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Re[7]: つれづれなるままに 15
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□投稿者/ 田秋 -(2024/07/13(Sat) 10:10:28)
| 2024/07/13(Sat) 17:14:57 編集(投稿者)
おはよう、悪魔ちゃん
横レス失礼します m(_ _)m
良く調べてますね!既に知っている事かもしれませんが、老爺心からいくつか補足を書いておきます(知ってたらホントごめん)。
「自」の象形文字が並んでいる図を載せていますね。上から説文解字、甲骨文、金文、小篆、楷書と並んでいます。これを時代の古い順に大まかに並べると、甲骨文、金文、小篆、説文解字、楷書になります。
甲骨文字が一番古いのは確かですが、かなりの期間に亘って金文と重なっています。金文は青銅器に記された文字ですが、中国の青銅器文化は紀元前2000年位から始まります。王朝で言うと夏の時代からです。一方、一番古い甲骨文字についてはよくわかりませんが、賈湖(かこ)契刻文字というのが出土していて紀元前7000年位のものです。但し、この文字が後代の甲骨文字につながるものなのか、文字以前のいわゆる記号なのかは学者間で意見が割れているようです。
商(殷)時代の王が占いに用いた甲羅や牛骨に彫られた甲骨文字がたくさん出土されていますがこの辺りは完全に金文と重なっています。
小篆というのは字体の一種で秦の始皇帝が定めました(BC221に始皇帝による中国統一)。
説文解字は後漢の許慎という人が作った最古の漢字辞典で、AD100〜120位に作られています。始皇帝が定めた小篆(篆書の一種:実印に使われる字体)のあと隷書ができましたが、説文解字は篆書で書かれています。楷書は後漢のあと、南北朝の頃に行書とほぼ同時、或いは少し後に出来てきた字体です。
以上が大まかな時代の流れです。一つ、心に留めておくと良いことがあります。説文解字を作った許慎は甲骨文字を知らなかったということです。甲骨文字は清末の1899年に発見されるまで、2000年(註)に亘ってずっと土の中に埋もれていたのです。
追記 註:2000年ということはないですね。いつ頃忘れ去られたというのはよくわかりませんが、西周の頃もまだ甲骨による占いをしていた様です。西周滅亡がBC771年ですから、おおまかに言って約2500年間忘れ去られていたと言って良いと思います。
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