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No20531 の記事


■20531 / )  葬式仏教 3
□投稿者/ 田秋 -(2022/01/26(Wed) 09:09:03)
    おはようございます、パニチェさん

    今回ここで紹介している葬式仏教については末木文美士氏が執筆しています。

    往生と成仏

    日本で葬式仏教が発展したのは、もちろん近世から近代へかけての政治的、社会的な変化に仏教が適応したところにあるが、その理論的な根拠となる思想は、日本に古くから展開していた。

    まず指摘されるのは空海の即身成仏の思想である。空海によれば地・水・火・風・空・識の六大は、この世界を成り立たせている原理であるとともに、修行者の心身の原理でもあり、それがそのまま悟りの原理であるから、我々ははじめから悟りの中にいることになる。それを自覚していくことで、現世で悟りが開かれ、仏の境地に達するというのである。

    インドでは非常に長い修行(輪廻を重ねる)を必要とするが、東アジアでは悟りが現実のものとして考えられるようになる。中国では禅の頓悟思想が発展したのに対し日本では密教の即身仏思想が現実重視的な仏教の基盤となった。即身仏思想は死者儀礼の根拠とはならないが、悟りが身近に引き寄せられることで、死者の成仏を可能にする思想に展開する要素を持っていた。すでに最澄が、三生(3回の生まれ変わり)までは即身成仏と認められると説いており、死後の成仏の可能性を認めている。

    十世紀後半になると浄土教が盛んになり阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを求める思想が発展した。その基礎を確立したのが源信である。源信は「往生要集」で阿弥陀仏の極楽浄土への往生を勧めた。浄土は六道を超えた理想世界であり死後その世界に行くための行法として念仏を重視した。念仏はもともと仏の姿を観想することであるが、より簡便な方法として阿弥陀仏の名前を唱える称名念仏も認められた。

    院政期には、このような浄土往生の思想は密教的な即身成仏の思想と結びつくようになった。このような密教的な浄土教を完成させたのが覚鑁(かくばん)である。
    当時、五輪塔が墓標として用いられるようになってきたが、覚鑁はそれを理論的に基礎づけようとした(写真参照)。梵字は仏としての聖的な側面であり、それが身体の五臓と結びつけられ、さらに方位等の外界の世界とも対応付けられる。こうして五輪塔は仏=世界=身体の統合と見ることができ、とりわけ五臓との関係は、身体を観想の対象とすることで、仏の世界に一体化する即身成仏の行法として発展することになる。覚鑁は現世で即身成仏が実現できない場合、来世に往生して実現を目指すという形で、密教と浄土教を結びつけた。五輪思想は生者のシンボルであるとともに、死者のシンボルでもある。それによって死者の即身成仏が実現されると考えられた。

    仏教以前の日本では死後の世界について十分な解明がなされていなかった。特に遺体の処理は難しかった。日本のように湿度の高い場所では遺体は腐りやすい。古墳を築けるような豪族は別にして通常は遺体を山に放置するか、せいぜい浅く埋葬するしかなかった。火葬は薪を多く必要とするので庶民の手に届くものではなかった。それ故遺体は穢れたものとされ、避けられた。

    それが正面から問題になるのは平安中期に源信によって浄土教が進展してからである。死者の最も具体的な形は遺体である。死者の成仏や往生を求めるということは遺体に残った死者の霊を鎮め、生者の世界に害をなさないようにするということでもあった。そのための密教的な呪力は大きな力を発揮した。それが中世になると様々な形に転用されることになる。例えば戒の力は密教的な力と同様の力を発揮した。受戒することによって罪が滅せられ清浄な悟りへ結びつく。中世の叡尊や忍性らの律宗は戒の力により穢れを克服し、死者供養を大きく発展させた。禅定の持つ力も極めて強力と考えられた。密教を源流に持つ行法の力は、現世を脅かす死者や悪霊を鎮めて救済することで現世の秩序を保っていくところに強力な力を発揮するようになった。

    このような仏教の力が後世の葬式仏教を成り立たせる源流と考えることができる。近世に確立する仏教的な葬儀は、このような中世的な仏教の威力をもとに、それが次第に形式化し、儀礼として完成する中で形成されたということができる。

    おわり
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