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Re[20]: 演繹論について
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□投稿者/ pipit -(2022/02/17(Thu) 22:34:16)
| 分析cityにある、演繹論の館に入る前の心の準備。
その1 そもそも超越論的演繹ってなあに? その2 いざカテゴリーの超越論的演繹へ
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https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap38
その1 Of the Principles of a Transcendental Deduction in general ☆彡中山先生段落タイトル☆彡 1.根拠づけ [=演繹] の定義 2.超越論的な根拠づけの役割 3.アプリオリな概念の超越論的な根拠づけの必要性 4.純粋でアプリオリな概念の根拠づけの性格 5.超越論的な根拠づけの必要性 6.空間と時間の役割の再考 7.知性の難問 8.カテゴリーの〈威厳〉
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まず、 1.根拠づけ [=演繹] の定義
※削除※△別投稿します。
DeepL機械翻訳↓ 法律学の教師たちは、権利や請求権について語るとき、ある原因において権利の問題(quid juris)と事実の問題(quid facti)を区別し、両方の証明を要求する一方で、法律上の権利や請求権を立証することになる前者の証明には控除という名称を与える。
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DeepL機械翻訳さんは、deduction を、控除と訳しましたが、カント哲学でよく目にする訳語は、〈演繹〉ですね。 ただし、この純粋理性批判での〈演繹〉は、カントは法律用語としてのイメージを持っているようで、哲学的な演繹という意味では使ってないかもなので、中山元先生は、〈根拠づけ〉と訳されていますね。
上記引用文章での文脈で言えば、
法律上の権利や請求権を立証することになる権利の問題(quid juris)の証明にはdeduction(演繹/根拠づけ)という名称を与える。
ですね。
ちなみにcauseをDeepL機械翻訳さんは原因と訳しましたけど、中山先生は同箇所単語を〈訴訟〉と訳されてました。
(pipit感想) ある訴訟においては、権利問題と事実問題の2種類が発生し、両方の証明が要求される。 権利の是非、事実の是非、についての証明で、このうち権利問題についての証明を演繹/根拠づけと呼ぶ。 と言ってるのかな、と、思いました。
また解説書に目を通したり、次を読み進めたいと思いますが、今日は寝ます。
雪道の運転疲れました! 明日もたくさん運転する予定ー( ; ; )ユキヤンデー みなさまもお気をつけてくださいませ。 おやすみなさい ☆彡
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