(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

No18954 の記事


■18954 / )  Re[19]: シャーロッキアンの方々へ
□投稿者/ 田秋 -(2021/11/16(Tue) 20:31:41)
    いらっしゃいませ、ザビビのふくろうさん

    書き込みありがとうございます。
    バスカヴィル家の犬はホームズ物の中でも映像化された回数が多いと思います。人気があるのとやはり魔犬(?)の異様さが映像では効果的なんでしょうね。

    谷啓さん、歌うまいですね。ガチョ〜ン、子供のころよくやってました。歌詞の中の「奴は銀行強盗をするためにトンネルを掘ってたんだよ」は「赤毛組合」ですが、その中でホームズとワトソンはサラサーテの演奏会に行きます。原作では「ドイツ物が多かった」とあるのでジェレミーブレット版でサラサーテはバッハのパルティータの3番の1楽章を弾いています。ただし、聴きに行ったのは事件解決前の午後のひと時です。バスカヴィル家の犬事件では解決後にオペラを聴きに行ったみたいです。

    ホームズファンは世界中にいて、その研究は凄いです。緋色の研究は1887年に発表されていますがそれはドイルが発表した年で、事件はもう少し早く始まっているようです。物語の冒頭に「私(ワトソン)は1878年にロンドン大学を〜」とあります。軍医としてインドへ行くことになりますが、着任する前に第2次アフガン戦争が勃発(1878年)とあります。少し先を読むと「マイワインドの悲劇」とあり、これが所謂マイワインドの戦いで1880年7月のことです。そこで負傷し数か月後にイギリスに戻り、それから少し後にホームズに会ったことになっています。その後の3月4日に事件が始まったので、これは1881年3月4日のことであろうというのが有力な説です。傍証としてワトソンのホームズ分析の中にトマス・カーライルの名前が出てきますが、彼は1881年2月5日に亡くなっていて、ワトソンの頭の中にその記憶があったのだろう、ということです。

    実に綿密に研究されています。しかしドイル自身は前もって年表を作っておいて物語を書いた訳ではないので矛盾もあり、1882年説を取る研究者もいるようです。

    『シャーロック・ホームズの推理学』持ってまっせ〜。先生という事は教えを受けられたのですか?
600×450

shsuiri.jpg
/51KB
返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -