□投稿者/ pipit -(2022/01/10(Mon) 22:51:15)
| 『カントとオートポイエーシス』p17読んだ。
複雑系という言葉が頭に浮かぶ。
『この視覚野へのニューロンの連鎖を見ると実は、視細胞から繋がっているものよりも、脳の各部位からのものが、圧倒的に多い。つまり喩えるなら、視細胞からの神経電位パルスはコーラスの中の一つの声にすぎないのである。要するに、視覚野での処理はまさに生命システムの構成素における攪乱として生じるのであり、身体外部からの光刺激に厳格に対応したものではない。』
『脳では「並列分散システムが自発的に機能していて」(ガザニカ:六〇)』
ともにp17より引用。
で、ここから No20329で引用した箇所に進んでいくのですね。
> p18に、 『問題はここからである。ここまでは、生命システムの構造である身体内部で法則に拠らないにせよ物理化学的に起きる現象にすぎない。 認識にはこの先がある。 すなわち意識の問題である。』 とありました。 生命システムの一階言及システムとして「意識システム」に記述が進んでいくようですね。<
意識システムについての最初らへんを引用します。 『脳における感覚刺激の処理の結果として、意識に視覚像である色と形、聴覚像である音、嗅覚像である匂い、味覚像である味、触覚像である手触りや温度などが現れる。』 p18より引用
仏教用語で言えば、 色と形・・・眼識 音・・・耳識 匂い・・・鼻識 味・・・舌識 手触りや温度・・・身識
の五識ですね。
生命システムの攪乱により、意識に五識が現れる、と。
んー、意識システムの構成素を五識とするのかな??(予想) 読んでいってみまーす o(・x・)/
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