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Re[74]: 呪術的思考の因果論
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/05/08(Sun) 10:20:39)
| 下調べがだいたい終わったところで、
No23090にもどります。
*妖術師(人間)が妖術(人間に災いをもたらす超自然的なもの)を使い、他の人間に災いをもたらす。 *干渉:他人のことに立ち入り、自分の意志に従わせようとすること。
で、
アザンデ族の呪術的思考の因果理論、
〔witchcraft妖術には一つの因果理論が含まれている。すなわち、不運は妖術が自然力と共同してひきおこすものである。ある男が穀物倉の支柱が白蟻にむしばまれて倉が頭の上に崩れ落ちてくるとすれば、アザンデ族は、穀物倉が原因であって、それが妖術と結びついてその男を殺したのだと言うであろう。穀物倉はそれ自体で存在するものだから、妖術はその存在については責任がない。しかしながら、それらの原因が、ある特定の人間がそのかげで休んでいるというというある特定の瞬間にそれが起こったのは、妖術のせいである。これらすべての原因の中で、妖術だけは人間が干渉して変更させることができる。それは妖術がある一人の人間に発するものだからである。穀物倉に対しては干渉の余地がない。それらも原因と考えられてはいるけれども、社会的関係という面においては無意味である。〕(これが“アザンデ族の”を言い表してるとしてね)
を理解しようと思うんだけど、 言い方をかえると、近代西洋の知のあり方・分類の仕方とは異なる、自称文明人から見たいわゆる未開人(野蛮人)の知のあり方・分類の仕方(野生の思考)、を理解しようとすること。
「その男の人が死んでしまったのはどうして?」 その因果性をアザンデ族の人たちはどう考えているのかな〜、っていうこと。
〔不運は妖術が自然力と共同してひきおこすものである〕 「運」を〈巡り合わせ〉ってして、「不運」を〈巡り合わせが悪い〉ってして見ます。 〔自然力〕は〔穀物倉の支柱が白蟻にむしばまれて崩れ落ちる〕のことかな?
〔穀物倉が原因であって、それが妖術と結びついてその男を殺したのだ〕 かれらも、その男が死んだのは〔穀物倉の支柱が白蟻にむしばまれて崩れ落ちた(自然力)〕が原因だとしてるんだとおもうけど、でもそれだけじゃなくて、そこに〈人間に災いをもたらす超自然的なもの(妖術)〉を登場させている。自然力+妖術が原因って見てるわけよね。------ どうして?
〔穀物倉はそれ自体で存在するものだから、妖術はその存在については責任がない。〕 かれらのいう妖術っていうのは、“人間に”災いをもたらすものだから? 〔その存在〕って?〔穀物倉が崩れ落ちた〕こと? で、〈人間に災いをもたらす超自然的なもの(妖術)〉は〔穀物倉が崩れ落ちた〕ことには責任がない、としてる? どうやら、妖術が穀物倉に作用して倒した、っていうことじゃなさそう。 穀物倉が倒れた原因は白蟻、これを自然力と見ているのかな?
〔それらの原因が、ある特定の人間がそのかげで休んでいるというというある特定の瞬間にそれが起こったのは、妖術のせいである。〕 これどう見ようかしら。 「その男の人が死んだ」、を考えて見ると、 (a)その男の人であるということ。 (b)その時であるということ。(穀物倉が倒れた時)(その男の人が穀物倉のかげで休んでいた時) (c)その場所であるということ。(穀物倉が崩れ落ちた場所)(その男の人が休んでいた場所) この三つすべてがそろっているばあいかな。 もし、 穀物倉が崩れ落ちたたとき、 (1)その男の人が穀物倉のかげで休んでいなかった場合(ほかのところで休んでいた) (2)その男の人じゃなくて、他の人であった場合 (3)そこに誰もいなかった場合 もありうるよね。 もっとも、(3)のばあい、その男の人が死んでしまったのはどうして? っていう問いはなくなるけど。
(a)(b)(c)の条件がそろったのは妖術のせい(原因)ってしてる?
〔これらすべての原因の中で、妖術だけは人間が干渉して変更させることができる。それは妖術がある一人の人間に発するものだからである。〕 〔妖術だけは人間が干渉して変更させることができる〕 妖術は、〈“人間に”災いをもたらす超自然的なもの〉で、〈妖術を使うのは人間〉だから、人間が干渉(他人のことに立ち入り、自分の意志に従わせようとすること)ができるのは、(これらすべての原因の中で)妖術だけっていうこと? 〔妖術がある一人の人間に発するもの〕の〔一人の人間〕っていうのは、死んでしまったその男の人のこと?
〔穀物倉に対しては干渉の余地がない。〕 穀物倉が崩れ落ちた、に対しては干渉(他に立ち入り、自分の意志に従わせようとして変更させる)余地はない? その男の人が穀物倉に自分の意志に従わせようとすることはできなかったっていうこと?あるいは、穀物倉が崩れ落ちたのは誰のせいでもない、こういうこと?
〔それらも原因と考えられてはいるけれども、社会的関係という面においては無意味である。〕 〔社会的関係という面においては無意味である〕ってしているのは、Evans-Pritchard?それともアザンデ族の人が?これ、よくわかんなかった。
その男の人が死んでしまった原因の、アザンデ族の人たちの思考をいろいろ考えて見たんだけど、 穀物倉が崩れ落ちた原因は白蟻、これはかれらもそう思ってるんだと思うし、わたしもそう思う。 問題なのは、 どうして〈その男の人が〉〈その場所で〉〈その時に〉〈穀物倉が崩れ落ちた〉のか、っていう、この四つの巡り合わせが同時に起こったその原因を、かれらは考えているのかもしれない。 わたしだたったら、巡り合わせが悪かった(運が悪かった)って、偶然性を考えるだけだけど。でもかれらはそうではなくて、そこに妖術を登場させてるのかもしれない。ある出来事に含まれる偶然性をも視野に入れ、包括的・全体性のなかでその出来事における因果性を思考する、こんな感じで、 その男の人に、妖術が働いてしまった、って。
いまであれば、 ある人が崩れ落ちてきた穀物倉で頭を打って死んでしまった、その原因を追究しようとするとき、その穀物倉を管理している人の責任に向かうのかもしれない。でもこのばあいでも、責任の追及を人間の仕業に求めようとすることにはかわりないのかも。
わた、し野生の思考に近づけたかな〜? なんか?ばっかりで、すっきりしないけど、ひとまず、にしとく。
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