□投稿者/ パニチェ -(2023/05/28(Sun) 08:51:39)
| 2023/05/28(Sun) 16:39:18 編集(投稿者)
おはようございます、みのりさん。レスありがとうございます。
> それでなのですが・・・ > 説明いただいたのをまた言い直すというか、私がどう理解したかをパニチェさんに伝わるように受けて書いてきたつもりなのですが、「そこの理解はなんかへんだよ」という記述が私の投稿にあったら、再度教えていただけないでしょうか。 > お手数おかけして申し訳ありません。 > いつでもけっこうです。
了解しました。上記を踏まえつつ今回は補足も兼ねて返信させてもらいます。 あと余計なお世話かもしれませんがニュートラルな視点を保つために今回は敢えてコペンハーゲン解釈的な立場からカキコさせてもらいます。^^
■No30856に返信(みのりさんの記事)
>>量子の運動は波として記述すれば辻褄が合います。但し人間が観測した時には粒子としての量子を観測します。
> 波と粒との両方の性質を量子は持つ、というのをどこかで見た気がします。 > そのことと、上に書いてくださってることも関係あるのかな、と考えました。 > 量子の運動自体としては波として記述すると辻褄が合うが、人間が観測した時には粒子として観測される、ということですね。
https://www.youtube.com/watch?v=uYk8JQk1rJ0
その通りです。二重スリットの実験結果をどう解釈するかが観測問題であり、その解釈の種類としてコペンハーゲン解釈と多世界解釈、あとD.ボームのホログラフィク・パラダイムがありますがややこしくなるのでこれは置いておきます。^^
電子が粒子なら二重スリットの実験ではスクーリンへ電子が到達した痕跡は穴が開いている二箇所と対応しスクリーンへの到達痕も二箇所に集中します。 こういう結果であれば何の問題もなく電子は粒子だと言い切れるわけです。
もちろん1つの電子を発射すれば1つの点としてスクリーンに痕跡が残るわけですから、これは粒子であることの証であるように思えます。これが電子の粒子性であり、私たちが観測した時には粒子として観測されるということです。
問題は100万回以上電子を発射し続けるとスクリーンには縞模様が現れるということです。穴が開いてないところにも電子は到達しているし、穴が開いている2箇所に痕跡が集中するのではなくスクリーン全体に縞模様が広がり、電子が集中的に到達している箇所とあまり到達していない箇所が縞模様のように現れる。それぞれの電子がまるで申し合わせたかのような縞模様を作る。もちろん、それぞれの電子は何の関係性もないので影響し合うはずもないのに痕跡は縞模様になるということです。(どちらのスリットを通ったかを観測した場合には縞模様は消え、粒子の痕跡と同じく2箇所に集中した痕跡となります)
1つの波がダブルスリットをすり抜けた場合には二つの波に分かれ、スクリーンの向こうで二つの波が重なり合うことで波が強まったり、打ち消されたりして、スクリーンには縞模様が残る。 量子の運動を波として理解(記述)すれば実験結果である縞模様と合致するわけで、これが量子の波動性です。
ところが私たちの常識的な感覚では粒子と波の性質は相容れない。 これは何故か?ってのが観測問題で、この解釈にコペンハーゲン解釈と多世界解釈があります。
> 「波のように空間に拡がっている量子が、観測した瞬間に特定の位置を持つ粒子になる、という説なわけですね。」と後のところで、その部分について理解したことを私は書いたのですが、ここも同じことの説明をいただいてると考えていいようですね。 > 「波束の収縮」というのがわからない。。と先ほどは書いたのですが、今、自分の投稿を読み直してみて、わかったので今、編集して再投稿してます。 > 「波のように空間に拡がっている量子が、観測した瞬間に特定の位置を持つ粒子になる、というのを「波束の収縮」という言葉で表しているのですね。
そうです。
> コペンハーゲン解釈というのは・・・波のように空間に拡がっている量子が、観測した瞬間に特定の位置を持つ粒子になる、という説なわけですね。 > しかし、人間の意識とは別個に世界や観測対象は実在するのだから、人間の観測により波が粒子に変わると考えるのはおかしい。(コペンハーゲン解釈はおかしい。) > というところから、人間の観測に関わらず粒子がいろんな位置にある多世界が共存していると考える、というのが多世界解釈ということですね。
コペンハーゲン解釈は実証主義(観測された実験結果のみを科学の対象とする)なので「波束の収縮」は俎上に載せません。 観測すれば粒子として観測され、運動は波として記述すれば実験結果と合致するということのみです。 原理的に観測できない「波束の収縮」とか、ましてや「多世界」などは科学の俎上に載せないというスタンスです。 私たちの常識的な感覚(科学の対象は人間の意識とは無関係に実在するはずだという素朴実在論的な感覚)から乖離していようが実験結果がそうなのだから余計なことは考えずにそのことだけを科学の対象とすればよいという発想です。だからコペンハーゲン解釈には矛盾はないし、おかししいところもないというのがコペンハーゲン解釈側からの主張となります。
>>■No30839に返信(みのりさんの記事) >> > >>同じ和田さんの量子力学の本でも、『シュレディンガーの猫がいっぱい』にすればよかった〜。。。 > >>パニチェさんが書かれていたのと同じだと思うのですが、ネットで少し見たらこちらのほうが易しく書かれているみたいですね。 > >>Amazonでは見つけられなかったんだな。。 > >>それで、パニチェさんとやりとりする前に既に注文してた『量子力学の多世界解釈』を読む流れとなったのだけど、ほぼほぼ溝に捨てる感じでもあるな。。今の私には。。
> >>『シュレディンガーの猫がいっぱい』のほうも、そのうち読んでみようかな。 > >>未定だけど。 > >>わからなかったことが知れそうという感覚はやはりいいんだよね。
>>『シュレディンガーの猫がいっぱい』の方が分かりやすかも知れませんが、量子力学がどのようなプロセスで成立したのかは目次で判断するかぎりでは『量子力学の多世界解釈』の方が詳しく書かれていると思います。
> そうですね、量子力学成立のプロセスについては『量子力学の多世界解釈』で記載されています。 > ただ、その部分も私には難しく感じました。 > なんというか、私にはですが情報量が多すぎて知識が無い分、情報に混乱してしまう的な感じでした。 > 知識が豊富な方にはおもしろい本なのだと思います。
和田さんの本で『量子力学が語る世界像』(ブルーバックス)というのは持っており、この目次と『量子力学の多世界解釈』の1〜2章は同じなので量子力学成立のプロセスについてはほぼ何が書かれているか想像はできます。
「第2章量子力学の誕生」にある「原子はなぜつぶれないのか?」のところも、もし原子核の周りを電子が粒子として(太陽の周りを回っている惑星のように)回っているなら、周回運動は等速直線運動と違ってエネルギーを必要とする加速度運動になるから、いつかはエネルギーを消失して原子核に落ちてしまって原子がつぶれるはずなのに何故つぶれないのか?
しかもその軌道は飛び飛びの値になっており、ある周回軌道から別の周回軌道へは飛躍しており、古典物理のような連続的な動きをしていないってことが書かれてあると思います。
これも電子の波動性を表す性質のひとつです。要するに粒子である電子が原子核の周りを回っているのではなく、電子が特定の粒子としての位置を持つのではなくボワっと雲(波)のように原子核を囲んでいるってことです。
|
|