□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/01/22(Sat) 18:59:36)
| ■20494、pipitさま、
>「知る」って、なんだろう、って時々考えるんよ< わたしも。 ふつう、「本当のことを知る」とか「それが嘘であったということ知った」みたいに使われるじゃん。「知る」=「認知」、あるいは「認識」(認識活動とその結果の知識)ともわたし見てる。一般的に〈本当のことことを知りたい〉って思ってるんじゃないかしら?だから「知ること」と「知られたもの」(認識活動とその結果の知識)は本当のことであることが望ましいって。だってわたしの知ってることが嘘だったらイヤじゃん。
>『おのれ』って、悪魔ちゃん、それぞれのおのれに、英訳当てれる?< 「おのれ」を英語で言ったら、っていうこと? ハイデガーの『存在と時間』の訳本では「おのれ」ってひらがなで訳される。原本ではどういう外国語が使われてるのかわかんない(わたしそれを調べるだけの能なし〜。だれか知ってる人がいたら教えて)。
わたしの勝手な「おのれ」について書いて見るね。 @ABCすべて同じ意味だと思ってる。だって、もしそれぞれ異なる外国語だったら訳者も別々の日本語を当てたはず、って思ってるから。
でね、英語で言うのよね。わたし外国語得意じゃないからネットで少し調べて見たのね。
私自身→I myself 自分自身→myself←自分→oneself 己→self
こんな感じのみたいなんがあった。なんかよくわかんなかったんだけど。 で、どうしようかな〜って、「おのれ」っていうのは”人の”だけに限ってないって見て、「self」ってすることにしたよ。
カントの「物自体」っていうのあるじゃん。これも「おのれ」「self」に入るのかな?
「現象学」とは、「おのれを示す当のものを、そのものがおのれをおのれ自身のほうから示すとおりに、おのれ自身の方から見えるようにさせること。」 って言ってるけど、これってけっこう難しいこと(不可能に近い)なんだとわたし見てる。でも、現象学はその難問に挑んでるようにもわたし思えるね。ん〜ん、語りえぬものには沈黙しちゃう人とは違ってね。
観察者は「おのれ」を”外から見る”のであって、”そのもののうちで”見ようとしない立場なんじゃないかしら?
な〜んか、コロナで引きもっちゃってお喋りしちゃった。
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