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No20333 の記事


■20333 / )  Re[91]:   ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2022/01/09(Sun) 09:53:12)
    メルポンのわたしので、ふと思ったのを、

    X.
    a「Xを“対象として”見る」という仕方
    b「Xを全体性のなかにおいて見る(ゲシュタルト的見方)なかで、“Xそのものうちで”見ようとする」仕方

    このような区別、メルポンのわたしにが浮かんできてる。
    bの「全体性」っていうのは、生活世界の、私の生において、実存私の世界との素朴な触れ合い――etre au monde――世界における(への)存在――という全体性のなかで、って、こんな感じの。

    ことわっておくけど、このように区別すること、どちらの方法がいいかわるいか、っていうことじゃないからね。志向のちがいが見えただけ。

    「ゲシュタルト」なんだけど、
    メルポンは『行動の構造』のなかで、
    【もっとも、問題は、多くの仮説のなかからあえて一つの仮説を試みることにあるのではなく、一つの新しいカテゴリー、「ゲシュタルト」というカテゴリーを導入することにあるのであって、それこそは無機物の領域にも有機体の領域にも適用されて、生気論的仮説をかりなくても、神経系のなかに「横の機能」−―すでにウェルトハイマーが述べており、また観察によってもその存在が確かめされている――を出現させうるものなのである。というのは「ゲシュタルト」や特に物理的系というものは、孤立した諸部分がもつ特性の総和とは異なる特性をもった全体的過程として――もっと正しくは、その諸「部分」をひとつひとつ比較すれば、それらは絶対的な大きさにおいて異なっているにもかかわらず、全体としてみれば相互に区別できない全体的過程として、言いかえれば、〈移調可能な全体〉として――定義されるからである。たったひとつの部分に変化がおこってもそのたびみ系全体の特性が変わるとか、また反対に部分がすべて相互に同時に関係を保ちながら変化するばあいには、系の特性もそのまま維持されてるところには、どこでもゲシュタルトが存在すると言われよう。この定義は、神経現象にふさわしいものである。これまでみてきたように、そこでは反応の各部分を部分的条件に帰することはできないし、また一方では求心的な興奮相互のあいだに、他方では運動流相互のあいだに、そしてさらにそれらの両者のあいだにも、相互作用や内的連関があるからである。】
    って言ってる。

    コトバンクで「ゲシュタルト」は、
    〇 (Gestalt 「かたち」の意) ゲシュタルト心理学の基本概念。部分からは導くことのできない、一つのまとまった、有機的・具体的な全体性のある構造をもったもの。形態。
    〇《形態・姿などの意》知覚現象や認識活動を説明する概念で、部分の総和としてとらえられない合体構造に備わっている、特有の全体的構造をいう。形態。
    〇…たとえばメロディを1オクターブ上げても同じ感じを抱くように,〈要素の単なる結合ではなく,それとはある程度独立した新しいもの〉,すなわち〈形態質Gestaltqualität〉の存在を指摘した。[ゲシュタルト心理学]より
    こんな感じの。なんか「構造主義」に関連してる感じ。

    忘れないうちにと思って。


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