴリーは対象一般についての諸概念であり、対象の直観は判断のための論理的な諸機能≠フ一つに関して、このカテゴリーによって規定されたもの≠ニ見做されるのである。

    ◇ というわけで、例えば「全ての物体は、分割可能である。」というように、定言#サ断の機能は、主語の述語に対する関係の機能であった。ところが、悟性の単なる論理的な使用に関しては、〔「物体」と「分割可能である」という〕両概念のいずれに主語の機能を与え、またいずれに述語の機能を与えるべきか、あくまで規定されないままであった。何故なら「或る分割可能なものは、物体である。」とも言い得るからである。

    ◇ しかし、実体というカテゴリーによって私が物体の概念をこのカテゴリーに含めるならば、経験における物体の経験的直観は常に主語としてだけ見做されなければならず、決して単なる述語として見做されてはならないということが規定されるのであり、残り全ての他のカテゴリーにおいてもこれと同様である。


    † 原佑訳上巻、p.248〜p.249参照。 原典はMeiner,p.175
    † その他、以下を参照。中山元 訳2, p.110〜p.111、石川文康 訳 上巻, p.155、有福孝岳 訳, p.175
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳はしますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    ]−7 No.40294、]−8 No.40300
    ]−4 No.40101、]−5 No.40235、]−6 No.40240
    ]−1 No.39171、]−2 No.39245、]−3 No.39943
    \−13 No.38896
    \−10 No.38144、\−11 No.38253、\−12 No.38689
    \−7 No.37244、\−8 No.37409、\−9 No.37955
    \−4 No.36646、\−5 No.36657、\−6 No.36908
    \−1 No.36429、\−2 No.36501、\−3 No.36600
    [−4 No.36127、[−5 No.36266
    [−1 No.35606、[−2 No.36085、[−3 No.36113
    Z−4 No.34874、Z−5 No.34919、Z−6 No.35259
    Z−1 No.33825、Z−2 No.33829、Z−3 No.34795
    Y−10 No.33776
    Y−7 No.33016、Y−8 No.33658、Y−9 No.33668
    Y−4 No.32398、Y−5 No.32507、Y−6 No.32849
    Y−1 No.31693、Y−2 No.32053、Y−3 No.32302
    X−4 No.30943、X−5 No.31146、X−6 No.31639
    X−1 No.30542、X−2 No.30550、X−3 No.30874
    W−1 No.30139、W−2 No.30154、W−3 No.30529
    V−1 No.29992、V−2 No.30063
    U−1 No.29963
    T−1 No.29833、T−2 No.29850

    *******

    第一部 No.29833,29850
    第一篇 No.29963
    第一章 No.29992,30063
    第一節 No.30139,30154,30529
    第二節 No.30542,30550,30874,30943,31146,31639
    第三節No.31693,32053,32302,32398,32507,32849,
    No.33016,33658,33668,33776,33825,33829,34795,
    No.34874,34919,35259,35606,36085,36113,36127,36266
    第二章 
    第一節 No.36429,36501,36600,36646,36657,36908,37244,
    No.37409,37955,38144,38253,38689,38896,39171,39245,
    No.39943,40101,40235,40240,40294,40300

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