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Re[4]: 超越論的感性論 第四項:X−3
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□投稿者/ pipit -(2022/02/06(Sun) 15:48:51)
| No20699 うましかさん、こんにちは! こちらは雪降って寒いですー (OvO)
>◇ 4 時間は、いかなる論弁的〔diskursiver〕概念、ないしは、よく名づけられているように、一般的概念〔allgemeiner Begriff〕でもなく、感性的直観の一つの純粋な形式である。様々の諸時間は同一の時間の諸部分に過ぎない。
◇しかし、たった一つの対象を通じてのみ与えられ得る表象は、直観である。また、「様々の諸時間は同時的に存在し得ない〔verschiedene Zeiten nicht zugleich sein koennen,〕」という命題も、或る一般的概念からは導き出され得ないであろう。この命題は綜合的〔synthetisch〕であり、だから概念からだけでは生じ得ない。それゆえ、この命題は時間の直観や表象の内に直接含まれている。<
感想を投稿させていただきます。 時間は論弁的概念ではない、というカントの意見って、哲学的な思考としては珍しいのかなと思いました。 「様々の諸時間は同時的に存在し得ない」という命題って、 (昨日、と、今日、は同時に存在しえない)みたいな意味なのかなーと思ったのですが、 もし一般的概念、たとえばフルーツだったら、 様々の諸フルーツは同時に存在し得ない、なんて命題は、導くことができないのかなーと思いました。 記憶、って、現在(今この瞬間)の出力かもしれないけど、 やっぱり『経験』の再現としての出力と素直に思うと、 経験の点灯の順番というか、 【時間は感性的直観の一つの純粋な形式】というカントの考え方は面白く感じました。
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