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No19689 の記事


■19689 / )  Re[24]: 論理学で言う「否定」の意味
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/12/05(Sun) 16:17:39)
    論理学の「否定」の見方について、矢野茂樹著「入門!論理学」の中に書かれてあったのをところどころ抜粋して見ます。

    〔ひとはどういうときに否定するのだろう
    ‥‥たとえ机の上に目をやると、そこにはコーヒーカップが置いてあって、‥‥紙の束があって、‥‥パソコンがあって、等々、私たちはただそこにあるものだけを目にします。机の上をことばで描写することができ、ただ肯定形の記述だけですむように思えます。だとすれば、「否定」というのはどこで現れるのでしょうか。…‥たとえば、わたしの机の上にはなぜか金塊がありません。いまはじめて気がつきました。なんでそんなだいじなことに気がつかなかったのだろう。まあ、理由が簡単です。いままで「机の上に金塊がある」なんて考えたこともなかったからです。そうして見ると私の机の上にはいろんなものがありません。リカちゃん人形もなし、奈良漬もない。…‥「金塊がないぞ」とか「リカちゃん人形がないじゃないか」といった訴えは、そういう関心があるひとだけが発するものです。…‥このことは否定というものの正体を少し明らかにしてくれます。「机の上に金塊がある」なんて思ってもみないひとは、「机の上に金塊がない」とも思わない。「机の上に金塊があるといいな」と思っているひととか、あるいは誰かに「あなたの机の上に金塊があるわよ」とか言われたひとだけが、現実の机を見て、「ないじゃん」と思うのです。つまり、「机の上に金塊がある」という肯定形の主張がなんらかの仕方で念頭にあって、でも現実の机の状況がそれを打ち消すとき、私たちは「金塊がない」と言うのです。このような、「主張Aの打ち消し」が「Aの否定」にほかならいません。‥‥〕

    なんか、わたしにもわかりやすくてお勉強になったよ。
    ほかのところに書いてあるのも書いとく。

    1)なんらかの主張「A」を否定して「Aではない」と正しく言えるのはどういうときか。それは、その状況で「A」と主張するとまちがいになってしまうときである。
    2)「Aではない」は「A」という主張がまちがいだと訴えることを通して、いわば間接的に世界の状態を描写しているわけである。
    3)「A」という肯定形の主張は、ある事実が成り立っていることを描写したものである。が、「Aではない」という否定形の主張は、否定的事実が成り立っていることを描写したものというより、「A」という主張は、自分の中にあるものでも、誰か他の人が言ったものでも、ともかく、「Aではない」は、「A」という主張に対する否定的な態度を表明したものである。
    4)「標準的な論理学」における「否定」の純粋な形は、
    (a)ある状況で「Aではない」と正しく主張できるのは、その状況で「A」と主張するとまちがいになるときである。
    (b)「A」という主張の否定は、「A」と主張するとまちがいになる場合のすべてを含む。
    (c)「A」という主張に対して、それをともあれ打ち消すということ、そしてさしあたりそれ以上のことは言わない。

    もっとほかにもおもしろいのあるけど、このぐらいにしとく。

    論理学から、否定「Aではない」は、Aがすでにあり、そのAを否定するだけで、Aは何であるかについては語らないことにする、っていう態度をとることにしてるっていうことなのかな。
    あと、これは、「A」を直接に語れないとき、「Aではない」において、Aは“直間接的”に語られてる、ということなのかな。

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