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No2389 の記事


■2389 / )  おくったがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/02/13(Thu) 23:29:43)
    おくったがわさん、こんばんは (^O^)/

    > (SS 12.で)直観に与えられる様々な◇も、それらに必ず伴う"I think" も「representation/Vorstellungen」のようですね。
    > そして、そのまま読むと統覚も「表象・像」ということに…これは少し疑問があるのですが…<

    私見書きますね。

    "I think"は表象(観念)なのですが、この表象を生み出し、また、この表象の元へ、主体が経験するすべての表象を統一的に綜合させてる【働き】は知性の能力、と、カントは考えてるのかなと思いました。

    図書館で高峯一愚先生訳の『純粋理性批判』を借りてきたので、抜粋引用します。

    引用開始
    『「わたくしは考える」という意識が、あらゆるわたくしの表象に伴なわなければいけない。
    (略)
    しかしこの表象は自発性の働きである。
    (略)
    すなわちわたくしが表象の多様を一つの意識に把握することができるということによってのみ、わたくしはこれらの表象をすべてわたくしの表象と名づけるのである。
    (略)
    けれども結合は(略)、ひとえに悟性の作用である。
    悟性はそれ自身、先天的に結合し、与えられた表象の多様を統覚の統一の下に包摂する能力にほかならない。』
    引用終了
    高峯一愚先生訳
    河出書房新社・ワイド版p112.113より

    つまり、I think、と自覚する意識のもとへ、経験する表象を総合的に統一させてるのが、純粋統覚作用であり、根源的統覚作用であり、その作用で使われるI think を、純粋統覚、あるいは根源的統覚と呼んだりすることもあるのかと。
    言い換えれば、「統覚」という単語で、働きを指すことも、働きに使われる表象(観念)単体を指すことも、時と場合によってあるのかなあ?と思いました。
    違ってたらすみません。


    > その関連で Meiklejohn訳のSS 12.
    > 「or primitive apperception」 の前後(文章にすると投稿できないのですみません)
    > 普通に読むと representation,"I think" = (pure / primitive) apperception (= self-consciousness which)だと思います。pipitさんはどう読まれますか?<

    この部分の高峯先生訳は、
    『したがって直観のあらゆる多様は、この多様がそこに見いだされるところの主観における「わたくしは考える」という意識と必然的関係を有する。
    しかしこの表象は自発性の働きである。
    すなわちそれは感性に属するものとみることができない。
    わたくしはこれを経験的統覚と区別するために、純粋統覚と名づける。
    或いはまたこの統覚を、根源的統覚とも名づける。
    この統覚は、「わたくしは考える」という、あらゆる他の表象に伴わざるをえず、かつあらゆる意識において同一である表象を生み出す自覚であり、決してさらに他の統覚からは導き出せないような自覚であるからである。』

    英文をそのまま読んだら、

    I think を、 (pure / primitive) apperception と名づける理由は、
    I think が、I think を生み出すself-consciousness だからだ、みたいに読めて、
    意味が取りづらくなりそうですよね。

    日本語訳では、文頭のI think 部分は、【「わたくしは考える」という意識】と、意識が挿入されていますね。

    I think という意識を、 primitive apperception と名づける。
    なぜなら、I think という表象を生み出す自覚意識だから。

    あ〜、
    I think というprimitive representation を生み出すself-consciousnessだから、
    primitive apperception と名づける、
    という意味ではないですかね??


    > すると、その後の
    > whilst it gives birth to the representation "I think,"
    > はどうなるのか…
    > お手持ちの本ではどのように和訳していますか? 
    > ネットでは見つかりにくくて。中山さんからの引用でも、そこは省かれてたり。
    >
    > 一つだけ見つけたのが、
    > ht tp://bit.ly/3btxCQM
    > で、たぶん篠田英雄訳だと思うのですが、
    > 『かかる統覚は、「私は考える」という表象を産出するところの自己意識「自覚」であって』
    > この訳では、自分の疑問が解決できないのです。<

    高峯先生訳は、
    『この統覚は、「わたくしは考える」という、あらゆる他の表象に伴わざるをえず、かつあらゆる意識において同一である表象を生み出す自覚であり、』
    ですね、

    と、英文見直して、、、
    わーーー!!!

    I call it pure apperception, in order to distinguish it from empirical; or primitive apperception, because it is self-consciousness which, whilst it gives birth to the representation "I think," must necessarily be capable of accompanying all our representations.

    すみません!!!
    私、後半のI think で、引用ストップしてしまってましたよね?
    最後らへんの
    must necessarily be capable of accompanying all our representations.
    まで入れると、英文の意味通じるかな?
    やっぱり、
    『あらゆる他の表象に伴わざるをえず』の部分が、primitive という語を当てる理由としてあげられてるのかな?と、わたしは今の所思いました。

    わたしの引用が不正確で途中で区切ってしまってて、すみませんでしたm(_ _)mm(_ _)m
    多分、中山先生は分割して訳してたのを、訳してた部分だけ英文を途中で引用したのだと思います(うろ覚え)

    わたしのいい加減さのせいで、おくったがわさんを悩ましてしまってすみません(>人<;)

    中山先生訳を二文ほど続けて引用してみますね。

    『これはあるいは根源的な自己統合の意識とも呼べるが、それはこれが、わたしは考えるという像を生み出す自己意識だからである。
    この自己統合の意識は、[心のうちに思い描くことのできる]ほかのすべての像に伴うことができるものであり、わたしのすべての意識において同一のものであり、ほかのどのような像もこれに伴うことはできないものである。』
    (第2巻p117)

    おくったがわさんの疑問は解決されましたでしょうか?
    それとも別の疑問点だったでしょうか?

    私のいい加減さのせいで生まれた疑問点だったら、本当にすみませんでしたm(_ _)m

    何か新たな疑問点などあれば、よかったら教えてくださいね。
    いつもながら本当に勉強になります。
    ありがとうございます(^人^)
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