□投稿者/ pipit -(2020/07/12(Sun) 22:10:26)
| こんばんは!
No3892に返信(悪魔ちゃんさんの記事) > pipitさま > 悪魔ちゃん的に言うね。 > > カントの言う「アプリオリな綜合判断」って、ニーチェの言うように、 > 人間の「一つの能力」にすぎない。<
一応カントの言い分だと、 人間の持つ能力によって、アプリオリな綜合判断が可能だ、って言ってるんだと思ってるよ。 だから、人間の能力にすぎない、というのは、カントもそう言うと思ってるよ。
> minoriさまが問いかけたように、乳幼児にには適用できない。<
カントのアプリオリは、生まれつきという意味ではなくて 根源的獲得、という意味合いみたい。 獲得、ってあるでしょう? どこから獲得するのか。神から?経験から? カント的には自分自身の能力から、自ら獲得する、ってしてると私は今の所思ってるの。 だから、幼児はまだ、自分の持つ能力から、総合判断を可能にするアプリオリな概念を引き出してない、手元に使えるように獲得してない、と考えられるのかな? まあ、あー言えばこー言う。 屁理屈こねれる領域になるかもだね。 不毛に感じる時もあるよ。 哲学者たちは自らの知に誠実だからどこまでも真剣に考えていくのかもしれないけどね。
> だから、カントの「総合的判断」は、アプリオリじゃなくて、 > アポステリオリな綜合判断に限られてる。<
> あ、勘違いしないでね。アポステリオリには価値がるのかもしれないけど、っていうことだからね。<
アポステリオリでも十分魅力的だよね。
> 誰かが「素朴実在論を信仰する人々は、超越論的観念論に非科学的というレッテルを貼ってきたが、現代科学は、超越論的観念論と親近性をむしろ強めている。」 > みたいなこと言ってるみたい。彼の言う「素朴実在論」っていうのがどういうのかわかんないけど、カントの「超越論的観念論」っていうのは超越論的科学的なものであって、非科学的なものじゃない。むしろ科学者にとってはたのもしい哲学者の論。 > わたし、素朴的意識の実在論、経験的実在論ね。あ、ことわっとくけど、ながいのいう「素朴実在論」っていうのはわからない、が前提よ。<
ながい、って永井均さんのこと? 悪魔ちゃん、もしかして〈わたし〉に興味あるのかな? またそういうことも悪魔ちゃんと話せたら嬉しいな。 私は永井さんの本はほとんど読んだことないんだけど、 掲示板やネット記事や本で名前をよく聞くよ。
> わたし、素朴的意識の実在論、経験的実在論ね。<
あーいいね、 素朴的意識の実在論。 悪魔ちゃんのオリジナル語? 現前のフツーにある意識から実在を探っていくの? 違うこと?
ちなみに経験的実在論は、カント哲学を表現するときにも使うかも。 カントは自分の説は、超越論的観念論であり、また経験的実在論でもある、 みたいに言ってた覚えがあるよ
悪魔ちゃんさん、ありがとね!
ふと、カントの認知症のこと思い出して、 宿題さんも遊びに来てくれるといいねー(^ν^)
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