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No20485 の記事


■20485 / )  Re[17]: 第三章 批判と二つの視点
□投稿者/ pipit -(2022/01/21(Fri) 07:07:48)
    p37
    山下和也先生『カントとオートポイエーシス』より引用

    『上述した認識システムが観察者であり、その認識表象における現れの産出が観察である。
    観察の対象とは現れである何かを指す。
    具体的には見えているリンゴであったり、本であったりするわけである。
    つまり、対象もまた認識表象において存する。
    したがって、観察は認識表象の内部で完結している。』
    引用終了

    ===========

    上記引用文を解読していくため、山下先生流「認識システム」の復習を。。。

    山下先生的には、
    認識システムは理性能力システムと捉えてるのではないかとpipitは思っています。
    (生命システムは感性能力、意識システムは悟性能力)

    カントが狭義の理性を「原理の能力」(B356)と定義してることに絡めて、山下先生の解釈として、理性と認識システムを関連させている箇所を同本p31、32より引用します。


    『(略)、原理とは言わば、多様な規則がそこから導かれる上位の規則と言うことができよう。
    理性とはすなわち、規則の上位規則を導く能力である。
     これはオートポイエーシスの言葉で言うなら、理性とは、意識システムのコードに言及し、複数のコードを俯瞰的により上位のコードに包摂する能力ということになる。
    それはすなわち、意識システムに言及する認識システムの働きに他ならない。
    認識システムは同時にコード表象である記号を産出できるから、概念に名前を与えることができるのもこのシステムである。
    無論この際、意識システムの作動は自己言及を通じて繰り上がり、認識システムが概念コードによって認識表象を産出しているのであるが。
    言い換えると、我々がそれぞれに名前をつけて概念と読んでいるものは認識システムの概念コードであり、これによって初めて記号による思惟、したがって言語による思惟も可能になる。
    端的に言えば、理性とは認識システムであり、それゆえカントの言う「感性的存在者」、すなわち生物では人間のみがもつとされるのである。
    この意識システムと認識システムの区別は、現代の認知科学では「二重過程理論(dual process theory)」に対応するであろう。
    これは、
    推論には高速かつ並列的で自動的である潜在的な過程と、
    低速かつ継時的で注意を要する代わりに抽象的思考を可能にする顕在的過程
    の二段階がある、とするものである。
    言うまでもなく、
    潜在的過程が意識システムのレベル、
    顕在的過程が認識システムのレベルになる。』
    引用終了

    =============

    認識システムの復習が終わったところで、
    p37に戻ります!(予定)
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