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Re[29]: pipitさんへ
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□投稿者/ おくったがわ -(2020/07/13(Mon) 20:58:42)
| ■No3900に返信(pipitさんの記事) こんばんは
>>カントの言う「アプリオリな綜合判断」って、ニーチェの言うように、 >>人間の「一つの能力」にすぎない。< > > 一応カントの言い分だと、 > 人間の持つ能力によって、アプリオリな綜合判断が可能だ、って言ってるんだと思ってるよ。 > だから、人間の能力にすぎない、というのは、カントもそう言うと思ってるよ。
以下のように整理したのですが、合ってると思いますか?
アプリオリな綜合判断があるためには、対象より先に直観がなければならない。対象を受け止めて直観→表彰化するだけなら、すべての認識や判断はアポステリオリになるから。 仮に、もの自体が直観の対象なら、直観はもの自体のありようを受け止め表象するものとなり、対象より先にあることができない。 ・(もの自体に触発されて)心の中に実現する「現象」が対象である。 ・その現象より先に直観があるー純粋直観(時間・空間の形式) 現象を成立させる形式が純粋直観で、それは現象より先にある。 ・現象より先にある純粋直観によって、総合的判断が可能になる。
(カントの文章分かりにくいと言いながら、自分で書いてみるとやっぱり分かりにくく書いてしまう。整理になってない)
> だから、幼児はまだ、自分の持つ能力から、総合判断を可能にするアプリオリな概念を引き出してない、手元に使えるように獲得してない、と考えられるのかな?
まだそこまで育ってないと。後、この場合のアプリオリは総合判断を修飾していて、能力を修飾しているのではないので、万が一後天的学習なり訓練で可能になる場合でもアプリオリな綜合判断といえるのでは。
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