□投稿者/ pipit -(2022/02/16(Wed) 14:59:34)
| ※うぅ、投稿がアクセス禁止になったので、一部削除を試して投稿します。→@Aと二箇所の英訳を削除しました。次の投稿で、削除した英訳部分のみで投稿してみます。
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みなさま、こんにちは。
No20863 >第一部 超越論的な原理論 にある、 第二部門 超越論的な論理学 にある、 第一部 超越論的な分析論 にある、 【第二章 純粋知性概念の根拠づけ [=演繹]】
I. Transcendental Doctrine of Elements → TRANSCENDENTAL LOGIC → TRANSCENDENTAL ANALYTIC → 【Chapter II. Of the Deduction of the Pure Conceptions of the Understanding】<
さて、この演繹論は、 大元としては、『第一部 超越論的な原理論』(I. Transcendental Doctrine of Elements)に収納されている、ということですよね。
何の原理論?と疑問を持った私は、序論を見てみました。 ばっちり書いてましたよー。 ちょうど悪魔ちゃんとお話ししてた、人間の認識には、二つの幹(感性と悟性)と一つの共通の根がある、の箇所でしたよ (^ ^)B29あたり?中山先生番号033です。
先に答えを書いとくと、『純粋理性の』原理論、ということみたいです。
序論部分の英訳を載せます。 https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap10
削除@
この学を、区分けするなら、 第一部は純粋理性(pure reason)の要素の学説(a Doctrine of the Elements)[=原理論] 第二部は純粋理性(pure reason)の方法の学説(a Doctrine of the Method)[=方法論]
続く未知の根を含む箇所も引用しておきます。
削除A
英訳の引用は、 ※ Title: The Critique of Pure Reason Author: Immanuel Kant Translator: J. M. D. Meiklejohn からです。
※※※※※※※※ 引用英訳部分を翻訳アプリDeepLにかけてみました。 ↓ ------------------------ この科学を科学一般という普遍的な観点から分割しようとするならば、それは第一に、元素の教義、第二に、純粋理性の方法の教義を含んでいなければならない。 ------------------------ 人間の知識には、感覚と理解という二つの源泉がある(おそらく共通の、しかし我々にとっては未知の根源から生じている)ことを、予感させるために、これだけは必要なようである。前者によって対象が与えられ、後者によって思考が与えられる。感覚能力は、対象が与えられる条件を形成するアプリオリな表象を含むことができる限り、超越論的哲学に属する。なぜなら、人間の知識の対象が与えられる条件は、それらが思考される条件よりも優先されなければならないからである。
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