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Re[48]: 19.毒ヘビのかみ傷について
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□投稿者/ みのり -(2022/01/15(Sat) 06:47:48)
| パニチェさん、レスありがとうございます。
■No20408に返信(パニチェさんの記事) > >>『キリストにおける感情の高貴さの深い欠如を、彼におけるユダヤ的なものを、つまり儲け仕事とそれを逸する愚鈍さに対する立腹とを、なんとしても絶対に見誤ることなかれ!ヨーロッパ人たちがあれほどはるかに高貴な諸感情を置きいれたのだ!(生成の無垢 下巻 971番)』 > >>引用ありがとうございます。 とても興味深いです。 > > どういたしまして。 > >>「ヨーロッパ人たちがあれほどはるかに高貴な諸感情を置きいれたのだ!」 >>という部分について。 > >>これは、本当は感情の高貴さが欠如しているユダヤ的なイエスを、後のヨーロッパの人々が高貴な人物として置きいれた、つまり、そのようにイエスを仕立て上げたというような意味合いでいいのですか? > > はい、そういうことだと私も思います。
そうなんですね。 ありがとうございます。
> 引用しながら読解しにくいアフォリズムだなぁ〜とは思ってました。
自由な死について28には、イエスを「高貴であったのだ」と表しているのに、その同じ28に対する訳注にある記述との矛盾はどういうことなのだろう?、という疑問もありました。
これはあくまで私の私見というか主観なのですが、『ツァラトゥストラ』においては、ツァラトゥストラに語らせる一種、物語的な著作ということもあり、ニーチェのイエスに対する批判的な部分は「まだ未熟な青年のままで死んでいった」程度にされていたけれど、ニーチェ自身の言葉として書かれた他の著作においては、辛辣な観方、表現もそのままされていて、後者の観方がニーチェのイエス観としての本来というか本音なのかな、と感じました。
他の著作から引用していただいてとても勉強になりました。 どうもありがとうございました。
また、ぼちぼちと次に進みますね。
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