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No19883 の記事


■19883 / )  私の社会哲学試論
□投稿者/ rest -(2021/12/12(Sun) 01:03:04)
    少しふりかえって私の社会哲学をまとめてみたい。
     テンニースの社会理論においてはゲマインシャフトとゲゼルシャフトに大きく分けられる。
     ゲマインシャフトは村落共同体の在り方で私なりに解釈すると類的結合で示され、地縁共同体、血縁共同体など共通な要素が結合してできた類的共同体といえる。次に私の新しい考えを付け加えると、類的結合は同時に個性的対立を生じさせる。たとえば地縁共同体においてはよそ者は排除の対象となる。共同体は異質な者をパージする傾向がある。個性的対立とは個性が違えば対立することである。議論においても意見が違うと対立し、同じ意見だと親和的になる。これも共同体的思考である。言語が共同体の約束事として共通性を重んじることから言語的思考は共同体的にならざるを得ない側面がある。そのほか異民族間の紛争も民族共同体のもつ異質性のパージが根本要因のようだ。社会秩序は共同体のルールであるが類的行為として秩序が保たれており、ルールに違反するものは異質な個性として排除される。「類的結合は同時に個性的対立」という命題が成立すると考える。
     ゲゼルシャフトは都市型社会いわゆる市場社会を意味する。利益社会であり、出発点は物々交換に由来する。貨幣経済に移る前の社会を俯瞰してみると、異質な商品の交換であり、同質の商品を扱う者同士では対立が生じる。そこから一つの結論が導かれる。「個性的結合は同時に類的対立」という命題だ。これは貨幣経済になっても受け継がれるものだ。異業種では親和的だが同業種では価格競争がみられるからだ。著作権や特許権でもそうだが似た作品を嫌うという傾向もある。
     精神分析的にみると超自我は共同体的意識や類的意識から構成されており、ルールから逸脱する個性に対し懲罰的である。反対にイドは個性的意識であり、異性に融和的であるが同性には対立的という特徴をもっている。
     自我は中間的性格をもち、超自我とイドの両者を認めて調和を図る働きがある。
    以上簡単に私の社会哲学をまとめたみた。
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