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No19165 の記事


■19165 / )  1905年
□投稿者/ 田秋 -(2021/11/20(Sat) 20:29:31)
    こんばんは、floraさん

    少し前に今までで一番怖かった曲という話で、ラザレフで演奏した「1905年」という副題がついたショスタコーヴィチ11番の3楽章を紹介しました。この1905年というのは労働者のデモに対し軍が発砲し多数の死者が出た「血の日曜日事件」を扱ったものでした。

    今「日本政治外交史」の講義を受講していてレポートの課題があるという事もお話したと思います。範囲は明治維新から第1次世界大戦前夜まで、複数の指導的政治家を取り上げ800字で書けというもので、日英同盟〜日露戦争〜日韓併合の10年間辺りを書こうと思っているのですが(書こうと思ってから1週間経ちましたが全然書けない)、1905年てロシアは日本と日露戦争してて、「血の日曜日事件」はその最中であること、初めて結びつきました。改めてwikiで「血の日曜日事件」をよく読んでみると労働者の請願のなかに「日露戦争の中止」が入っていました。

    この戦争、日本が勝ったことになっていますが、ロシアは負けたとは思っていなかった様です。ポーツマス条約交渉では賠償金の支払いを最後まで認めませんでした。国内は日本と戦争している場合ではないような状況になっていたので(ロシア第1革命)この辺で手を引いておこうということかなと思います。

    日本はポーツマス条約では賠償金は取れませんでしたが、ロシアに日本の朝鮮支配を認めさせ、遼東半島を租借地としました。この後日本は日韓併合へ進み、ロシアは皇帝の支配力が弱まり1917年の革命へと進みます。

    ショスタコ11番が日露戦争最中の出来事を取り上げていたという認識を持ち、今までバラバラだった知識がリンクしました。やはり勉強するといいことがあるなあと思いました。

    日本国民は日清戦争に勝った勢いで(自惚れで)対ロシアでは開戦賛成が多数派でした。群集心理と言うか、人間、冷静さを失うと怖いです。
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